初めての「クロイツェル・ソナタ」 - 中学必修クラブ「音楽鑑賞部」の思い出
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中学必修クラブ「音楽鑑賞部」の思い出
‐ 初めての「クロイツェル・ソナタ 」
今晩は、“スケルツォ倶楽部”発起人です。
今宵は 私 発起人の 中学校時代の思い出ばなしです。
重度なクラヲタ(クラシック音楽の熱狂的な愛好家 )であるという自身の性癖wに気づいてしまった小学校時代、周囲から自分が かなり孤立していたことを自覚していました。と言っても 別に悩むわけでもなく、強いて言えば 経済的な理由で 聴きたい音楽が自由に聴けないことくらいでしたね、それが悩みと呼べるなら(笑 )ですが。
やがて 私は受験を経て、公立中学校ではなく 某私立中学校への入学が許されました。
そこは、都内にある私大付属の、東京郊外(東村山市 )に建つプロテスタントのミッションスクール(中学/高校一貫教育 )で、聖書と讃美歌を携え、毎朝 礼拝に臨みました。
現在、母校は男女共学になっていますが、私 発起人の通っていた1970年代の中頃は まだ男子校でした。校風はリベラルで開放的、かつ穏やかなもので、私にとっては最高の環境でした。それらは 今も変わらぬ美点であるようですね。
入学して間もなく、キリスト教に基づく人格教育をモットーに催される毎朝の礼拝を通し、神さまが自分に与えてくださった使命とは、まさに「良い音楽を聴くこと 」である、と直感的に「悟った」気になっていました。
音楽を通して得られる喜び、感動、神秘に目を瞠(みは)ることのできる感性を自ずから育てること、自身に与えられし「音楽を聴く」権利と、果たすべき「芸術について学ぶ 」義務をわきまえつつ、神さまと音楽を 心から愛すること・・・ それは、今にして思えば とても “自分に都合よく” 十字架と聖書を前に 誓ったものでした。
♪ 関連記事 ⇒ ブルックナーの交響曲第9番 第3楽章は「十字架上のキリストの最期の七つの言葉ではないか」
♪ 関連記事 ⇒ シューベルト「魔王」 - はい、ココ 試験に出ます !
さて、ええと ここからは、放課後の(課外活動の一環としての )部活動に 現在のハンドベルも ブラスバンドも ゴスペルクワイアも 軽音楽部も まだ存在しなかった、1970年代の回想となります。
この当時は、課外のいわゆる部活動とは別に 授業のカリキュラムの中に「必修クラブ 」と称する時間が(週に一単位時間 )、文部省の指導要領で定められていました。もうすでに現在では廃止されているようですが、私たちの時代(繰り返しますが、45年以上も前の かつて男子校だった頃の 明治学院大学付属 東村山中学校w )には、それが 毎週末土曜日の4時限目という、開放的な時間枠に充てられていましたっけ。
入学直後のオリエンテーション段階で 初めて「必修クラブ」なる授業があり、自由意思で 選択することを求められました。どれどれと その一覧を眺めます - 「ソフトボール」、「サッカー」、「バレーボール」、「バスケットボール」、「英会話」、「囲碁」、「将棋」、「読書」・・・ その下に並んでいる部活名に、一瞬 わが目を疑いました。何と「音楽鑑賞」というクラブを発見したからです。クラヲタにとっては、まさに夢のような時間ではありませんか。内心興奮しながら、私は 手元に配られた登録票に「音楽鑑賞部」を希望しますと書いて、大きくマルで囲みました。
いよいよ初めての必修クラブ - 土曜日の 4時限目、ワクワクする気持ちをおさえつつ視聴覚教室に向かいました。
けれど・・・ まあ決して失望したとまでは申しませんが、少しがっかりしました。
と、いうのも 顧問を務める寡黙な数学の先生が ライブラリーの中からLPレコードを一枚選んできて、黒板に作曲家名とタイトルを書き、時間までレコードの演奏を流して終わり、というもの。
先生ご自身は 音楽がお好きなようでしたが、通り一遍な説明以外 積極的には 特に解説もされず、ご注意もなく、音楽が始まればさっさと目を閉じて、深く聴き入っておられるように見えます。終業のチャイムが鳴れば 音楽が途中でも、「授業 」はそこでお仕舞いになります。特にレポートも無し、感想文提出なども無し、本人がサボろうと思えば どこまでも楽(ラク)できてしまう、そんな「クラブ」だったのです。
