江戸と江戸城(江戸城と江戸城下町の構築)その3 | まっちーのブログ

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そして天正十八年(1590年)八月一日、徳川家康が江戸へ入城します。

 

このことによって、江戸城は近世的な城郭へと変貌していくことになります。

 

家康が入城したころの江戸城の状況について、「石川正西聞見集」は「いかにも粗末で本丸の他に二つの曲輪からなっていたこと、これらの間にあった空堀を埋めて一つとしたこと、のちの西の丸はまだ野原であったこと、石垣などはなく芝土居で上に木や竹が茂っていたこと、大手門は後の江戸城の百人番所の門の場所にあったこと、のちの内桜田門・大手門より三の丸の平川門までの間は土居が築かれていた」と記されています。

 

 

おそらく城の規模などは太田道灌の時代と変わらず戦国の時代を通じて道灌時代の面影がなくなるほど城の荒廃が進んでいたものと思われます。

 

この当時、すでに織田信長の安土城(天正七年1579年)や豊臣秀吉の大坂城(天正十三年1585年)が築かれており建築・土木の大工事によって高い石垣と空にそびえる天守を持つ近代的な平城の時代にはいっていったのであります。

 

 

それにもかかわらず徳川家康がとりあえず入城した江戸城は主のいない中世的な城でしかも荒れ果てた城でありました。

 

代表 まっちー音譜

 

株式会社 町田絲店 代表取締役

 

 

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