坂本龍馬と宮崎駿の鞆の浦聖地(1) | 次世代に遺したい自然や史跡

次世代に遺したい自然や史跡

毎年WEB初公開となる無名伝承地や史跡、マイナーな景勝・奇勝を発表。戦争遺跡や鉄道関連、坂本龍馬等の偉人のマイナー伝承地も。学芸員資格を持つ元高知新聞主管講座講師が解説。

<龍馬より宮崎監督の聖地の方が圧倒的に多い>

先日、「世界ふしぎ発見!」で坂本龍馬特集を放送した際、広島県福山市鞆の浦の龍馬の滞在所や、龍馬伝承地の一つと、宮崎駿監督との関係も取り上げられた。それらの内容は龍馬ファンや宮崎ファンなら皆、把握していたことと思う。

 

龍馬は鞆の浦観光に一役買っているが、「崖の上のポニョ」の構想をこの地で二ヶ月間、滞在して練った宮崎監督の聖地(滞在先や立ち寄り地)は龍馬以上に多い。その何割かはポニョの聖地でもある。

故にかつて「ももへの手紙」聖地と龍馬伝承地を訪ねた大崎下島時のように、ダブル聖地探訪コースを紹介したい。尚、龍馬や宮崎監督とは直接関係ない史跡等は割愛する。また、今回は宮崎監督の聖地のみ。

 

鞆の浦の町は狭く、駐車場も皆有料だが、当方はポニョに登場した宗介の母、リサが宗介を保育園に送り届ける際、車で走った道路のモデルの一つ、県道47号の路肩(上図)に駐車した。宮の前橋の東である。

そこの南東向かいから狭い道路が南西に下りているので、これを辿る。この道は平谷川の上を通っているようで、そのまま河口へと下りる。河口の北岸の袂からは、沖の玉津島に向けて長い波止が続いているが、ここを宮崎監督は歩いている。

 

北方を見ると、後地集落が平漁港沿いに広がっているのだが、この風景をモデルに、宗介が保育園へと車で向かうのを海中から追っていた、フジモト(ポニョの父)の視界の風景が描かれた。但し、町並みは実際とは異なる。宮崎監督は実際にあるものをそのままアニメに忠実に描くことはあまりない。

波止を更に進むと集落の東端に本瓦造船所が現れる。これがポニョに出てきた造船所のモデル。車が通る刎ね上げ式の橋はないが、ドックに入っている東晴丸は、作中に登場した第12大浜丸と船体の色がほぼ同じで、クレーンの形状も酷似している。

 

河口手前の市道の十字路まで戻ると、北東に進む。本瓦造船所は敷地内に入れないため、やり過ごし、淀姫神社バス停まで進む。この東側にある「鞆の津ふれあいサロンさくらんぼ」は鞆平保育所の建物を使用しているが、その保育所が宗介の通う保育園のモデル。但し、建物の形状は全く異なり、老人ホームも併設していない。それでも鞆港に堤防毎突き出す造成敷地の雰囲気は似ている。

この敷地の北西隅の県道沿いの堤防からコンクリート階段が波打際へと下りているが、ここの堤防と階段は、宗介が保育園でポニョを入れたバケツに水を注ぎ足し、それを持ったまま海岸へと下りて行ったシーンに出てきた堤防と階段のモデル。堤防の上部の形状と階段の雰囲気はかなり似ている。

 

バス道を更に北上して行くと、東側に商家のような建物の「村上製パン所」が現れる。現在は廃業しているが、宮崎監督がさきほどの波止や、更に南方の阿伏兎観音まで行く際、立ち寄って揚げパン等を買っていたという。

 

次回、「崖の上の宮崎監督滞在所」遠望地やポニョのモデルの魚がいた所等、紹介予定。

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