ちーーっす。
ご無沙汰しております。
すっかり文章を構築するのが億劫になってくる年齢になってしまいました。まあ、何かを主張していなければ存在できないんじゃないかっていう恐怖からは解放された、と思うことにいたしましょうかねえ。
今日のお題は、私の生業のひとつ「まんが似顔絵」について。
私の似顔絵はホントのところ似顔絵じゃあありません。
見たままを描くわけじゃないから。
じゃあ何を描いているのかというと、モデルになってくださった方の「人生」のワンシーンです。一コマの物語。私が感じる、その方の人生のテーマらしき文言を添えて。
お子さんのまんがポートレートを描くのはとても楽しい。私の言語化が子供たちにとって「祝い」になるように作画する。
たまたまその方が無意識に口にされた言葉がどんぴしゃその方の人生を表現されていたらラッキー!それをありがたくいただいちゃうのですが、そうでない場合はどうするか。
私がその方の語る人生を「言語化」することになるわけです。
つまり、「物語」を形にすることで、私がその方の人生に介入することになる。
いまさらですけど、やばくね?
→「物語を殺せ」前回のブログ参照
差しさわりのない表面的な文言でごまかすこともできるわけですが、(それをお客さんが歓迎してくれるのがわかっていたとしても)まんが作家の不幸な性(さが)としてそれはしたくない。
が、思い切り切り込む方法を採るとなると、その方の人生に影響を与える文言を選んでしまう可能性もある・・・。
ああ・・・。
おまえごときの力ではそんな心配必要ないって?
いや、まんが自体が「物語化」の強力なツールなんですわ。
私自身の力じゃない。まんがという方法を使う限りは、私たちは「力」を振るっているわけなんです。無意識に。
物語の力を知るものとしては、少なくても常に「物語化」の危険性は認識していたい。物語化を手放すことは、今はできないから。
いままでは、どういう言葉・物語で、相手を祝福できるか、それが私にとっての「挑戦」だったわけだけど。
この方法以外に、相手を祝福する方法を見つけることができるだろうか。
「まんが」を離れて、ということだけど。