「政務能力」「政治屋力」「思想性」政治家必要三要素

 

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むかしの政治ニュースで頻出していた言葉が、地盤看板カバンで小泉純一郎が郵政解散したり、民主党がマニュフェスト言い出したりした辺りから殆ど聞かれなくなったが、決して無くなった訳では無くて、左右政党に関係無く、今もあるんだろう。しかしこれはシナによる尖閣衝突だとか、北による核・ミサイル実験のような侵略が顕在化する以前のプロレス政治の選挙でこそ有利な物で、本来的には有権者が政策で判断するのが正しい。また、ネット上のwikipediaには職業としの政治家には情熱・責任感・判断力が必要だとかある。しかし情熱だったら料理人だろうが誰だろうが持つ要素でもあると思う。

という訳で素人さんながら自分がニュース等を観ていて感じる、政治家に必要な三要素を考えてみる。

1「政務能力」
その物ズバリであり、これが無かったら政治家とは言えない。政策を実行する能力、もっと部分的に言えば演算能力とも言える。一番解り易いので言えば、なんとか税調のようなそればっかり考える事が使命みたいな政治家が極端な例であり、しかし突き詰めれば官僚が代わってやっても実はそっちの方が能力高い場合もありえるような、難しい部分でもある。しかし政策通、何族みたいな言葉が存在するのは、やっぱり政策こそが政治家にとって一番の能力だからだろう。

2「政治屋力」
政治屋力、これこそ昔のTV2時間ミステリーだとか安っぽい風刺作品で批判の的にされる「選挙に当選する能力」「党で頭角を現す能力」「自分が党首になって首相になる能力」「政敵を倒す能力」等の所謂「政局」に関する能力となる。言うまでも無く「地盤看板カバン」なんたら言うのは、この政治屋力を構成する要素という事になる。それこそ盆踊りに笑顔で出る事から、陳情とかを親身になって受け付ける部分から、政党同士の離合集散に関わるような政局勘といった部分まで、この能力が全く無いとほぼ政治家にはなれない。自分はこの能力を完全否定はしない。
が、この部分だけ異常発達してても何の意味も無い。それこそ「党首になりたい」「首相になりたい」「自民党を倒したい」だけを目標に政治家になられても国民はたまった物じゃない。

3「思想性」(=人間性)
では何故1「政務能力」スキルを持つ者が2「政治屋力」を発揮して、困難な道である政治家になるかと言えば、自ら持つ「思想性」を実現する為に他ならない。右派であれば戦後レジュームから脱却し、戦後憲法を改正したいと言った思想を実現したい!という事になる。そしてそうした事の原動力には、「拉致された人々を助けたい」だとか「憲法の矛盾によって犠牲になる人をこれ以上増やしたくない」と言った具体的課題が存在し、そうした課題を課題として感じるのは当人の人間性が重要となる。「情熱・責任感・判断力」等はここに含まれるかもしれない。


日本政治家のパターンを考える

自分がマスコミを観ていて「こんな人に首相になって欲しいアンケート」だとか、昔の2時間ミステリーの「民自党悪徳議員」だとかを観て感じるのは、どのように考えても政治家の一部の特性だけを意図的に強調して、全体像を見ない様に偏向、誘導しているという感じ。

「こんな人に首相になって欲しいアンケート」で現役政治家以外で選ばれる人々、例えば芸能人だとかタレントなんて、絶対にその殆どが政治家として通用しないと推測する。バカにして言っているんじゃなくて、政治家の特性とタレントの特性は全く違う物なのに、「あのタレントはズバズバ物事を言って、是非首相になって欲しい!」みたいな発想が「庶民の風刺感覚」みたいに持てはやす事が批判精神で、それに政治家は「仰る通りです」とペコペコ笑いながら従わないと選挙で落とすと脅すみたいな風潮を感じる。

これは3「思想性」(=人間性)の部分だけをクローズアップして、チャーミングであったり口が巧い人はなんか上手く政治課題を解決してくれるかもしれないという幻想で、現実の政治の困難さの批判材料にしたいだけで、実際にはその当人が1政務能力や2政治屋能力が存在するかは未知数だ。(もちろん偶然兼ね備えてる人もいるだろうが)

