このブログでは、故人は敬称を略することに決めている。
別にこだわりがあってということでもないが、いつのころからか、そう決めた。
しかし、特別枠がないではない。
たとえば誰だ?
う・・ん、すぐに浮かんでこない。
まぁよい。
今日、自然に出てきたのだ。
「大野先生」という言葉が。
よって、今後は大野普を別格とし、「先生」という敬称をつける。
ということで、「『日本語練習帳』を読む(その4)~ AはBである」の巻、はじまりはじまり。
まずは基本から。
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日本語のセンテンスの作り方の最も基本の文型の一つは、
AはBである。
AはBする。
(Kindleの位置No.688)
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そしてすぐさま結論。
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明確な、読みやすい文章を書こうと思うなら、「AはB」の関係が鮮明な文をお書きなさい。(同)
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大野先生いわく、
「そこで覚えること」。
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分かりやすいセンテンスとは「AとB」の形の、AとBの距離が近いセンテンスです。(No.734)
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悪い見本として先生が使った例文はこれだ。
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私は今井君をなぐった佐藤君の横面をひっかいた田中君をけとばしてやった。(同)
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これがなぜダメなのか。
解説をしていただこう。
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ハと、結末の「けとばしてやった」との間に、「今井君をなぐった佐藤君の横面をひっかいた田中君を」という二重、三重の事実が示されているので、「私は今井君をなぐった」のか、いやそうではないのかと、読み手は緊張して読みつづけなくてはならない。こういう文章は難解に近い。(No.734)
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問題がある文章例をもうひとつ。
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安政条約によってフランスやイギリスは日本に軍隊を駐留させる権利を得ていたし、日本の裁判所は外人に対し裁判する権利がないものとされていたし、また日本の国内産業の死活を制する輸入関税率も日本自身で決定することはできないことになっていた。(No.695)
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皆さんお気づきのとおり、問題は「し」にある。そして、よく陥りやすいパターンではある。
ではこの場合の解決法はなにか。
その処方箋を説く文章が、おそらくそれを意識して「わざと」書いたのだろう、なかなかに「鮮明」かつテンポがよくてすばらしい。
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そこでこの不安のもとである「し」を除去する。そこに「。」をつける。一つ一つに区切って、それだけということを明示する。すると「AはB」が完結する。分かりやすい。読み手は安心する。そして、事柄を区切って重ねて受けとることができる。(No.711)
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では、鮮明なセンテンスとはどういったものか。
先生はその「極致」として次の例をあげている。
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花は桜木。(花ハ、何ガ一番イイカトイエバ、桜木。)
人は武士。(人ハ、何ガ一番イイカトイエバ、武士。)
(略)
春はあけぼの。夏は夜。
(略)
あなたは何。私はウドン。私はキツネソバ。私はタヌキ。私はウナギ。
(No.726)
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冒頭の文例のあと、カタカナで書いた括弧のなかのセンテンスが、いつものわたし自身の文体を彷彿とさせる冗長さで、悲しくて思わず泣けてきた。
そしてまた結論。
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日本語の「AはB」という基本文型では、「Aは」で一度切れて、文末のBと結ぶのだから、AとBの間は短い方がいい。(No.825)
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以上、「鮮明なセンテンスの書き方」の巻。
意識をして「短く」書いてみたが、わたしの未熟さゆえか、ぶつ切り感、言い捨て感が否めない。
え?
いつもそうぢゃないか?
むむむむ・・
アタマを掻きつつ、あしたもつづく(たぶん)。