フルベッキ写真 | OH!江戸パパ

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隠された史実にズームイン!歴史ハンター「大江戸おやG!」のブログです。

こちらの記事は2010・5・19にアップしたブログの再録です。

 

長崎歴史文化博物館で開催中の幕末長崎古写真展日本最初の写真は島津斉彬の銀板写真ですが輸入したカメラで撮影しています、彦馬は独学で写真機や薬剤を作り、最初に松本良順を撮影しました・・・ちなみにオランダから写真機を買い島津に献上したのは彦馬の父です。

 

現在幕末から明治期にかけて多くの志士や偉人、一般風俗が写真で確認できるのは上野彦馬のおかげです・・・西南戦争で従軍カメラマンまでしています。

 

古写真は後から顔が消された写真も多く、3人の真ん中で写ると良くないと現代も言われます・・・・・・カメラ目線で写っている写真も少なく、カメラに直接目をやると魂を抜かれると思ったのでしょうか・・

 

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上野彦馬の撮影局跡地、中島川の川べりにある・・・・

 

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上野彦馬使用の写真機・・・

 

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今話題のフルベッキ写真、中央あたりの外国人がフルベッキと娘のエマ、佐賀藩の長崎での英語学校、致遠館の校長のフルベッキで岩倉具視の子息の歓迎の為の集合写真?・・・これを陶板にした商品がなんと10万円で出回っています・・・・・ご注意を・・


 

全員の名前が振られていて、驚くべき事に写真が一枚も残っていないはずの西郷隆盛や龍馬、明治天皇まで名前が出ています・・・

 

 

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写真中央下が坂本龍馬?、その上が高杉晋作?・・・・上海みやげのピストルを高杉晋作からもらい寺田屋事件で身を護った龍馬、位置関係から仲が良かったと考えられる、晋作もあばた顔でそれなりの雰囲気はある本当なら暗殺される直前であり、一番下の最後の龍馬写真と比べるとどうでしょう・・・眉毛のラインや口元は似ています、髪型もまぁ似ています完全に違うとは断定できません・・・


 

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左から小松帯刀?、大久保利通?、西郷隆盛?、この写真最大の謎は写真が残っていないという、西郷さん・・上野の西郷さんの銅像の序幕式で奥さんが「こげん人じゃなか!」と言った話は有名です。

 

キヨソネが描いた肖像画も実際は見て描いてはいない・・・・

 

小松帯刀の写真で正式に認められているのは、眉毛がもっと太くりりしい感じですこの三人の貫禄は他を圧倒しています、佐賀藩の学生には見えません。

 

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フルベッキと娘エマ・・・・エマの下にはなんと明治天皇!うーんどうでしょう、可能性はゼロではありません・・岩倉具視の次男、三男は確認されています。左上は確認されている岩倉具綱、その下は岩倉具慶・・・

 

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龍馬を下中央にして・・右端は陸奥宗光、中央の龍馬、高杉の上(フルベッキの右横)は確認されている岩倉具定・・・・

 

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一番左で刀を杖にしているのが勝海舟?前列左より大村益次郎?、桂小五郎?、中列、中岡慎太郎?、到遠館の創始者、大隈重信・・・・

大熊重信は本物です・・・

 

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諸説入り乱れて、幕末英傑大集合写真ということでだまされて、買う方も多いようです、実際に有名な某百貨店の催事コーナーで10万円で

この写真の陶板が販売されているのを最近でも見ました・・・・・・・・

 

この写真を撮影したとされる上野彦馬の子孫の方はスタジオが明治に改装した後のものと断定し、そうなれば当然龍馬や明治天皇はそこにいるはずはありません・・・・

 

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最後の龍馬写真と目されている写真・・・かなり正装をしていて
 
どこかの藩の重役と会談した時と見られる、くつろいだ雰囲気をわざとつくろうとしたのか、足が不自然になり左手で左足をささえているようだ・・・・よくは見えないが後ろの花は菊であろう。更によく見ると、座っているイスは傾いているし、作りも良くない、ゴザらしきものは敷いているがおそらくは鉢物でも置く台を撮影用に急遽使用したのか・・
 
★フルベッキ写真は数年置きに忘れたころに話題になります。今回はNHKダークサイドミステリーで取り上げられたので、12年前にアップしたブログを複製してみました。次回は日米和親条約について面白い話をしようと思います。