どうやら「音楽鑑賞」部は、以前から学校内では ずっとこんな風だったらしく、そんな居心地の良さ(?)を聞きつけ、ヤサグレた三年生の選択人数が10名と 最も多く - 彼らの殆どが古典音楽への興味など全くなく - どう考えても息抜きに出席していることは 明白でした。いえ、静かに自習するとか、せめて居眠りするとかならまだしも、ベートーヴェンに退屈した挙句 お互いにちょっかいを出し合ったり、ふざけ戯れ合ったり、顧問が目を覚まさぬよう そっと音を立てずに廊下へ出ていってしまったりと、最初の一時間で、三年生らの かくも大胆な受講態度に、新入生だった私 発起人は衝撃を受けました。
かなり期待して入部した必修の授業時間に このような体験をすることになろうとは、ちょっと信じられませんでした。そのせいなのかどうか不明ですが、二年生はおらず、一年生は 私 1名だけ、計11名 という選択人数でした。
たとえ 10対 1 という圧倒的な人数差でも 不真面目な三年生たちを叱りつけ、鑑賞態度を改めさせました- という学園ドラマみたいな展開だったら 格好いいですが、この当時、男子中学校の上下関係の厳しさは、おそらく 今よりも遥かに大きく、入学したての一年坊主だった私が 目上で先輩の三年生に注意を与えるなどという状況は、考えられませんでした。はー 意気地なくて スミマセン・・・
しかし、今にして思えば - という話ですが、ホント「今にして思えば」顧問の教師と この授業(クラブ運営 )の在り方について、よく話し合えばよかったなあ、と回想しています。考えようによっては、顧問の先生には 今、お詫びしたい気持ちでいっぱいです。
たとえば、毎回鑑賞する楽曲について、生徒が(一名でも二名組でも )持ち回りで 選曲から解説までを 担当する交替制にして、授業を準備する習慣を身につけさせれば かなり面白くなったのではないでしょうか、先生?
私たち生徒は、次回の係が自分だと思えば、予め図書館のレコード・ライブラリーに出向いて 何かレコードを一枚選ぶことになります。そして、楽曲を聴く前に作曲家や演奏家について スピーチするため、鑑賞前に 話すべき情報を事前に調べる必要が生じるでしょう。スピーチの内容も 事前に顧問がチェックするようにすればよいのです。そうすれば 担当する生徒のスピーチに対して 指導者がコメントを与えたり、さらには 生徒同士で意見交換したりする空気まで醸成できたかもしれません。
ああ、もし今の私が顧問を務める立場だったとして、そんな提案を してくれる一年生がいたら、大喜びで協力しますね。
当時(今はどうかな )一単位時間は 45分だったと記憶しています。準備や解説の時間を差し引けば レコードのプレイング・タイムは 30分程度になってしまうでしょうから、長い曲なら事前に抜粋すべき個所を決めておき、中途半端に終わらせぬよう配慮する必要もあります。例えば、果敢にベートーヴェンの「第九」を選んだ生徒がいたとしても、無計画に冒頭から流すのではなく、2~3週に分けるか あるいは終楽章だけに絞って 授業時間内に聴き終えるよう、指導顧問が仕向けるべきでしょう。
クラスの同級生や後輩、あるいは先輩が、どんな曲を選ぶだろう、そして一生懸命に解説までするとなれば、自ずから授業に臨む態度も変わってきたでしょう。お互いに真剣に、さらには楽しんで、発表者のスピーチを聴き合う習慣も きっと生まれたでしょう。
担当して自分が選曲した音楽は、解説するためのスピーチを考えるのに苦労した経験を経て 思い出の一曲として記憶に残り、あるいは その後 将来に渡って 本人の成長のBGMとして鳴り続けるかもしれません。
これを毎週繰り返す習慣とし、一年間も継続させれば、もうそれは立派な芸術研究です。
さらに、文化祭のシーズンとなれば 視聴覚室を開放した上、45分交替で 生徒(部員)らが授業で自分が選んだ楽曲について、父兄や学外の友人など一般の来場者に向け、演壇で解説しながら レコードをかければ、きっと研究発表的な評価も得られるでしょう。
以上、今にして思えば - という、しようもない話題でしたが。
