
皆様こんにちは、いかがお過ごしでしょうか。明日は東京も雪の予報です。暖かくお過ごしください。
ずいぶんご無沙汰してますが日々の仕事に追われて毎日忙しく過ごしております。1月は何かと集まりが多くなり外食ばかりです。水耕栽培のレタスやクレソンを採取しながらレシピを考えてます。
先日JIDAの賀詞交換会で「石川直樹」さんのお話しをお聞きする機会に恵まれてラッキーでした。
https://www.instagram.com/p/DDOVK3aPHZP/?igsh=em1qbTA2eGhtcHA5
彼の話を聞いて、私は強く心を揺さぶられました。石川直樹さんは、単なる登山家でも写真家でもなく、自らの身体を使って地球を知覚し、その体験を記録する旅人なのだと感じました。彼が歩んできた道は、過去の冒険者や探検家たちが開いた道と重なり、さらにその奥へと続いています。
彼の旅のスタイルは、単に目的地に到達することがゴールではありません。たとえば、ネパールの山岳地帯では、登山とは別に荷物を運ぶ仕事を請け負い、現地の人々と共に過酷な環境を歩いたそうです。そこには、ただ登るだけでは得られない経験があり、地形や気候、文化の中に溶け込むことで初めて見えてくるものがあるのだと言います。そして彼はこう語りました。
「身体を使って地球を知覚する」
この言葉を聞きながら、ふと考えました。私たちは普段、どれほど自分の身体を使って世界を感じているだろう?仕事に追われ、日々の生活に流されていると、いつの間にか「自分の身体を通して世界を知る」という感覚を忘れてしまいがちです。でも、本来、食べることも、歩くことも、踊ることも、すべては「世界を自分の身体で受け止める」行為のはず。
だからこそ、私ももっと意識的に、自分の身体を使って世界を咀嚼してみたい。今、私が手がけている水耕栽培のレタスやクレソンも、その一歩かもしれません。自分で育てたものを収穫し、味わいながらレシピを考える。そんな何気ない日常の中にも、「世界を身体で知る」ヒントが隠れている気がします。
生きているからこそ、もっと身体を動かし、手を使い、足を運び、舌で味わい、肌で感じる。そうやって、私自身の旅を続けていきたいと思います。
そして、石川さんの姿を見ていると、生きていることと死んでいくことの境界線があやふやになるくらいの限界の自然を感じるために、あえてチャレンジするという、その精神に強く惹かれました。そこには、恐怖と隣り合わせの世界に飛び込み、身体全体で「生」を感じようとする意志がある。生きることの実感を得るために、自然の懐に飛び込む。そうした境界線の上を歩く生き方に、言葉にできないほどの憧れを抱きました。