九州国物立博館特別展「はにわ」より
【挂甲の武人 彩色復元】
2023年に文化財活用センターが制作した東京国立博物館所蔵の国宝・挂甲の武人のレプリカ。蛍光X線調査で、赤→ベンガラ・白→白土・灰→白土+マンガンの顔料を使用していることが判明して制作された当時の姿が再現されました。
冑は衝角付冑(しょうかくつきかぶと) 顔を覆う頬当てと後頭部を保護する錣(しころ)が付いています。また鉄板を鋲で組み合わせています。甲(よろい)は小さな鉄板を綴じあわせた挂甲です。大魔神のモデルになったと言われますが冑の形状は違います。
五体の武人の埴輪の中で袴ではなく全身完全武装はこの埴輪だけです。ミニスカートみたいな部分は草摺(くさずり)という腰を守るための鎧です。円筒型の土台は埴輪が立つように埋めるので彩色はしていません。ここで現代の剣道の防具を思い出してみますと、面・胴・甲手・垂(たれ)と古墳時代と変わっていません。草摺が垂の役目をしています。
【埴輪 挂甲の武人】国宝
古墳時代6世紀
群馬県太田市飯塚町出土
九州国立博物館特別展の超目玉、近年修復するとともに左手に持っていた剣らしき物が弓だったと判明して復元されています。また修理の過程で内部に昭和20年のスタンプがある前回修理した松原正業宛の葉書の切れ端が発見されました。
この埴輪の出自を紐解きますと昭和8年頃に長良神社境内の古墳を道路の拡幅工事の為に削り、その際に発掘されました。現在は住宅地になり当時の面影はありません。
当初は物置にしまっていましたが、埴輪修理の専門家の松原正業(岳南)氏が修理に訪れ松原氏の所有になり、その後東京国立博物館が松原氏より購入しました。発掘当時は他にも埴輪が多数ありました。当時を想像すると重要文化財や国宝クラスの埴輪が壊され土に還ったのではないでしょうか。
写真右の弓は修復前はここまで長くありませんでした。修理後に頬当ての高さまで高くなりました。Wikiの写真ではまだ修理前の写真が使われてますのでくらべてください。
【修理前の挂甲の武人】写真はWiki
埴輪の修理はバラバラの部品の状態にして、前回修理の石膏部分の取り替え。石膏などで足りない部分の補填、ひび割れ補修、清掃クリーニング、継ぎ目等の補彩があります。アクリル絵具や岩絵具で補彩しますが、後から補修痕がわかるようにわざと少し色を変えます。今回の修理では前傾姿勢になっていたのが矯正され、弓の部分を長く修復されています。研究が進み新たに修復のまちがいや追加があれば次回の修理までまたなければなりません。今回の修理はバンクオブアメリカが寄付がありました。
左【埴輪 挂甲の武人】
古墳時代6世紀 重要文化財
群馬県太田市世良田町出土
胡籙を腰に下げて、袴は無門
奈良・天理大学附属天理参考館
右【埴輪 挂甲の武人】
古墳時代6世紀
群馬県太田市出土
昭和36年に日本の古美術商がシアトル美術館のフラー館長に売る。
アメリカ・シアトル美術館
左【埴輪 挂甲の武人】
古墳時代6世紀
群馬県伊勢崎市安堀町出土
アメリカの埴輪と酷似
千葉国立歴史民俗博物館
右【埴輪 挂甲の武人】
群馬県太田市成塚町出土
古墳時代6世紀 重要文化財
相川考古館