拉致被害者 有本恵子さんの母 嘉代子さんが死去NHK

北朝鮮拉致犯罪 被害者家族 有本嘉代子さんのご冥福をお祈りします。

 

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悲しいというのは当然ですが、とても悔しいです。というのは旧自民党の親北政治家や野党やこの引用したNHKの様な左翼が北朝鮮拉致犯罪の解決を徹底的に遅らせた事に対する反省が現在も一切無いからです。

 

大半の左翼やマスコミが「北朝鮮拉致犯罪は右翼の捏造」と言い続け、北朝鮮が認めた後ですら「北朝鮮拉致を報道すれば在日朝鮮人が差別されるから事さらに報道するな」と言い続けました。

 

かつてマスコミで従軍慰安婦が事実として語られていた時代、韓国人や左翼コメンテーターの多くが「日本は慰安婦のお婆さん達が亡くなるのを待っているのか!」と言っていたが、捏造の慰安婦に謝罪せよと言っていた連中こそが、拉致被害者家族が高齢化して亡くなるのを待っているとしか思えない。それ程に左翼は人の命に冷淡な腐った連中。

 

個人の才覚では解決し得ない問題

 

これから起こる事は目に見えている。徹底的に北朝鮮拉致犯罪の解決を遅らせ困難にした連中が「安倍首相は何をしている!解決する気が無いのか!」とイケシャアシャアと言い出すだろう。左翼だけでは無い、真正保守と標榜する方々を中心に「安倍では拉致は解決出来ない!」と言い出すだろう。

 

しかし自分は敢えて安倍首相を擁護する。何故か?北朝鮮拉致犯罪は個人の才覚、政治家個人の交渉能力、外交能力云々では解決出来ないほどの困難な問題であり、そしてその困難の最大の理由は北朝鮮が事実上体制転換、体制転覆しない限りは絶対に拉致被害者全員を解放する気が全く無いからである。

 

こうした真実をみんな判っているのに、「交渉しない安倍は酷い」等と言い出す左翼は、北朝鮮に有利な交渉材料で北朝鮮が解放しても支障が無いごく少数の帰還だけで手を打とうとする反人道主義の人間であり、「早く北と交渉して欲しい」という被害者家族のご発言と見かけ上逆行すると誤解されても自分は安易で性急な交渉を迫る左翼勢力はハッキリと「偽善者」であると思う。

 

唯一の解決のチャンスだったトランプ空母部隊の北朝鮮包囲網

 

こうした解決困難な拉致犯罪が一回だけ解決に向かった瞬間があった。数年前核実験とミサイル乱射に対抗する為に数隻の空母を中心とする機動部隊をトランプの米国が朝鮮半島周辺に配置した時だった。この時はトランプが本当にモンスターだと誤解されていた時期だから、北朝鮮は本気で狼狽している状態で、この時包囲陣をもっと長期間解かず、安倍首相の電撃訪問が実現していたら拉致が解決した可能性が1/100はあったかもしれない。

 

けれどもトランプは易々と包囲網を解き、あろう事かマティス&ボルトンを辞任させてしまった。しかも現時点までのトランプの行動を分析すればモンスターというよりも容易に折れてしまう自国の安全にしか興味が無いただの老人という風にしか見えず、再び半島に2,3隻の空母を集めても以前ほどの脅しの効果があるとは思えない。(こうした分析は外れたら外れた方が良い)

 

左翼がこうした状況下で「以前安倍首相はいつでも北朝鮮と交渉すると言っていただろうが!」と言っても、その時とは全く状況が違う。仮に保守と言われる人々でも左翼と同じ様に安倍首相をあげつらうだけならそれは内実的には左翼と変わらない。

 

また北朝鮮に対して1ミリでも交渉で優位に立つ為に、外交交渉と両輪である安全保障としての自衛隊の国軍化明記やその他の憲法改正に反対する連中も同罪である。トランプの空母部隊=軍事力による脅しが効果を発揮した事を一切認めず、とにかく裸一貫で安倍首相に交渉して来いと連呼する連中は事実上解決するなと言っている人間である。

 

誤解されない様に一応書くが、自分は安倍支持者だが、安倍首相に何でもかんでも賛同するという訳では無い。けれども拉致犯罪解決に対しては「解決困難と本当は判っているのに、安倍首相の才覚の所為で解決出来ない」と言い出す連中が無性に腹が立つだけ。

 

