坂本龍馬と宮崎駿の鞆の浦聖地(3) | 次世代に遺したい自然や史跡

次世代に遺したい自然や史跡

毎年WEB初公開となる無名伝承地や史跡、マイナーな景勝・奇勝を発表。戦争遺跡や鉄道関連、坂本龍馬等の偉人のマイナー伝承地も。学芸員資格を持つ元高知新聞主管講座講師が解説。

<ポニョのモデルを見てうどんをすする監督>

※今回の聖地も宮崎監督のみ。

滞在先の大可城跡のH邸から阿伏兎観音まで歩いたことのある宮崎駿監督は、太子殿に登っても飽き足らず、更に20分ほど登った所にある後山公園まで上がった。高齢者とは思えない体力だが、若い頃、登山でも行っていたのであろうか。

 

太子殿よりも優れた展望が望めるのではないかと思ったのかも知れないが、後山公園には眺望が優れた展望台が複数ある。その中の一つの展望台が「崖の上のポニョ」に描かれている。

津波の後、宗介が人間から魚体に戻りつつあるポニョを抱きかかえ、トンネルを抜け出た先の丘の上にあった「前山公園」(作中名)の展望台がそれ。確か、後山公園内の北側の尾根の東の突端にあった展望台だったと思う。

 

展望台と手摺の形状は似ている。前山公園の展望台の手前には階段があるが、後山公園の展望台は車椅子で上れるスロープになっている。反対側には階段があったかも知れない。

手摺は前山公園のものが木製なのに対し、後山公園のものは金属製で、長さも何倍もある。

この公園は福山市屈指の桜名所であり、瀬戸内海の展望も優れているので、監督も前述の展望台よりも高い位置にある展望台から、しばし風景を愛でたことだろう。

 

後山公園からの帰路は、映画に名称だけ出てきた沼名前(ぬまくま)神社方向に下る道があれば回遊できるが、当方は公園に車で行ったため、他のコースは不詳。宮崎監督は元来た道を引き返したものと思われるので、ここではその通りに説明する。

明圓寺東方のT字路まで引き返すと、すぐ北の反対向きのT字路を東に折れる。明治以前の商家が残る歴史的町並みである。

徳永医院を過ぎて左手に6~7軒目位に、ポニョのモデルになった金魚、らんちゅうを飼っていた「おいしい工房うみひこ」がある。

 

今はカフェになっているが、かつては「食事処海彦」という食堂で、確か、うどんが人気だったような気がする。が、営業していない午前中は看板を出しておらず、且つ、両隣の店とは長屋のようになっているため、分かり辛い。宮崎監督はうどんをすすりながら、水槽で泳ぐらんちゅうを見て「らんちゅう(なんちゅう)金魚や!」と、ビビビッと来たのかも知れない。

 

その向かいのT字路を南に入るとすぐ右手に「ごはんや田渕屋」があるが、ここは2004年11月、「ハウルの動く城」完成記念のスタジオジブリの社員旅行に於いて、何人かが宿泊した所。店内にはハウルのイラスト入り寄せ書きが貼られていた模様。残念ながら写真を撮ることを忘れていた。

田渕屋の先の左手にある「民芸茶処深津屋」は頻繁に監督が訪れていた。ここでコーヒーを飲んでから、鞆の浦の町を散策していたという。監督を虜にしたコーヒーの味を味わってみては。

 

次回からは龍馬関連地も紹介できると思うが、各種文献を探し出せてないことから、説明は簡単なものになると思う。また、ファンなら皆、知っている所。

最近は体調があまり優れないため、このシリーズ記事も毎日投稿できないが、容赦戴きたい。

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