足摺の三ツ石は台形ピラミッドか | 次世代に遺したい自然や史跡

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毎年WEB初公開となる無名伝承地や史跡、マイナーな景勝・奇勝を発表。戦争遺跡や鉄道関連、坂本龍馬等の偉人のマイナー伝承地も。学芸員資格を持つ元高知新聞主管講座講師が解説。

<複数の段状の隅には巨石の立石が>

過去、何度か触れた高知県土佐清水市足摺半島にある「日本ピラミッド」の一つ、本殿山である白皇山ピラミッド(下の写真)と拝殿山(拝所)、三ツ石だが、巨石文明研究家が市販や一般頒布されていない冊子に発表した論文の中に、三ツ石の山(白皇山第二峰)を三段からなる段状矩形(くけい)ピラミッドとして紹介し、各段の四隅に人為的に石を配置してある旨、記述しているのを見つけた。

 

歴史や考古学の専門家の中には、これらを荒唐無稽な説と一蹴する者も多いが、忘れてはいけないのは、足摺半島の巨石文明遺跡群は複数の大学の教授や講師等の専門チームによって「調査気球」を上げる等し、’90年代半ば、学術調査されており、土佐清水市教育委員会も調査報告書を作成している、ということ。

また、「超古代」は未知の部分も多いことから、考古学や歴史学等に於ける「分野」が確立しておらず、定説がないことも挙げられる。この分野の調査結果や研究成果を否定する者は、当該分野に於ける相応な知識を有していないケースが多い。

 

白皇山の中腹から上が、山を加工した五段の段状三角錐型ピラミッドであることも気球による調査で判明したもの。その規模は基部の底辺、二辺が約140メートル、一辺が約85メートルからなる二等辺三角形。

三ツ石の山(標高420m)はピラミッド加工部の基部底辺の長辺約120メートル、短辺約65メートルの長方形。つまり台形ピラミッド。

 

山頂部の東寄りに「三ツ石」(下の写真)と仮称される三個の組み石があるが、その西側には後に白皇山8合目に遷座される白皇権現がかつてあったという。

その経緯からすれば三ツ石の山は「白皇山第二峰」と呼称するのではなく、「元白皇山」或いは「本白皇山」と明記・呼称する方が正しい。つまり、組み石の三ツ石は旧白皇権現の神体でもあるという訳。

 

更に論文や冊子の中には、三ツ石は6個のストーンサークルの中心石である旨の記述もある。また、市販本の中には、山頂部西寄りの南斜面に縦に列石がある様子が描かれたものもある。

 

しかし15年前、白皇山から西尾根を下る形で登頂した時は、それらに気づかなかった。そこで前回記事の影平山巨石遺跡群を探訪後、再度足摺スカイラインから登ってみた。登山口の標高は約370m故、踏み跡がないとは言え、登頂は容易。

 

スカイラインに支尾根が接する場所が登山口。稜線に上がると次々と巨石群が現れる。足摺半島のみならず、全国各地の巨石文明遺跡にもある「三列石」もすぐ現れる。これは三個の石が連なって配置されているケースが多い。

更に登って行くと複数の石を重ねたものも現れるが、根石か人為的組み石かの判断はつきかねる。尾根の南寄りに巨石群が多いが、北寄りには名称のついた立石が複数ある。

 

最初に現われる巨石の立石は「こやまめ石」(上の写真)。これは最初に発見された日本ピラミッドである広島県の葦嶽山にある天狗岩に似ているという。私も葦嶽山には’90年代半ば過ぎに登っているが、コースが違っていたのか、その岩は記憶にない。

こやまめ石は見る角度によっては烏帽子のようにも見えるが、この巨石は段状矩形ピラミッドの二段目の北西角にあたるという。つまり、人為的に配置された石。

 

この石だったと思うが、自然造形か人為的に彫ったものかは分からないものの、前回の記事に画像を添付した、「アルゴ探検隊の大冒険」に登場したアルゴ船に描かれていた目のような窪みがある(上の写真)。彫ったものだとしたら「魔除けの目」か。

更に登って行くと同じく尾根の北寄りに「あづき石」(上の写真)と呼ばれる立石が現れる。餅を重ねたような形状で「重ね岩」とも呼ばれているが、これは一つの巨石を横に切断して切り離した後、再び上に載せたのだという。

 

宗教儀式的意味合いのものかも知れないが、この石はピラミッドの一段目の北西隅にあたる。ただ、一段目も二段目も南西隅には、これだけの大きさがある巨石の立石は見られない。

15年前、三ツ石の上に登ると白皇山の山容が望めたが、今は周囲が木々にさえぎられている。6個のストーンサークルも再び探してみたが、そもそも三ツ石周囲は石に囲まれているようには見えない。

 

山頂の東端は地形に沿って石が置かれているようにも見えるが、西側にはない。白皇権現造営時、撤去したのだろうか。ただ、「完全環状」ではなく、石が半周しているような不完全環状列石でも、ストーンサークルと呼ぶことがある模様。

実際、先日訪れた香川県のメンヒルとストーンサークルのセットも、完全環状ではなかった。因みにそれがある山と尾根続きの山では、巨石文明遺跡につきものの鏡石も確認できた。

 

今回は時間的に、三ツ石から東の白皇山方向の尾根は上らなかったが、三ツ石と白皇山の中間ほどの場所には、「風神の門」(上と下の写真)と呼ばれる組み石がある。

15年前当時の記憶はないが、自分が撮った写真を見る限りでは、数個の巨石が組まれており、天井石の下には空間がある。この形状を門に見立てたのだろう。

 

更に山頂の手前には、大月町にある月山神社の御神体の石のような三日月型石もある。自然の石でここまで三日月の形をしたものはないので、これも加工されたものだろう。

三ツ石に話を戻すが、今回もまた南斜面の列石を探してみた。絶対見逃さないように、山頂の東端下方から西に向けて斜面をトラバースして行ったのだが、確実に人為的と分かる列石は見当たらない。

 

強いて言うなら、山頂部中央から下方の斜面に、並行した二列の列石があるようにも見えなくはないが、断定するには厳しい。他にも斜面には重ねたような石や飛び出たような長い石もあったが、自然のものか加工されたものかの判断はつき難い。

更に斜面を進んでいくと、気が付くと耳元で複数の蜂の羽音がしていた。と同時に耳と手に痛みが走った。蜂に刺されたのである。急いで西方向に逃げ出したが、蜂の飛ぶ速度の方が速いため、逃げ切れない。羽音からすると10匹位いただろうか。

 

つまりいくら逃げても蜂に刺されっ放し、ということ。体力の消耗のせいと、身体の背後を守るため、地面に倒れ込み、マップケースを振って応戦した。しばらくすると蜂の姿は消えた。

蜂の種類は分からないが、よく各種山で見かけるタイプの蜂。森林組合で働いていた頃、植林の下刈り作業で芝蜂の巣に下刈り鎌が当たってしまい、刺されたことが何度もあったが、蜂の大群に襲われたのは初めて。

 

必死に蜂から逃げていたこともあり、現在地が分からなくなってしまった。スカイラインは近いはずなのに、コンパスの針は全く違う方向を指している。

仕方なく、下り易い尾根や川沿いを下って行き、何とか影平山方向の車道分岐の北方に出ることができた。もう日没が迫っていた。

 

と、いうことで三ツ石に登る際は尾根から離れないよう、注意して戴きたい。因みに現在も5ヶ所に及ぶ蜂刺されによるアレルギー反応に悩まされている。

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