そして拉致犯罪が社会から認められず、ごく少数の人間しか関心が無かった時代から熱心に取り組んでいる安倍氏に対して「本心では解決する気が無いんだろうヒヒヒ」みたいな事を言い出す連中こそが解決を困難にした者達であると断言する。

 

拉致被害者 有本恵子さんの母 嘉代子さんが死去NHK

2020年2月6日 19時12分

留学先のヨーロッパから北朝鮮に拉致された神戸市出身の有本恵子さんの母親の嘉代子さんが今月3日、兵庫県内の病院で亡くなりました。94歳でした。

 

有本嘉代子さんは、昭和58年、イギリス留学を終えてヨーロッパを旅行中に北朝鮮に拉致された有本恵子さんの母親です。

昭和63年に、恵子さんが北朝鮮にいることが分かって以降、30年以上にわたって、夫の明弘さんとともに救出活動を続けてきました。

平成9年に拉致被害者の家族会が結成されてからは、全国を回って署名活動や講演を行うようになり、被害者の一刻も早い帰国を訴えてきました。また、横田めぐみさんの母親の早紀江さんと親交が深く、定期的に連絡を取り合っては互いの健康を気遣う仲でした。

毎朝、神戸市内にある自宅の神棚に手を合わせて被害者の無事を祈り、夜は食卓に娘の分の食事を用意して恵子さんとの再会を誓っていました。また毎年1月12日の恵子さんの誕生日にはケーキや赤飯などを用意して祝い救出への覚悟を新たにしていました。

94歳と拉致被害者の家族の中で最高齢だった嘉代子さんは、数年前から持病の心臓病が悪化し、平成28年4月に手術を受けて以降は活動に参加することがほとんどできなくなりました。

その後は入退院を繰り返し、去年9月に一時退院した際には自宅でNHKの取材に応じ「恵子を取り返してほしい。それ以外は何も思い残すことはありません」と話し、肉親の早期帰国に結び付く政府の取り組みを求めていました。

嘉代子さんはその後再び入院し療養を続けていましたが、家族などによりますと、今月3日の午後、心不全のため兵庫県内の病院で亡くなりました。

平成14年の日朝首脳会談以降政府が認定している拉致被害者の親で、子どもとの再会を果たせないまま亡くなったのは嘉代子さんで7人目となります。

夫の明弘さんは「北朝鮮に拉致された恵子を取り戻すために、嘉代子と二人三脚で頑張ってきましたが、妻は力尽きてしまい、今は全く気持ちの整理もつかない状態です」というコメントを出しました。

去年9月「とにかく恵子を取り返してほしい」

有本嘉代子さんは去年9月に一時退院した際、NHKの取材に応じていました。

嘉代子さんは当時体調が安定したため一時退院し、神戸市長田区の自宅で夫の明弘さん(91)に付き添われながらベットに横になった状態で短時間インタビューに応じました。

嘉代子さんは恵子さんについて「あの子たちも大変な目にあってきたんですから日本に帰ってきてもう一度、生活してほしい」と語りました。

そのうえで「とにかくこの問題だけは今の時代に片づけていただきたい。とにかく恵子を取り返してほしい。私は一生懸命生きて、一生懸命子どもを育てて、まあ、一生まともなことができたから、何も思い残すことはないんです。だから恵子のことだけです」と述べ、娘との再会への強い思いを語っていました。

また夫の明弘さんは当時、嘉代子さんを元気づけようと、20代のころの嘉代子さんの写真の、破れたり折れて痛んだりした部分をきれいに修復して、額に入れて見せるなどしていました。

明弘さんは「それはもういままで見たことのない、顔を見ることができた。恵子というのが1番気になってるわけ。それのためにこの何十年間ずっと晩も寝られんだよなぁ、そんなことばっか考えて生きてきてんやからなぁ。できるだけ長いこと生きてもらわなあかんさかい、いろいろなことをしようねんけれどな、今」と話しました。

そして「国と国が安心してつきあえるように持って行くのが政治の仕事やねん。恵子は生きているはずやねん。早いところよい話しを聞かせてやりたい」と訴えていました。

曽我ひとみさん「残念のひと言では足りない」

拉致被害者の有本恵子さんの母、嘉代子さんが亡くなったことについて、拉致被害者で18年前に帰国した新潟県佐渡市の曽我ひとみさんがコメントを出しました。

曽我さんは「一刻も早く拉致問題を解決し、家族が抱き合う日が来ることを、家族会はじめ関係者一同願って今まで活動してきたのです。志半ばでどれだけ悔やんでいるだろうかと思うと、残念のひと言では足りないくらいです。私なりに家族会と協力し拉致問題が解決するその日まで、有本さんの気持ちとともにできる範囲で活動を続けていきます」としています。