あの時、自分が何をすべきだったか / しなかったか、ということでもなく、教室で 先生に一つの型を 主体的に示し、中学生が音楽芸術を鑑賞する授業を行うとしたら いかなるシステムを実践すべきだったのだろうか、という反省です。ああ、知恵も勇気もなかったなあ。これが、せめて今だったらなあ・・・
と、そんなことをくよくよ考えながら、もとい。初めての 必修クラブで 顧問の先生が視聴覚教室に携えてきた 一枚のレコードが 何だったか、中一だった自分が じっと注視していたことを 私 発起人、今 突然思い出します。
ザワザワざわつく上級生の気配も止まぬ教室の中、そのレコードをセットした顧問の先生は、教壇の椅子に腰かけ、目を閉じました。
さあ、当時 新入生だった 私“スケルツォ倶楽部”発起人 独りだけ、一番前の席に座って、スピーカーから流れてくる針の音に続き、ヴァイオリンが 無伴奏で奏でる精妙な前奏に 耳を澄ませます - 。
それが、初めての「クロイツェル・ソナタ 」でした。
ベートーヴェン
ヴァイオリン・ソナタ第9番 イ長調「クロイツェル 」
(併録:同第5番 ヘ長調「スプリング」 )
ヴォルフガング・シュナイダーハン(ヴァイオリン)
カール・ゼーマン(ピアノ )
録音:1959年 5月 ウィーン、ブラームス・ザール
音盤:D.G.(国内ポリドールL.P.ヘリテージ・シリーズ MH-5014 )
ヴォルフガング・シュナイダーハンによる、これも 今にして思えば 端正でも個性の薄い演奏であり、実は 最初のうち よく理解できませんでした。今なら大好物な名曲ですから われながら信じられませんが、初めて耳にした 中一の春には、正直に申して、まだ全然ついて行けなかったことを告白します。
どちらかと言えば 同じレコードにカップリングされている「スプリング・ソナタ 」のほうを むしろ(すでに好んでいたので )聴きたいなあ、などと この時 教室で脳裏をかすめたほどでした。
けれど 第2楽章 アンダンテ が始まって 間もなく、稲妻が走るような ショックが -
あ、このメロディは・・・
「芸術家のカドリーユ 」だ !
(いえ、正確には「芸術家のカドリーユ 」の中で 引用されていた曲で、原曲が何か 知りたかったメロディだ! です )
▼ 未読の方は こちら から ⇒ 前回の記事「芸術家のカドリーユ 」
「芸術家のカドリーユ 」は、1858年 2月 ウィーン・ゾフィエンザールで開かれた舞踏会のために、ヨハン・シュトラウス二世が その年のコンサート・シーズンをおさらいする目的で「巨匠たちの名旋律を 」引用しつつ 6つの舞踏パートから成るメドレー(接続曲)形式枠に 当てはめた、珍しい作品でした。
メドレーの最後を締めくくる「フィナーレ 」パートで、徐々に速さを加えながら猛烈に盛り上がる、ベートーヴェンの「トルコ行進曲 」に 挿まれる形で登場する「半音階で上昇する気品あるメロディ 」の原曲が、果たして何という曲なのか 気になっても調べる手立てがなく、それまで当時の私にはずっと「謎」だったのです。その曲は、美しい旋律線をもつ歌謡風なメロディにもかかわらず シュトラウスの編んだ「芸術家のカドリーユ」の中では、派手なシンバルとスネア・ドラムによって賑々しく飾られていました。
突然 不意打ちのように ヴァイオリン独奏とピアノの二重奏という、まるで化粧を落としたようなスッピン姿な「原曲 」と いきなり出会ってしまった私が、「この曲 」と 自分の大脳皮質の底にしまい込んでいた「芸術家のカドリーユ 」の中で聴き覚えていた 名を知らぬメロディ とが 脳の中で「同じ曲だ !」と 完全一致するまでに 要した時間は、ごく一瞬でした。
- クロイツェル・ソナタ だったのか・・・
その確信を得た私は、胸の中に貯めていた幾つもの謎の一つが 今日もまた解決したことに大いに満足し、ささやかな喜びに 打ち震えたものです。
私の心の中の そんな小さな感動には 一切かかわりなく、授業の終わりを告げるベルが そこで鳴りました。
「はい、今日は ここまで。第3楽章は また来週、聴きましょう 」
と、顧問の先生は目を開けて 教壇に立ち上がりました。
え? こ、これで終わりなんですか? 必修クラブって 一体・・・
レコード・プレイヤーの上で回っていたシュナイダーハンの「クロイツェル・ソナタ 」は、その時 まだ第2楽章 ‐ 第4変奏の途中だったと思います。
では、また次回・・・
