#関節夫の手のひら小説35
解放区
圭介は小さな喫茶店で真里子を待っていた。窓際の席には、コーヒーの湯気がゆっくりと立ち上っている。久しぶりに会う彼女の顔が、どんな表情を浮かべているのか、彼には想像もつかなかった。
真里子が店に入ってきた。薄いベージュのコートを脱ぎ、微笑むでもなく無表情でもない顔で圭介に歩み寄る。席に着くなり、彼女は一言こう言った。
「解放区を探しに行かない?」
圭介は少し驚いたが、彼女の提案にはどこか引き込まれるような魅力があった。解放区――それが何なのか、具体的にはわからない。ただ、言葉に込められた響きに、胸の奥で何かが動くのを感じた。
二人は車に乗り、目的地のないドライブを始めた。都会の喧騒を離れ、どんどん山の方へ向かう。道中、真里子は静かに話し始めた。
「圭介、私はずっとどこにも居場所がない気がしてたの。家族の中でも、職場でも、恋人と一緒にいてもね。でも、圭介といると、少しだけ違うの。あたしの解放区は、圭介といるこの時間なのかもしれない。」
圭介はハンドルを握りながら、彼女の言葉を反芻した。真里子と出会った頃、自分もどこか閉じ込められているような感覚を抱えていた。社会の期待、家族の期待、そして自分自身が作った壁。そのどれもが重くのしかかっていた。
車はやがて小さな湖のほとりに着いた。風が冷たく、澄んでいる。二人は車を降りて、湖を見つめた。
「ここが私たちの解放区でいいかな。」真里子がぽつりとつぶやく。
圭介は頷いた。「どこにあるかじゃなくて、誰といるかだよな。」
真里子は笑った。初めて見るような、心の底からの笑顔だった。
解放区――それは特別な場所でも、壮大な夢でもなかった。ただ、お互いを受け入れ、心を許せる瞬間。それが二人の解放区だったのだ。