所が現実の政治家の方でも戦後の日米安保体制の長い平和の時代が続いた結果、現実の国際情勢と極端に乖離した余りにも思想性が無く、政治屋能力だけが異常発達しただけの中身空っぽの政治家が大量に居たのも事実。もう具体的に名前を出せば、典型的なのが小沢一郎だろう。この者は自民党全盛時とその後の野党時代では全く言っている内容も180度違うし、今回の小池百合子希望の党ゴタゴタでも、なんとか打倒自民の為の野党連合の野望を実現させようとした。もうここまで来ると、時代劇に出てくる復讐鬼みたいな物で、何の為にそこまでやりたいのかさっぱり理解出来ない。全盛時(政務能力15、政治屋力120、思想性5)みたいな訳の判らんパラメーターである。故小渕元首相や海部に対する対応をみると人間性は最悪だろう。

「真正保守政治家」は何故力を得ないのか?
よく左翼が安倍支持者を「ネトウヨ」ネット右翼と何故か呼んでいるが、実際には国際基準で見ると安倍首相は中道右派くらいであり、民族派でも無ければ極端な右派でもナショナリストでも何でも無い。これは嘘でも何でも無くて、例えばTVで普通に放映しているニュースで欧州とかで「極右政党」とか言われている政党が出てきたら、ネットで政策を調べて、安倍氏と比較すれば一発で判る。

逆に平和的だとか宥和的だとか言われているメルケルのドイツを見て、憲法改正の歴史だとかPKFでの戦死者の過去等見れば、メルケルが「憲法改正なんて許せない!」とか「国軍は廃止する!」とか一言も言ってない時点で、安倍氏なんかよりも「ウヨ」という事になる。英フランスも同様。

TVが長く欺瞞を行っているだけで、「憲法改正」も「国軍創設」も「集団的自衛権」も国連加盟国なら普通にある事で、これを目標としている安倍氏はこれ自体では右派でも左派でも何でも無く、プラマイゼロという事になる。

で、ようやく次世代の党や日本のこころがかろうじて「右派」という事も言えるかもしれないが、やっぱり各国のナショナリストなんて言う人々とはかけ離れて平和的な主張でしか無い。

では何故日本で真正保守政治家が実行力を持つ政治的勢力になれなかったのか?と考えると、小沢一郎なんかと真逆に大半の保守政治家が1「政務能力」3「思想性(人間性)」は高いのに2「政治屋能力」が少し苦手とされる方が多いのではと推察する。では何故政治屋能力が苦手かと言えば、一つは日本全体が左翼支配だった為に、右派保守となられる政治家の絶対数が少ないから、という事が一番にあると思う。そしてもう一つは保守思想を重要視されるという性格の傾向自体が、武士的というか、一徹な人間性だからこそ政治屋能力を回避してしまうのではとも思う。

その中で左翼マスコミや文化人が揶揄するような多くの真面目な人々が実際には中道右派の安倍氏を現在強く支持する事は、ここが歯止めであり、また首相を狙える、実際に首相としてテロ準等の必要な政策を実行出来るという「政治屋力」を評価している部分も大きいと思う。どれほど崇高な理念や思想があっても、実際に法制度化出来なければ何の意味も無い。

政治家の能力値比較

※本来は一人100ポイント換算だけど、突出した例

 

昔の小沢一郎(典型的政治屋型=政局型)

(政務能力15、政治屋力120、思想性5)

政局で政党を作ったり政党を渡り歩いたりは巧みだが、全ては日米同盟体制下の偽りの平和の社会の中での争いであり、中国朝鮮情勢激動化で陳腐化。

 

むかしの保守政治家(思想偏重型)

(政務能力19、政治屋力1、思想性80

人間性、思想性はとても素晴らしいが、大きな政党を作ったり、首相になる政治屋力は皆無。所が思想性に対する厚い支持層が存在するので、政治家単体としては成り立ってしまう。

 

安倍首相(超歴史級スーパー武将型)

政務能力80、政治屋力150、思想性90

〇栄の信長の〇望で考えて下さい。安倍首相はなんやかんや言っても選挙で連勝、安保法案制定等、時代の画期に活躍中の大政治家です。歴史に残る信長の能力と一色家とか姉小路家とは違うんです。

 

麻生太郎副

政務能力130、政治屋力40、思想性60)

 

ある保守政治家(裏スーパー武将)

一般のイメージ・熱血系

(政務能力50、政治屋力30、思想性120

実際・したたか

(政務能力50、政治屋力120、思想性80)

 

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