日本のレーダー網は、自衛隊、在日米軍基地、空港管制をはじめ、日本全土を網の目のように張り巡らされ、どこで何が起こったのか、すぐに分かる。勿論1985年、日航123便が御巣鷹山に墜落した当時もである。

墜落したのが8月12日午後7時前。

どこに墜落したか断定できないとして、マスコミ各社は長野県側、群馬県側を右往左往。考えてみれば分かるはずだ。墜落現場が特定できないわけがない。しかし墜落現場が特定されたのはおよそ13時間後。翌13日の朝なのだ。

マスコミ各社はなぜ不審に思わなかったのか、不思議でならない。

しかも墜落現場を米軍の偵察機が墜落直後に発見。救援に向かおうと、ロープを下ろそうとした時、横田基地の米軍基地より、自衛隊が救援に向かっているからすぐに帰還せよ、その命令に泣く泣く救援をやめて帰還しているのだ。

この空白の13時間に何が行われていたのか。

自衛隊の特殊部隊が墜落現場にすぐさま降り立ち、特殊任務を遂行していたのだ。

何をしたのか。

そして何を隠蔽したのか。

その謎に迫る。

 

 

 青山透子さんは、科学的な検証を元に自衛隊特殊部隊が、いち早く事故現場に降り立ち何をしたのか、記述している。

自衛隊のミサイルが日航機を撃ち落とした証拠を隠滅し、目撃者を殺すことだった。、