お陰様で ぷりりん です🍮

大事な家族を亡くされた方へ

この記事は、2019年父が亡くなった時に書いた物です。
家族が無くなる経験を始めてしました。
その時私が感じたこと、思った事、これからどう生きようかと決意したかを書いてあります。

今は、悲しみのどん底に居るとしても時間が解決してくれます。
この記事を読んで前を向いて下さると嬉しいです。

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2019年12月31日
今年も色々なことがありました。

親の偉大さは亡くなってから知る

2019年11月12日父が永眠いたしました。
二年前、胆管癌81歳で10時間半の大手術をした時からいつかこの日が来ることは、遠からず思っていました。

でも、その終わりを突き付けられるとやはり辛いものでした。

父が入院してから、会社に話して週五日の仕事を完全にシフト制の主人に合わせて、主人が休みの日にいつでも出勤できるように、合いかぎを作って下さり、時間も曜日も自由に出勤できるように優遇してくれ、おかげで父の最期を認知症の母と同居しながら、毎日父のお見舞いに行けました。
最後の親孝行を沢山することができました。

親が亡くなることは、みんなが経験することで、私だけ特別のことではありません。
でも、家族が亡くなることは、辛く悲しい経験になりました。

そして、父の偉大さをお葬式の集まった方との会話、喪中のハガキを出してから、頂いた多くの方たちからの電話で知ることになりました。
父は、比較的自由に生きたほうだと思います。
仕事も一生懸命、遊びも一生懸命、趣味は、麻雀。

そんな父は、友達も多く沢山の方に慕われていたのがわかりました。
数人の方から、「あのような人格者はそう居ないと」父が亡くなったことをとても悲しんでメッセージを下さいました。

今も私の耳には、父がいつも言ってくれた、「困ったことがあったらいつでも言いなさい」の言葉です。
これからは、私が、子供達に同じように言い続けたいと思います。

葬儀の時に知る子供達の成長

父は、退職してから20年以上もたちますし、葬儀に集まる人数もそう多くはないと思っておりました。

確かに、人数的には現役世代より多くはありませんでしたが、私や主人の関係の方たちより、圧倒的に父直接のご友人、知り合いの方たちが集まってくださいました。

そんな中、札幌市街、道外からの親せきが来てくれたこと。
道外からも含めた、私の四人の子供たちと四人の孫たちがそばにいてくれたことは、とても心強く賑やかさに支えられました。
悲しみなの中、家族が多いことは、心強いものです。

2019年終わりに

今年は、親が亡くなるとゆう悲しい年になりましたが、それは、特別なことではなく皆に訪れること。
悲しみは、時が解決してくれます。

家族が亡くなる経験をして、主人との最後の時をイメージできましたし、後20年程しかない夫婦最後の時を大切にしたいと思いました。

子供達にも親が最後の時を間接的に知ったのではないかと思います。

さあ終活の始まりです。
残された人生、主人と子供達と仲良く健康で生きて行こう。
そう思った2019年でした。

今年もブログを読んでいただきありがとうございました。
ぼちぼち書いていきますので、時々遊びに来てくださいね。

ぷりりん=@puririn4 でした💛

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