地村富貴恵さん「解決には一刻の猶予もない」

拉致被害者、有本恵子さんの母親の嘉代子さんが亡くなったことについて、北朝鮮に拉致されたあと帰国を果たした地村保志さんと妻の富貴恵さんは「拉致被害者の家族は高齢化し、解決には一刻の猶予もありません。拉致問題が早期に解決され、娘の恵子さんが父である明弘さんと再会できることを心より願っています」とコメントしています。

蓮池薫さん「取り返しのつかない事態が積み上がっている」

北朝鮮に拉致され18年前に帰国した蓮池薫さんがNHKのインタビューに応じ有本嘉代子さんが亡くなったことについて「どんなに悔しい思いで逝かれたのかと思います。被害者の親が亡くなることは取り返しのつかない事態が積み上がっているということです。政府には『遅れました、早くしましょう』ではすまない話になっていると、改めて感じてもらいたい」と話しました。

蓮池さんは、被害者家族の高齢化が進んでいる状況について「こう着状態が続く中では解決に向け努力をする一方で、肉親が希望を持ち、1日でも長く待ち続けられる状況を作ることも政府の責任です。帰国に向けた努力がどう展開されるか、希望を持てる情報を、家族に伝えるべきだ」と話しました。

そして、北朝鮮のキム・ジョンウン(金正恩)運朝鮮労働党委員長に対しては「家族の皆さんが元気なときに返してこそ、解決の意味があるわけで、いなくなったところで被害者を返しても、『なんでいまさら?』ということになりかねない。北朝鮮にとって、いまが拉致問題を動かす最後のチャンスだと思います」と話し、被害者を帰国させる決断を求めました。

飯塚繁雄さん「政府には全力で取り組んでほしい」

有本嘉代子さんが亡くなったことについて、田口八重子さんの兄で拉致被害者家族会代表の飯塚繁雄さんは、NHKの取材に対し、「被害者の帰国を待つ家族が亡くなられたのはとても悲しく、残念なことだ。しかし、長く時間がたてばこうしたことが起きるのは当然のことで、この事態をいちばん深刻に受け止めなければならないのは日本政府だ。毎回『一刻も早い帰国を』と伝えているが、被害者の帰国に向けて全力で取り組んでもらいたい」と話しています。

田口八重子さんの長男で、母親が拉致された時1歳だった飯塚耕一郎さんは「訃報に接し悲痛な思いです。こうなる前に被害者の帰国が実現できなかったのか、悔やんでも悔やみきれません。40年にわたって家族が会えないまま永遠の別れを迎えるようなことは、もう最後にしなければなりません。北朝鮮の最高指導者は、これ以上、むだに時間を使わず、すべての拉致被害者を帰す決断を今すぐにすべきだ」と話しました。

また、横田めぐみさんの弟で家族会事務局長の横田拓也さんは「残念でなりません。恵子さんに一目でもよいから会わせてあげたかったです。家族としては、政府にぶれずに強力な交渉を求めるしかなく、北朝鮮のキム・ジョンウン(金正恩)委員長には、残酷なことはすみやかにやめ、お互いが明るい未来を築けるよう被害者を帰国させる決断を求めたい」と話しました。

鳥取県米子市の拉致被害者、松本京子さんの兄、孟さんは「先頭に立って被害者の帰国を訴えている嘉代子さんの背中を見ながら運動してきたので残念としか言いようがなく、仲間を失うのは悔しい」と話しました。

そのうえで「帰りを待つ家族が元気なうちに問題が解決するように頑張っていくしかない。ずるずる月日がすぎないよう政府の力で解決してほしい」と話しました。

増元照明さん「ついにこの日が来てしまった」

拉致被害者の増元るみ子さんの弟の、増元照明さんはNHKのインタビューに応じ「嘉代子さんは数年前から体調を崩していたと聞いていましたが、ついにこの日が来てしまったのかと感じています。一緒に署名活動をしたことがありますが、足を止めてくれた人たちに、にこやかにお礼をしていた嘉代子さんの姿が思い起こされます」と話しました。