⇒ 「クロイツェル・ソナタ 」を、さらに深めて聴きたい方は こちら。
⇒ 世界から ベートーヴェンの「ブリッジタワー・ソナタ」が消えたなら
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‐ 初めての「クロイツェル・ソナタ 」
今晩は、“スケルツォ倶楽部”発起人です。
今宵は 私 発起人の 中学校時代の思い出ばなしです。
重度なクラヲタ(クラシック音楽の熱狂的な愛好家 )であるという自身の性癖wに気づいてしまった小学校時代、周囲から自分が かなり孤立していたことを自覚していました。と言っても 別に悩むわけでもなく、強いて言えば 経済的な理由で 聴きたい音楽が自由に聴けないことくらいでしたね、それが悩みと呼べるなら(笑 )ですが。
やがて 私は受験を経て、公立中学校ではなく 某私立中学校への入学が許されました。
そこは、都内にある私大付属の、東京郊外(東村山市 )に建つプロテスタントのミッションスクール(中学/高校一貫教育 )で、聖書と讃美歌を携え、毎朝 礼拝に臨みました。
現在、母校は男女共学になっていますが、私 発起人の通っていた1970年代の中頃は まだ男子校でした。校風はリベラルで開放的、かつ穏やかなもので、私にとっては最高の環境でした。それらは 今も変わらぬ美点であるようですね。
入学して間もなく、キリスト教に基づく人格教育をモットーに催される毎朝の礼拝を通し、神さまが自分に与えてくださった使命とは、まさに「良い音楽を聴くこと 」である、と直感的に「悟った」気になっていました。
音楽を通して得られる喜び、感動、神秘に目を瞠(みは)ることのできる感性を自ずから育てること、自身に与えられし「音楽を聴く」権利と、果たすべき「芸術について学ぶ 」義務をわきまえつつ、神さまと音楽を 心から愛すること・・・ それは、今にして思えば とても “自分に都合よく” 十字架と聖書を前に 誓ったものでした。
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さて、ええと ここからは、放課後の(課外活動の一環としての )部活動に 現在のハンドベルも ブラスバンドも ゴスペルクワイアも 軽音楽部も まだ存在しなかった、1970年代の回想となります。
この当時は、課外のいわゆる部活動とは別に 授業のカリキュラムの中に「必修クラブ 」と称する時間が(週に一単位時間 )、文部省の指導要領で定められていました。もうすでに現在では廃止されているようですが、私たちの時代(繰り返しますが、45年以上も前の かつて男子校だった頃の 明治学院大学付属 東村山中学校w )には、それが 毎週末土曜日の4時限目という、開放的な時間枠に充てられていましたっけ。
入学直後のオリエンテーション段階で 初めて「必修クラブ」なる授業があり、自由意思で 選択することを求められました。どれどれと その一覧を眺めます - 「ソフトボール」、「サッカー」、「バレーボール」、「バスケットボール」、「英会話」、「囲碁」、「将棋」、「読書」・・・ その下に並んでいる部活名に、一瞬 わが目を疑いました。何と「音楽鑑賞」というクラブを発見したからです。クラヲタにとっては、まさに夢のような時間ではありませんか。内心興奮しながら、私は 手元に配られた登録票に「音楽鑑賞部」を希望しますと書いて、大きくマルで囲みました。
いよいよ初めての必修クラブ - 土曜日の 4時限目、ワクワクする気持ちをおさえつつ視聴覚教室に向かいました。
けれど・・・ まあ決して失望したとまでは申しませんが、少しがっかりしました。
と、いうのも 顧問を務める寡黙な数学の先生が ライブラリーの中からLPレコードを一枚選んできて、黒板に作曲家名とタイトルを書き、時間までレコードの演奏を流して終わり、というもの。
先生ご自身は 音楽がお好きなようでしたが、通り一遍な説明以外 積極的には 特に解説もされず、ご注意もなく、音楽が始まればさっさと目を閉じて、深く聴き入っておられるように見えます。終業のチャイムが鳴れば 音楽が途中でも、「授業 」はそこでお仕舞いになります。特にレポートも無し、感想文提出なども無し、本人がサボろうと思えば どこまでも楽(ラク)できてしまう、そんな「クラブ」だったのです。
