浅草の歴史(鎌倉新仏教とその寺院 律宗・禅宗・浄土宗)その7 | まっちーのブログ

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次に建長寺を見ていくと、鶴岡八幡宮のわきの道を通って坂道を登っていくと巨福路坂(現在の道は1886年に開かれた新しい道)の隧道が見えてきます。

 

 

この巨福路坂は鎌倉へ入る入口の一つでありました。即ち鎌倉の教会に建長寺が建っていたのであります。

 

中世では巨福路坂越えるとそこは建長寺の塔頭が林立する境内に至ったのであります。

 

塔頭というのは禅宗における有力禅僧の墓所のことで建長寺にはかつて四十九の塔頭が建てられたのであります。

 

建長寺は北条時頼が宋から来日した蘭渓道隆を開山として建長元年(1249年)に創建に着手し、建長五年(1253年)に落成した禅寺であります。吾妻鏡に依れば当寺建立の目的は、「上は皇帝の万歳、将軍及び幕府重臣の千秋から天下の太平を祈り、源家三代、北条政子並びに北条一門の菩提を弔うためでありましたとみえます。

 

また、建長寺は堅調という年号を寺名とするように天皇の勅願寺という寺格が与えられ禅宗寺院の五山制度においても第一位に一位に位置付けされています。

 

ただ不思議なことに本尊は一丈六尺(四m八十㎝)の地蔵菩薩でかつて建長寺が建てられる前は心平寺という地蔵を本尊とする寺が建っており、この地は刑場で地獄谷といわれそれゆえに刑死した人々の弔いのためまた、地獄に落ちた人々をも救うためとして建長寺の本尊も地蔵菩薩なのであると云われています。

 

代表 まっちー音譜

 

株式会社 町田絲店 代表取締役

 

 

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