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JE2LUZ・熊野

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2020/04/07
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カテゴリ:混在
日本の文学には「紀行文」とう言うジャンルがあります。
 「土佐日記」「おくのほそ道」なんてのが代表ですが、「十六夜日記」「更級日記」「蜻蛉日記」なんてのもそれに入るそうです。
 物書きの多い日本ですから、ちょいと動けば書き記したようですし、和歌も随分詠まれています。
 更には「東海道中膝栗毛」なんてものもあるし、芝居や講談・浪曲にも観光案内的真野もあります。

 関西で広く知られているのは、「西国三十三箇所御詠歌」があります。
 これこそ、お寺紹介、観光案内の流行蚊ですね。
 「一番は紀伊国那智山の御詠歌に… 補陀落や 岸うつ波は みくまのの 那智のおやまに ひびくたきすせ 」 に始まって…
 「いままでは 親と頼みし 笈摺を  脱ぎて納る 美濃の谷汲」 まで、お寺の光景まで案内してくれます。
 お通夜で御詠歌を上げる風習の熊野辺りでは、那智山くらいしか言ったこと無くても他のお寺にもなんとなく馴染み感があります。
 「汽笛一声新橋を 早わが汽車は 離れたり 愛宕の山に影宿す 月を旅路の友として」の鉄道唱歌も観光案内ですが、今では消えちゃいましたね。



 日本中を誰でもが旅ができるようになったのは、明治になって「関所」や「手形」なんてのがなくなり、国が一つになり、鉄道が運んでくれるようになってからでしょう。
 明治政府が躍起になり、地方も鉄道建設に血道を上げたのが、日本の近代化を早めたのでしょう。
 そして、元々、旅好きだった日本人は「陸蒸気」に乗って物見遊山に出掛けたのです。
 「熱海」なんかも早々と観光地になったし、伊豆も箱根も日光も東京から遊びに行けるようになりましたからね。
 中々、木本までは繋がりませんでしたが…
    ーつづくー


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最終更新日  2020/04/07 06:00:07 AM
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