関東も梅雨入りしたそうですが、そんな空模様ではありません。

 

一時期の真夏日ではなくなって救われた想いもありますが、報道を眺めると、救いがたい気分に襲われます。

 

欧州方面からは、統合の象徴であるはずのEUが騒がしいようで、東に目を転じると、遥か海の彼方の国では大統領を袋叩きにする報道が連日流れているようです。

近隣と言えば、ヘッドラインでお腹いっぱいになりそうなものばかり。

 

国内と言えば学園ドラマばかりが進行中のようで、何が大切なのかよくわからないコトばかりが取り上げられているようです。

 

そういえば我が国の首都でも問題が山積の様子。

 

オリンピックや市場の問題でしたね。

築地生まれの自分としては複雑な想いです。

お気に入りのお寿司屋さんは営業続けてくれるのかなぁなどと呑気なことを考えたりしています。

 

こんなご時世を眺めていると、何が本当に大事なのかわからなくなりそうです。

 

せめて北朝鮮のミサイルが何かの間違いで日本に落下しないことを祈るばかりです。

 

大事なことと言えば譲位について国会で審議されたそうですね。

国体の基礎ですから、しっかりと国民にその内容を伝えてほしいと思いますが、メディアにそれを期待することはやめておきます。

 

宮内庁のHPで充分わかりそうな気がしますので。

 

さて、そんな時代の節目に頭に浮かんだのがなぜかある女性の辞世の句でした。

 

散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ

 

日本人は古来から美しさに敏感でした。

それを思うと昨今の騒がしさの醜さはなんでしょうか?

 

潔く美しい国柄を思う時、昨今の報道の醜さは穢れそのもののように思えてなりません。

 

せめて自分は禊ぎで清めなければ、などと思う夜でした。

新年早々、挨拶回りなどで留守にする時間が長く、アメブロを見ぬまま、今日になってやっと新年のあいさつです。

 

新年あけましておめでとうございます。

 

あまりにも遅すぎて間抜けな気もします。

それでも、これ抜きで新年のブログも書けないのです。

 

さて、今年の元日は靖国神社に初詣に行ってきました。

まさか、あれほど混雑しているなどとは予想しておりませんでした。

 

なぜか、鳥居に向かう歩道には保守系(?)の団体といいますか、熱心な活動家の方々が群れを成しておりました。

 

慰安婦問題やチベット問題等々、普段であれば興味を持って耳を傾ける内容を訴えておられたのですが、仮にも神前に向かう道中で世俗のことでもあるまいと思い、通り過ぎてしまいました。

 

実は靖国参拝は初めてではないのですが、初詣の参拝は初めてでした。

ここには自分の祖父も祭られていると思うと、神妙な気分になり、他のことに気を回す余裕がなかったのです。

 

幼いころから英雄の如く聞かされていた祖父を拝むのだと思うと、やはりいつもより気合が入ってしまいます。

ですから、願い事など全くせず、ただただ頭を下げて、「ありがとうございます」であります。

 

1時間強の列に並び、やっと参拝となった時にはすっかり頭の中は真っ白で、願い事などどこかに行っていたということもありますが。

 

それにしても靖国参拝者の方々は様々で海外の方が多くおられたことには、少々驚きました。

それから若い方がとても多かったことも印象的でした。

その若い方々の会話が我らが世代よりマトモといいますか、日本人的といいますか、自分より先輩の方々より、よほど日本人的に見えました。

 

お雑煮やおせち料理、七草がゆや八百万の神々のことなど、凡そ先輩諸氏の口から聞いたことがないような話題が四方八方から聞こえてきました。

その四方八方の大半が若い人たちでした。

 

日本は右傾化しているとか隣国の人たちが騒いでいるようですが、そのようなことはないと思います。

 

恐らくマトモな日本人が増えてきたというだけのことです。

 

さて、そんな感銘を受けるような元日を過ごしたのちに、テレビを見ましたら、相変わらずだらしない大人たちが何を根拠としているのかわからないような戯言を電波に乗せていました。

 

せっかくのよい気分が壊れてしまうので、そのままテレビも壊してしまいそうになりましたが、気を落ち着けて中断しました。

 

平成29年がどのような年になるかはわかりませんが、電波系のノイズに惑わされることなく、多くの感謝を積み重ねることができればと思いつつ、今年初のブログを閉じさせていただきます。

気がつきたら大晦日でした。

 

今年は何をしたのでしょうか?

いや、何をし忘れていたのでしょうか?

