人々の煩悩と苦しみを食い尽くす馬頭観音 | 日本文化、世界の歴史・健康・ミライにチャレンジ

人々の煩悩と苦しみを食い尽くす馬頭観音



馬頭観音(ばとうかんのん / めづかんのん)

チベット密教梵名ハヤグリーヴァ (हयग्रीव [hayagriiva])は、仏教における信仰対象である菩薩様です。

こちらの馬頭観音仏像、日本的じゃないですよね。個性的過ぎる笑むしろ、かわいいけどニヤニヤ

民族性がでてるウインク

結構な頻度で日本でも馬頭観音石仏は祀られています。昔から馬が生活に密着していたことが伺えます。


馬頭観音は、観音菩薩の変化身の1つであり、いわゆる「六観音」の一尊にも数えられています。

デレデレ柔和相とムキー憤怒相の二つの相をもち、日本では柔和相の姿はあまりみかけません。

そのため、観音としては珍しい忿怒の姿をとるとも言われ、憤怒相の姿に対しても観音と呼ぶことが多いみたいです。🔥怒りが強ければ強いほど馬頭観音の人を救う力が大きく、また馬は大食であることから人々の悩みや苦しみを食べ尽くすといわれています。


先日、長野県の佐久市に小海町という地名を発見し「馬流」という地名を見て?なんだろう?、長野県は海が無いけど?と調べてみると

小海町


ビックリマーク仁和3年(887年)あるいは仁和4年(888年)に起きたとされる八ヶ岳(天狗岳)の水蒸気爆発による大崩落によって千曲川の下の深山(現在の八那池洞門付近)が泥流によってせき止められ、海の口から、海尻にかけて大きな湖ができました。この時土村の除ヶ付近(現在の小海小学校付近)の相木川もせき止められ、相木の入口までの湖ができました(相木湖と呼ばれていた)。

海ノ口の湖水は寛弘8年(1011年)に決壊して無くなりましたが、相木湖はその後も残ったらしく、天正初期(1572年頃)古絵図にも記入されていますので、鎌倉時代の中頃(1300年頃)まであったと思われます。これが当時ここに入って来た人達によって「小海」と名付けられたものが小海の名前の起源と言われています。


また、自然災害で川の水かさが増し、馬が流された事から「馬流」という地名となっているらしいです!付近を探せば馬頭観音も祀られているのかな?時間が無くて探せなかったけど。


地名や土着信仰には、自然災害や人生の苦難を祈りに変える生活の知恵が込められているように感じました。