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七色の日にむけて

7月12日 土曜日 晴れ

もうすぐ7月16日 七色の日です

THE WINDSとしては、そんなに活動出来ていないのが現状です。

先日、地元の新聞に七色紙についての記事がありました。

その中に、かけがえのない七色(なないろ)という言葉を生かした地域文化の発信を構想している。とありました。

七色紙が現存しているか?というとそうではなく、ただ僕たちのグループが勝手に盛り上がっている

というだけ、でもこの七色紙は、約400年前に、戦乱の世を儚んで作られたのは事実で、当時の人達は、何をしても戦乱の世は変わらないとあきらめていたのだろうか?

戦乱の世が治まったのは、七色紙の力ではないだろうけど、その後、いの町が発展するきっかけとして七色紙があったおかげという歴史があり、現在に至る訳で苦心に苦労を重ねて養甫尼達が作ったからで、僕たちの活動がすぐに実になるわけではないだろうけど、今後この七色紙の伝説が、僕たちが語り継ぐことによって繋がれば、それでいいのかもしれない。

7月16日水曜日 午前5時商工会に集合
          6時頃、養甫尼の碑の周辺の草むしり等をしたあとお参り
          7時頃、地元の喫茶店にて、七色モーニングを食して解散

商店街で働くメンバーがほとんどなので、その各自自分の店にて仕事をします。

はっきりいって、仕事が増える訳でも、収入が増える訳でもありません。

ただ、なんとかせねば。なんとかしたい。その一心だけです。

自分たちで出来ることを自分たちでする。

興味のあるかた、一緒にうばが森に登ってみませんか?

早朝の山に登って見る、仁淀川や太平洋は絶景ですよ。(*^_^*)

そういえば・・・アメブロがありましたので(^_^;)

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2014.06.11 雨

先日、歴史の好きな女性2人を、いの町の成山に案内してきました。

その場所は、僕が七色紙に関わってから好きになった場所です。

いの町の中心街から、約7キロ。片側1車線の杉に覆われうっそう

とした凸凹な山道を車で約20分登ると仏ケ峠という、いの町全体を

見渡せる場所にでる。仁淀川や天気のいい時は太平洋まで見える

ハイキングコースでもある。

仏ケ峠に整備された駐車場に車を停めて、そこから養甫の小径(こみち)を

20分ほど徒歩にて歩く。昔の人は、こんな道を歩いていたんだなぁと

思うと感慨深い。しかし、この道、自分が初めて歩いた時、本当にこの道であって

いるのだろうかと思ったくらいだから、初めて訪れる人は、案内役がいないと心細い

コースだと思う。もっと案内板があればよいかな。

3人いると、各々得意な分野で話が出来て、面白い。

Mさんは、山野草などに詳しく、いろんな植物の名前を知っている。

あとの2人は、ふーん、へぇの連発(笑)

Tさんは、コスプレに関しての知識や技術にたけていて、名刺の写真などは

クォリティが高い。

そして、最後の急坂を登ると449mのうばが森の頂上に着きます。

そこからの眺めは、先ほどの仏ケ峠よりも、もっといの町と仁淀川と太平洋が

見えます。あいにくの曇り空で、太平洋はよく見えなかったですが、感動して

もらえたようです。その頂上から少し南側に下にいったところに養甫尼の碑が

あります。毎年、7月16日(なないろの日)の早朝にTHE WINDSのメンバーで

掃除をしてお参りに来ています。

この場所は、かつて、養甫が夫と子供達や家臣たちと暮らしていた玄蕃城が見え、

最後の戦場となった、仁淀川、鎌田城、養甫にとっては、波川玄蕃頭蘇我清宗という

夫のもとに嫁いでから約20年間の想い出が一望出来る場所なのです。

その、場所に、養甫は仁淀川から、小石を袂(たもと)に入れてこのうばが森に

登り、皆の供養をしながら暮らしていたという。

その石が約400年を経た平成10年5月16日(ここも色の日)に発見されたのです。

大きい石が百個、小さな石が5、6百個出てきました。

この場所で、養甫は波川の方を見ながら、何を思い過ごしていたことでしょうか?

私たちには、想像でしかない戦乱の世。夫や、子供を失い深い悲しみに沈んだ養甫を

希望あふれる元気をくれたのが七色紙ではなかったのでしょうか?

僕は七色紙の出来た訳をこう考えます。

長宗我部の家紋は、七つカタバミ。カタバミは、クローバーに似たハートの形をした葉です。

その七つカタバミで四国統一をした兄元親。その統一の影でたくさんの失われた命。

養甫は、そんな戦乱の世が終わり、虹のようにきれいな七色紙を見て、人々の心が

少しでも癒されることを願いながら作ったのではないだろうか。

話は元に戻り、養甫尼の碑をお参りして、道の駅クラウドにて紙すき体験をして

いただき、お風呂に入ってゆっくり疲れを癒し、いの町を堪能していただきました。

ガイドの案内役としては、まだまだ勉強不足ではありますが、いい経験をさせて

もらいました。

Mさん、Tさん、ありがとうございました。









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お久しぶりです

みなさん、お久ぶりのいの志士くんとようほにちゃんです。

最近なかなかこちらには書き込みしてなかったのですが、なないろとかいので検索すると

いの志士くんようほにちゃんがヒットするというのに、改めて気づかされ、書き込む記事を増やそうとまた、書き始めた次第です。


さて、いの志士くんとようほにちゃん

いの町の公認?キャラクターとなった高知新聞はみなさん見ていただけましたでしょうか?


他の市町村では、町をあげてキャラの売り出し、町のイメージ発信にと力を入れている所もありますが、

いの志士くんとようほにちゃんは、まだまだ認知不足は否めません。


いの志士くんとようほにちゃんの3D化も計画しますが、資金集めにまだまだ苦労しています。


今度缶バッチを作る予定もありますので、3D化に向けてご協力お願いします。

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