 

そんな想いに駆られる年の瀬。

 

省みて、大袈裟に思い直すこともないと思えなくもなく、また、何か大切なことを忘れているようなそんな気がしなくもない。

 

親の認知症が進行し、そのせいか自分の記憶力が鍛えられた年だった。

なんとも不思議な運命だと享受しながらも、何とも言い難い不自由さも感じた。

 

でもその一方で、多くの人々に感謝する年でもあった。

特にお医者さんや毎週訪問してくれる看護師さん、介護施設のスタッフの皆さんや病院のソーシャルワーカー、ケアマネージャー等々数えたらきりがない。

 

こればかりはどれほど経済的に恵まれていてもどうにもなrない。

人に恵まれることに感謝の尽きない年だった。

 

そのようなことなので、今年最後の日の入り直前に夕日に手を合わせ今年の感謝を込めて拝んだ。

 

このような習慣は昔はあったそうだ。

 

日出ずる国の日没を拝む。

 

個人的な願いに埋め尽くされる元旦の願いより感謝を述べる習慣のほうが尊いと思う。

そんな日本人が増えれば、どんなに良いだろうか感じた大晦日です。

世界の民主主義を代表する模範国家を自負する米国が当選した大統領叩きに躍起である。

 

なんだかおかしなことである。

 

プロパガンダが見事に見破られ、挙句の果てにメディアが支持をしたクリントン敗北で、ほとんど発狂気味の報道が目立つのだ。

 

一部掌返しを始めた報道機関もあるようだけれど、この事態を冷静に見つめていた報道機関もある。

 

なんとロシアである。

トランプ新米大統領下で日本を待っているものとは?

https://jp.sputniknews.com/opinion/201611102996542/

 

Sputnik. のこの記事によれば

『日本は今、米国との関係がどのような方向に変わる可能性があるのかについて考えを巡らせているようだ。ヒラリー・クリントン氏との関係は、従属国には予測可能だったからだ。(日本は)ずいぶん前にこれに慣れ、妥協した。トランプ新大統領下での日米関係は、恐らくより独立したものとなるだろう。これはビジネス界にとってはよいことだ。一方で日本の政治家にとってはあまり都合のいい状況ではないかもしれない。なぜなら彼らは客観的に依存し、米国が要求することを最大限実行する習慣がついているからだ。一方で、これと関連して日露関係がちょうどより特権的な関係にあるのは興味深いことだ。トランプ氏が日露関係になんらかの抑制的影響を与えようとすることは恐らくないだろう。その意味においてトランプ氏の当選は、日本とのさらなる関係深化にとってロシアに良いチャンスを与えている』とある。

 

ロシアを軸に置いている記事だが、日本が実質的には米国の従属国であることを述べている。

 

そして、日本の政治が如何にその従属のしがらみの中にあるかを教えてくれる契機となった米国大統領選挙を日露関係の発展にまで結び付けるあたりがたくましい。

 

何を以って日露関係の発展とするかは議論が分かれるところだと思うが、日露関係の変化が対米政策に与える影響は小さなものではないと思う。

 

さて、米国は政策を変更しそうである。

ならば我が国はどうするのか?

 

依存体質から自立した国家への変貌を遂げる契機とできるのか?

戦後体制を見直す契機がすぐそこに迫ってきた。

そんな気配である。

マスメディアに徹底的に非難され続けてきたトランプ氏が、米国次期大統領に決まった。

 

予想屋に徹していたメディア関係者たちがその予想を覆され、慌てふためいている様は滑稽以外の何ものでもない。

 

米国大統領が誰になろうが、日本が何を為すかが問われるはずなのに、米国依存に慣れてしまった日本の大手メディアは、CNNなどのリベラル系米国メディアの報道を頼りにして、まともな取材や情報収集すらできなかったようだ。

 

独自取材や情報収集、情報分析に徹していた専門家やジャーナリストは見事にトランプ現象を読み解いていたのに、大きく取り上げられることもなく、ズサンな情報ばかりが流布され、大衆を惑わすだけで何の役にも立たなかった。

 

情報分析能力に欠け、プロパガンダに翻弄されて世界大戦に突き進んだ過去に似ていなくもない。

 

事実を見極めるには何が必要なのだろう?

 

今回の大統領選挙報道は、マスメディアの流布した大量の情報への疑念だけが鮮明となり、偏向し続けた報道の罪過を問う契機にもなりそうである。

 

事実を認めようとせず、過ちを正すどころか正当化するための報道に躍起になっている日本のメディアはトランプ叩きを続けているようだ。

 

かつてレーガン大統領が誕生する前もこんな感じだったような気がする。

 

私はマスメディアを信用してこなかった。

これが幸いして、屑のような情報に翻弄されることなく米国大統領選を眺めることが出来たのは幸いだった。

 

そして、今後は更にマスメディアを信頼しなくなる。

 

現在のメディアにどれほどの取材能力があり、情報分析能力があるのか?

それは今後の報道を眺めれば明らかになるはずだ。

 

何はともあれ、日本が対米外交をどのように進めていくのか、それが最大の関心事である。