寺小屋から急ぎ足で除夜の鐘打ちに並ぶ友は、そこから駆け足で神社へ向かい、私が追いついた時には、初詣を済ませ、もう神楽を舞っていました。

私は、寺総代や宮総代を勤めた祖父や父から、お前は除夜の鐘も打たなくてよいし、神楽も舞わなくてよいと言付けられていましたので、仏事と神事を風が吹き抜けるように眺めていました。

実は、古代の大晦日から正月の祭りは、今の彼岸だったのです。

ところで、私の元の本籍地は、河内町芳野須原という、今は民家ー軒の場所です。

彼岸には太陽は真西に沈みますが、やがておうし座が天を支配いたします。

その胸にある星がスバル(牛芳星、芳野須原の名)です。

真西に太陽が沈む先には、霊魂の復活が始まるのです。(東西相撲では星取り)

須原川を下りますと、岩戸山に当たり、岩戸山の祭りはお彼岸で賑わいます。

さらに真西に進みますと宇留地区に出て、その先は有明海、そして東シナ海です。

そして大陸にたどり着いた所(河姆渡→鹿本、賀茂)が、8000年以前に、日本人(熊本弁で堰をつくる阿トモ→アドモ→アダモ→アダム)が野生米(まんま)から稲作を始めたところです。

さらに真西に進みますと、須原から見た芳三山のようなインド・カシミール近くのメントーサ(花の園、須弥仙)山のウルガスに出ます。

面白い事に、芳三山の麓も花園です。

そこで、長江から稲作の技術を持ち込み、インドに稲作を広めたのが釈迦族(白飯王)です。

そして、お釈迦様の本名は、牛芳星(スバル)の名です。

お彼岸は日本独特だといわれますが、仏教以前からのルーツでもあったわけです。

さらに真西に進みますと、メソポタミアのウルにたどり着きます。

ずっと真西ですから、私の故郷の須原や宇留と同じ緯度上になります。

シュメール(スメル、スマル、スバル)という高度な文明が突如現れて消えて行ったといわれる所です。

そこで築かれたジッグラトでの一週間(彼岸)が、今、私たちがつかっている曜日なのですね。

そのウルから、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の祖のアブラハムは出たのですから、そしてモーセは、マンナ(種なしパン、餅)を捧げたわけですから、ルーツをたどりますと、宗教宗派間で争いをしている場合ではないですよね。

マンマイチャ。

 

坂口成事