どうやら「音楽鑑賞」部は、以前から学校内では ずっとこんな風だったらしく、そんな居心地の良さ(?)を聞きつけ、ヤサグレた三年生の選択人数が10名と 最も多く - 彼らの殆どが古典音楽への興味など全くなく - どう考えても息抜きに出席していることは 明白でした。いえ、静かに自習するとか、せめて居眠りするとかならまだしも、ベートーヴェンに退屈した挙句 お互いにちょっかいを出し合ったり、ふざけ戯れ合ったり、顧問が目を覚まさぬよう そっと音を立てずに廊下へ出ていってしまったりと、最初の一時間で、三年生らの かくも大胆な受講態度に、新入生だった私 発起人は衝撃を受けました。
かなり期待して入部した必修の授業時間に このような体験をすることになろうとは、ちょっと信じられませんでした。そのせいなのかどうか不明ですが、二年生はおらず、一年生は 私 1名だけ、計11名 という選択人数でした。
たとえ 10対 1 という圧倒的な人数差でも 不真面目な三年生たちを叱りつけ、鑑賞態度を改めさせました- という学園ドラマみたいな展開だったら 格好いいですが、この当時、男子中学校の上下関係の厳しさは、おそらく 今よりも遥かに大きく、入学したての一年坊主だった私が 目上で先輩の三年生に注意を与えるなどという状況は、考えられませんでした。はー 意気地なくて スミマセン・・・
しかし、今にして思えば - という話ですが、ホント「今にして思えば」顧問の教師と この授業(クラブ運営 )の在り方について、よく話し合えばよかったなあ、と回想しています。考えようによっては、顧問の先生には 今、お詫びしたい気持ちでいっぱいです。
たとえば、毎回鑑賞する楽曲について、生徒が(一名でも二名組でも )持ち回りで 選曲から解説までを 担当する交替制にして、授業を準備する習慣を身につけさせれば かなり面白くなったのではないでしょうか、先生?
私たち生徒は、次回の係が自分だと思えば、予め図書館のレコード・ライブラリーに出向いて 何かレコードを一枚選ぶことになります。そして、楽曲を聴く前に作曲家や演奏家について スピーチするため、鑑賞前に 話すべき情報を事前に調べる必要が生じるでしょう。スピーチの内容も 事前に顧問がチェックするようにすればよいのです。そうすれば 担当する生徒のスピーチに対して 指導者がコメントを与えたり、さらには 生徒同士で意見交換したりする空気まで醸成できたかもしれません。
ああ、もし今の私が顧問を務める立場だったとして、そんな提案を してくれる一年生がいたら、大喜びで協力しますね。
当時(今はどうかな )一単位時間は 45分だったと記憶しています。準備や解説の時間を差し引けば レコードのプレイング・タイムは 30分程度になってしまうでしょうから、長い曲なら事前に抜粋すべき個所を決めておき、中途半端に終わらせぬよう配慮する必要もあります。例えば、果敢にベートーヴェンの「第九」を選んだ生徒がいたとしても、無計画に冒頭から流すのではなく、2~3週に分けるか あるいは終楽章だけに絞って 授業時間内に聴き終えるよう、指導顧問が仕向けるべきでしょう。
クラスの同級生や後輩、あるいは先輩が、どんな曲を選ぶだろう、そして一生懸命に解説までするとなれば、自ずから授業に臨む態度も変わってきたでしょう。お互いに真剣に、さらには楽しんで、発表者のスピーチを聴き合う習慣も きっと生まれたでしょう。
担当して自分が選曲した音楽は、解説するためのスピーチを考えるのに苦労した経験を経て 思い出の一曲として記憶に残り、あるいは その後 将来に渡って 本人の成長のBGMとして鳴り続けるかもしれません。
これを毎週繰り返す習慣とし、一年間も継続させれば、もうそれは立派な芸術研究です。
さらに、文化祭のシーズンとなれば 視聴覚室を開放した上、45分交替で 生徒(部員)らが授業で自分が選んだ楽曲について、父兄や学外の友人など一般の来場者に向け、演壇で解説しながら レコードをかければ、きっと研究発表的な評価も得られるでしょう。
以上、今にして思えば - という、しようもない話題でしたが。
あの時、自分が何をすべきだったか / しなかったか、ということでもなく、教室で 先生に一つの型を 主体的に示し、中学生が音楽芸術を鑑賞する授業を行うとしたら いかなるシステムを実践すべきだったのだろうか、という反省です。ああ、知恵も勇気もなかったなあ。これが、せめて今だったらなあ・・・