また、増元さんの母親の信子さんも3年前に亡くなっていて、被害者の家族が高齢化していることについて増元さんは「どうしても娘にもう一度会いたいという強い思いを持ち体を酷使しながらも、長生きしようと頑張っていたのだと思います。政府は、被害者を取り返すためにもっとやれることや、言えることがあるはずです」と話し、被害者を取り戻すための戦略的な取り組みを強く求めました。

市川健一さん「一刻も早く取り戻して」

鹿児島県の拉致被害者、市川修一さんの兄、健一さんは「拉致被害者の親もきょうだいも高齢化しているので政府は一刻も早く取り戻してほしい」と訴えました。

有本嘉代子さんは、30年以上にわたって恵子さんの救出活動を続けてきましたが今月3日の午後、心不全のため兵庫県内の病院で亡くなりました。

市川健一さんは亡くなった有本さんについて「本当に一生懸命、講演や集会で訴えていらっしゃった。20数年間ともに闘ってきた人が亡くなられるのは悲しくてはがゆく、悔しい気持ちです」と話していました。

また、市川さんの両親もすでに亡くなっていることを念頭に「拉致被害者の親も、私たちきょうだいも、みんな高齢化しているので政府は一刻も早く取り戻していただきたい。もっとオール日本で闘ってほしい」と述べ被害者全員の帰国に向けた協力を訴えました。

有本恵子さん拉致の経緯

神戸市出身の有本恵子さんはロンドンに留学中の1983年(昭和58年)、行方が分からなくなりました。

当時23歳。

旅行先のデンマークのコペンハーゲンから家族に手紙が届いたのが最後でした。

その5年後の1988年(昭和63年)、突然、消息が明らかになりました。

同じ拉致被害者で、ヨーロッパを旅行中に行方不明になっていた石岡亨さんから札幌市の実家に手紙が届いたのがきっかけでした。

手紙には、有本恵子さんと赤ちゃんの写真が同封され「事情があって北朝鮮に長期滞在するようになりました。有本恵子くんともども、助け合ってピョンヤンで暮らしております」などとつづられていました。

有本さんの家族は娘の帰国に力を貸してほしいと政府や国会議員に働きかけましたが、当時は拉致事件とは判断されず、事態が動かないまま10年以上がすぎました。

新たな情報が寄せられたのは2002年3月(平成14年)。

北朝鮮に渡った、よど号ハイジャック事件の実行犯の元妻が、有本さんの拉致に関与したと法廷で証言しました。

その年の9月に行われた日朝首脳会談で北朝鮮は、初めて有本さんの拉致を認めましたが、よど号グループの関与を否定したうえで、「石岡さんと結婚し子どもも産まれたが1988年11月、一家でピョンヤンの北にある招待所に移った翌日に、暖房用の石炭ガス中毒で家族全員が死亡した」と説明しました。

しかし、それを裏付ける具体的な証拠は示されず、政府は幼い子どもを連れて突然、不便な場所にある招待所に移動し、その翌日に死亡したとする北朝鮮側の説明は極めて不自然で、信ぴょう性が疑われると判断しました。

有本さんの両親の明弘さんと嘉代子さんは1997年に(平成9年)被害者の家族会が結成されるとこれに加わり、救出を求める署名活動や講演を行ってきました。

毎晩、神戸市内の自宅の食卓に娘の分の食事を用意し、誕生日にはケーキを買って娘の救出を誓ってきました。

有本恵子さんは先月(1月)60歳の還暦を迎えました。

拉致問題の解決は時間との闘いに

政府が認定している拉致被害者のうち安否が分かっていない12人の親で、子どもとの再会を果たせずに亡くなった人は、平成14年の日朝首脳会談以降だけでも、有本嘉代子さんで7人になります。

最近では平成29年12月に拉致被害者、増元るみ子さんの母親の信子さんが90歳で亡くなりました。

拉致問題は、ことし、最初の事件の発生から43年、被害者の家族会が結成されてから23年となり、解決にあまりにも長い時間がかかる中「生きているうちに再会を果たしたい」という家族の思いはこれまで以上に強くなっています。

嘉代子さんの死去で、今も健在な親は、有本恵子さんの父親と横田めぐみさんの両親の3人になりました。めぐみさんの父親で、活動の先頭に立ってきた滋さん(87)も入院生活が続くなど、全員が老いという現実に直面していて、拉致問題の解決は時間との闘いになっています。