瞑想とは第三の自分へのシフト | ある瞑想者のつぶやき

ある瞑想者のつぶやき

心の内にある偉大な種に水やりを

第一の自分は感情・マインド

 

第二の自分はその感情を感じている自我・理性

 

そして第三の自分は、

そのマインドと自我の戦い、

物語を観察する私。観照者

 

たかだか数十年の経験だけど断言してもいい、

私たちの正体は理由なき幸せを持つ好奇心。

 

瞑想で観照(状態)に入ったかどうかは、

入った本人が「必ず」わかる。

 

それはとても圧倒的で理由がなく強烈で懐かしく

味わったことがない感覚だからだ。

 

僕は以前この観照者を求め味わい、

それをひたすら探求しようと思った。

自分の正体がそもそも至福なる観照者なら

何も加える必要がないし何も変える必要が

ないと思った。

 

だから自我をコントロールして欲や感情を抑えれば

いいんじゃないかなと。

それは基本的には間違ってはいなかったが

まだ理解と経験が浅かった。

 

だから数十年再度人生経験を重ねて、

新しいプレイスタイルを発見し

人生をプレイすることに決めた。

 

それは観照者としての意識をできる限り保ったまま

第二の自分、自我を表現し経験すること。

 

観照者と「コンビ」を組んで二人の自分でJOYに生きようと。

 

この新しいJOYは、ポジティブとか成功とか

物事の一面だけではなく、全てがコインの表裏のように

セットになっていると理解してそんな「ゲーム」を楽しもうと。

 

遠回りも偶然もない。

それはここに来る前に自分に賭けたストーリー

ただただ、その大きな意識、

無限の英知、源、システム、本当の自分、神様

呼び方は何でもいいけど、その意識のその愛に感謝しかない。

 

少しづつだけど、

皆さんそれぞれが第三の自分を

直接「体感」出来るように、

少しでもお手伝いが出来たらいいな。

 

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