と、そんなことをくよくよ考えながら、もとい。初めての 必修クラブで 顧問の先生が視聴覚教室に携えてきた 一枚のレコードが 何だったか、中一だった自分が じっと注視していたことを 私 発起人、今 突然思い出します。
ザワザワざわつく上級生の気配も止まぬ教室の中、そのレコードをセットした顧問の先生は、教壇の椅子に腰かけ、目を閉じました。
さあ、当時 新入生だった 私“スケルツォ倶楽部”発起人 独りだけ、一番前の席に座って、スピーカーから流れてくる針の音に続き、ヴァイオリンが 無伴奏で奏でる精妙な前奏に 耳を澄ませます - 。
それが、初めての「クロイツェル・ソナタ 」でした。
ベートーヴェン
ヴァイオリン・ソナタ第9番 イ長調「クロイツェル 」
(併録:同第5番 ヘ長調「スプリング」 )
ヴォルフガング・シュナイダーハン(ヴァイオリン)
カール・ゼーマン(ピアノ )
録音:1959年 5月 ウィーン、ブラームス・ザール
音盤:D.G.(国内ポリドールL.P.ヘリテージ・シリーズ MH-5014 )
ヴォルフガング・シュナイダーハンによる、これも 今にして思えば 端正でも個性の薄い演奏であり、実は 最初のうち よく理解できませんでした。今なら大好物な名曲ですから われながら信じられませんが、初めて耳にした 中一の春には、正直に申して、まだ全然ついて行けなかったことを告白します。
どちらかと言えば 同じレコードにカップリングされている「スプリング・ソナタ 」のほうを むしろ(すでに好んでいたので )聴きたいなあ、などと この時 教室で脳裏をかすめたほどでした。
けれど 第2楽章 アンダンテ が始まって 間もなく、稲妻が走るような ショックが -
あ、このメロディは・・・
「芸術家のカドリーユ 」だ !
(いえ、正確には「芸術家のカドリーユ 」の中で 引用されていた曲で、原曲が何か 知りたかったメロディだ! です )
▼ 未読の方は こちら から ⇒ 前回の記事「芸術家のカドリーユ 」
「芸術家のカドリーユ 」は、1858年 2月 ウィーン・ゾフィエンザールで開かれた舞踏会のために、ヨハン・シュトラウス二世が その年のコンサート・シーズンをおさらいする目的で「巨匠たちの名旋律を 」引用しつつ 6つの舞踏パートから成るメドレー(接続曲)形式枠に 当てはめた、珍しい作品でした。
メドレーの最後を締めくくる「フィナーレ 」パートで、徐々に速さを加えながら猛烈に盛り上がる、ベートーヴェンの「トルコ行進曲 」に 挿まれる形で登場する「半音階で上昇する気品あるメロディ 」の原曲が、果たして何という曲なのか 気になっても調べる手立てがなく、それまで当時の私にはずっと「謎」だったのです。その曲は、美しい旋律線をもつ歌謡風なメロディにもかかわらず シュトラウスの編んだ「芸術家のカドリーユ」の中では、派手なシンバルとスネア・ドラムによって賑々しく飾られていました。
突然 不意打ちのように ヴァイオリン独奏とピアノの二重奏という、まるで化粧を落としたようなスッピン姿な「原曲 」と いきなり出会ってしまった私が、「この曲 」と 自分の大脳皮質の底にしまい込んでいた「芸術家のカドリーユ 」の中で聴き覚えていた 名を知らぬメロディ とが 脳の中で「同じ曲だ !」と 完全一致するまでに 要した時間は、ごく一瞬でした。
- クロイツェル・ソナタ だったのか・・・
その確信を得た私は、胸の中に貯めていた幾つもの謎の一つが 今日もまた解決したことに大いに満足し、ささやかな喜びに 打ち震えたものです。
私の心の中の そんな小さな感動には 一切かかわりなく、授業の終わりを告げるベルが そこで鳴りました。
「はい、今日は ここまで。第3楽章は また来週、聴きましょう 」
と、顧問の先生は目を開けて 教壇に立ち上がりました。
え? こ、これで終わりなんですか? 必修クラブって 一体・・・
レコード・プレイヤーの上で回っていたシュナイダーハンの「クロイツェル・ソナタ 」は、その時 まだ第2楽章 ‐ 第4変奏の途中だったと思います。
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