帯状疱疹後神経痛と共に読むドストエフスキー(連載16) 師匠と弟子

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帯状疱疹後神経痛と共に読むドストエフスキー(連載16)

師匠と弟子

清水正

 柳宗悦は聖書に書かれた具体に当たらないので、自己欺瞞が暴かれずに済んでしまうのである。モーセ十戒において神は「殺すなかれ」と命じる。だがユダヤの神は至るところで「殺せ」と命じている。これだけでも神の言葉は矛盾している。柳宗悦は神のこういった矛盾に直面しないし、従ってその事に悩むこともない。ヤハウェユダヤ民族の神であり、すべての人間の神ではない。ヤハウェユダヤ民族の繁栄を願って命令する者であり、ユダヤ民族のためには他の部族の者は殲滅してもかまわないのである。旧約聖書の中に〈聖絶〉という言葉が何回出てくるだろうか。ヤハウェユダヤ人同士における〈殺し〉を厳しく禁じても、他部族間の闘争においては何の迷いもなく〈聖絶〉(すなわち老若男女の別なく皆殺しをするということ)を命じる神なのである。日本人である柳宗悦は、しかしそういった事に関して関心を示していない。これでは信仰の問題をわが問題として取り扱ったことにはならない。

 柳宗悦東京大学英文科を卒業すると声楽家の兼子と結婚、我孫子に居を構えて研究生活に入った。我孫子には叔父の嘉納治五郎の別荘があり、その別荘の管理も兼ねて、家賃などはいっさい払う必要もなく、研究に没頭できた。志賀直哉もそうだが白樺文学派の人たちは生活費のことなどなんら心配することなく自分のやりたいことに没頭した、実に経済的には恵まれていたが、そのかわり、生活人の生(なま)の喜怒哀楽を感じることは少なかったように思える。

 

  それから、イエスは弟子たちとピリポ・カイザリヤの村々へ出かけられた。その途中、イエスは弟子たちに尋ねて言われた。「人々はわたしをたれだと言っていますか。」

  彼らは答えて言った。「バプテスマのヨハネだと言っています。エリヤだと言う人も、また預言者のひとりだと言う人もいます。」

  するとイエスは、彼らに尋ねられた。「では、あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」ペテロが答えてイエスに言った。「あなたは、キリストです。」

  するとイエスは、自分のことはだれにも言わないようにと、彼らを戒められた。

  それから、人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、殺され、三日の後によみがえらなければならないと、弟子たちに教え始められた。

  しかも、はっきりとこの事がらを話された。するとペテロは、イエスをわきにお連れして、いさめ始めた。

  しかし、イエスは振り向いて、弟子たちを見ながら、ペテロをしかって言われた。「下がれ。サタン。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」

  それから、イエスは群衆を弟子たちといっしょに呼び寄せて、彼らに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。(8章27~34節)( 75)

 

 この場面は最初に読んだときから戦慄が走った。イエスの発する言葉は微妙で曖昧に聞こえる。それでいて微動しない覚悟も伺える。イエスは奇蹟を施しながら、そのことを広めてはならないような言い方をする。広められてはならない奇蹟なら起こさなければいいのにとわたしは単純に思う。ゲラサの豚に〈汚れた霊〉を乗り移させた時には、狂気から正気に戻った人に、自分がなした事を伝えよ、と言っている。イエスは神から使わされたひとり子であることを、多くの人に伝えたいと思っているのか、それとも人の子であることを強調したいのか、どうもこのへんが微妙である。

 ここに引用した場面ではイエスは自分の口から神の子であるとは断言していない。ペテロがイエスに向かって「あなたは、キリストです」と言った時にも「自分のことはだれにも言わないように」と戒めている。この〈戒め〉は何を意味しているのか。自分がキリストであることは事実だが、今そのことが知れるとやっかいなことになるから、しばし内緒にしておけということなのか。なんかもったいつけた言い方である。こういう言い方をする師は弟子たちに理解されることはほとんど不可能と見るほかはない。

  イエスは弟子たちに対していつも苛立っているが、ここでペテロに向かって「下がれ。サタン。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」と叱っている。自分の、言わば一番弟子であるペトロを、他の弟子たちのいる前で〈サタン〉と言っている。人間間のやりとりであれば、「この、おおバカもの」ということですまされようが、この場合はイエスとその弟子である。なぜイエスはこんなにも怒りを露わにしたのか。ペテロはイエスを〈キリスト〉と口先では言いながら、実はイエスを〈人〉と見なしていた。そのキリストではなく、単なるひとが、「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、殺され、三日の後によみがえらなければならない」とはっきりと口にした。ペテロはイエスのこの言葉を〈キリスト〉の言葉として受け止めることはできなかった。ペテロはこの言葉を人の言葉としてのみ聞いたので、イエスがこういう自分の悲惨な運命を多くの人々の前で口にすることはまずいと判断し、弟子の身でありながら師をたしなめる愚を犯してしまったのである。

