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JE2LUZ・熊野

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2020/02/20
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カテゴリ:混在
「七里御浜」は木本から井田まで続く綺麗な砂利浜と松原で、潮風と高波から背後地の村々を守ってきました。
 かなり古くから松を植林し育林・管理してきたようです。
 近代になってから、官林になり、「営林署」が管理していました。
 この営林署という役所は少々くせ者で、屋久島から大又官林などまでを切り尽くしたところです。
 七里御浜も寒林ですから地元民でも枝一本切ってもいけないものでした。
 「保護」を通り越して松を傷める面さえある規定でもあったのです。
 金にもならない松原には管理費など入れませんでしたね。



 浜は、昭和32年(1957)頃の馬留下の井戸川河口付近では写真のような斜面ができるほど砂利があったのです。
 人物は私ですし、セミ判ですからカメラは「ウエルタ・ペルレ」です。
 赤ん坊ではなく中学生がこんな風にみえるるほどだったのです。




 この浜が「吉野熊野総合開発」というやつで、北山川・十津川にダムを造ってから急速に痩せたのです。
 戦後の復興に電気が欲しいので、地元には「総合開発」という、中身の無い夢を見させて川をせき止め、集落を沈めていったのです。
 アメリカの「テネシー川総合開発公社・TVA」をお手本にしたものだそうです。
 出来た電気は京阪神から中京地区に送電し、復興には役立ちましたが、この流域から集落が消え、見る見る間に最下流の七里御浜が痩せたのです。
 儲かったのは「電源開発」「関西電力」だけでしょうね。
 このような国策会社が水利権も召し上げて日本中の川を殺していった会社です。
 その一つが「熊野川・十津川」だったのです。
 それに便乗した地元民や団体も居たようですけどね。 


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最終更新日  2020/02/20 06:00:09 AM
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