 イエスのこの言葉をそのまま受け止めることは弟子たちにとって耐えられないことであったろう。なにしろイエスは、長老や祭司長たちに殺されてしまうと言っているのであるから。殺されてしまうことが分かっている師に、ついて行く弟子がはたして何人いるのだろうか。しかも弟子たちのうちでイエスが口にした三日後の〈復活〉を理解している者は一人もいない。イエスをキリストとして信じている弟子たちであれば、イエスの言葉は絶対である。しかし、ペテロに見られるごとく弟子たちはイエスを理解していない。イエスの言葉は人の言葉として相対的に受け止められている。 

 それにしても他の弟子たちの前でよりによって〈サタン〉呼ばわりされたペトロの内心たるやどうであったろうか。ペテロの心の中にイエスに対する憎悪の念は生じなかったであろうか。もしペテロの心のうちをドストエフスキーが描いたらと思うだけで戦慄が走る。それでなくてもイエスは弟子たちに対して優しい言葉をかけるようなことはなかった。マルコ福音書におけるイエスは弟子たちに対する苛立ちを隠そうともしていない。イエスは激しい感情の持ち主で、それを押さえることのできない人であった。ドストエフスキーの人物たちは時に〈感情の爆発〉(надрыв)を起こす。時に激情の発作に襲われるイエスカラマーゾフ家の一員に入れてもおかしくはない。

 さて、ペテロ=サタンに話を戻そう。イエスの言葉を言葉通りに受け止めれば、イエスはペテロがサタンであることを知っていながら彼を弟子にしたことになる。これをペテロの側から言わせればどうなるか。ゲラサの墓場の狂人(〈汚れた霊〉)はイエスを瞬時に〈いと高き神の子、イエスさま〉であることを看破している。ペテロはこの狂人と同様に師イエスを神の子とみなしていただろうか。ペテロは口ではイエスをキリストと言っているが、その実、イエスをキリストを装っている人の子と見なしていた可能性も高い。ゲラサの豚に乗り移った〈汚れた霊〉よりも、ペテロ=サタンはより一層一筋縄ではいかない側面を持っているように感じる。

 先にも触れたが、〈汚れた霊〉(レギオン)は豚に乗り移ることの許可をイエスから得た上で墓場の狂人から出ている。もちろん豚は死んだが、〈汚れた霊〉が死滅したわけではない。つまりここでイエスと〈汚れた霊〉は彼らだけに分かる取引をしたことになる。

 さて、イエスとペテロに話を戻そう。ペテロがサタンだとすれば、イエスはこのサタン=ペテロとどのような関係を取り結ぼうとしていたのかである。イエスは彼が一方的に弟子にしたペテロの何者であるかを予め承知している。ペテロはイエスを口先では〈キリスト〉と言い、内心では〈人〉と見ている。ペテロがサタンだとすれば〈人〉であるイエスを〈神の子キリスト〉に偽装する欺瞞を全うしたことにあろう。ペテロの悪魔性こそドストエフスキーの文学にふさわしいかも知れない。ペテロ=サタンは、真理と共にあるよりはキリストと共にありたいと願ったドストエフスキーの眼差しをすり抜けて、彼の文学世界に潜入する資格を有している。

 ドストエフスキー文学に関心のあるひとはぜひご覧ください。

清水正先生大勤労感謝祭」の記念講演会の録画です。

https://www.youtube.com/watch?v=_a6TPEBWvmw&t=1s

 

www.youtube.com

 

 「池田大作の『人間革命』を語る──ドストエフスキー文学との関連において──」

動画「清水正チャンネル」で観ることができます。

https://www.youtube.com/watch?v=bKlpsJTBPhc

 

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これを観ると清水正ドストエフスキー論の神髄の一端がうかがえます。日芸文芸学科の専門科目「文芸批評論」の平成二十七年度の授業より録画したものです。是非ごらんください。

ドストエフスキー『罪と罰』における死と復活のドラマ(2015/11/17)【清水正チャンネル】 - YouTube

 

 https://www.youtube.com/watch?v=KuHtXhOqA5g&t=901s

https://www.youtube.com/watch?v=b7TWOEW1yV4