こういう思わせぶりなタイトルの時というのは大体の場合はそういうお話です。少なくとも私の場合は。

 

実はこれをもって当ブログはお終いとしたいと思います。

 

理由は体力的なものと時間的なものです。

 

当ブログのクオリティはそれほど誇れるものではありませんが、それでも自分の中で最低このラインは維持したいというものはあります。ただ、現状これ以上はそうした最低ラインを保ちつつ続けていくのは難しいと判断しました。
実際にこのブログを終了する決断をしたのは2019年の12月だったのですが、とはいえシーズン途中の半端なタイミングでは終わらせたくないな~という思いもあり、2019-20シーズンが終了するまで続けることにしたのが2020年の初め。
まさかこういう状況になって当初考えていたよりも2ヵ月も余分に続けることになるとは思いもよりませんでした(苦笑)

 

まぁ世の中の大抵のことは“Never say Never”だと思っているので、もし無性に翻訳したいインタビューなどを見つけたとしたら、手をつけてしまう可能性を完全に否定することはできませんが、ずっと続けてきた習慣がなくなった状態でこんな時間と労力のかかることをするだろうか?というとしないだろうな~とも思います。
もともとが面倒くさがりなのです(苦笑)

 

 

十数年前、何となくサッカーが好きで、特にどこを応援するでもなくサッカーを観ることを楽しんでいた私は、スティーブン・ジェラードとフェルナンド・トーレスという控え目に言っても“何となくをそこそこ上回る”くらいには好きだった2人のフットボーラーに導かれて、リヴァプール・フットボールクラブを本腰入れて応援し始めました。

 

気がつけば随分とのめり込んでしまったものです。

たまに“底なし沼にハマってしまった”なんて冗談を言うんですが、でもハマってもそう悪くない沼だとは思っています。

 

それから数年して、暇を持て余していた私はあまり深く考えずにこのブログを始めてしまいました。
もっとよく考えておけば良かったんですけどね。
最初は半年も続かないだろうなんて思っていたんです。

 

本当に深く考えずに始めた為に“山羊男のなんちゃら~”なんて何だかよく分からない名前をテキトーにブログに付けてしまいましたが(苦笑)、それから気がつけば今年で10年。
始めて3、4年くらいした頃に「これ続けたとしても10年だな。その頃にはリーグタイトルも1度くらいは手が届いているかも」なんて、ぼんやり考えていたことを最近思い出したりもしたのですが、節目となる10年目で本当にリーグ優勝を果たしてくれたことは何とも感慨深いものがあります。

間に合ってくれて本当に良かった(苦笑)
しかも、チャンピオンズ・リーグにクラブワールドカップ、スーパーカップなんて豪華すぎるオマケつきです。

 

 

このブログを続けていくのは大変なことも多かったのですが、得難い貴重な経験をすることもできました。
もう時効のような気がするので言ってしまってもいいかな~と思いますが、リヴァプール・フットボールクラブのとある仕事のお手伝いを何年間も続けられたことは本当に貴重な経験でした。ほぼボランティアでしたが、某レジェンドが来日した際に直接インタビューができたことは一生の思い出です。
また、現在の日本で一番読む価値のあるフットボール雑誌だと個人的に思っているfootballistaのリヴァプール特集号のお手伝いをできたことも良い経験でした。わざわざ私が宣伝しなくても売れると思ったのでブログ等では一切触れていませんが(苦笑)

 

あ、そういえば2冊目がそろそろ出ますね(ちょっと宣伝)

 

 

ジェラードとトーレスが2人ともクラブを離れた時にはリヴァプールを応援することもなくなるんだろうか?なんてことを考えたこともありましたが、2人がいなくなった今もちゃんとサポートできている自分をちょっと褒めてあげたいです。これは2人の存在が私の中で小さなものになったからではなく、リヴァプール・フットボールクラブがより大きな存在となったからです。

 

クラブの存在が大きくなり、ブログを続けていく中で、ピッチ上の出来事はもちろんのこと“リヴァプールに生きる人たち”に対する興味をさらに強く持つようになっていきました。
その結果、選手や監督、コーチ陣はもちろん、ファースト・チームで出番を貰えそうにもないアカデミーの子たちから、はては裏方の人たちにまで興味の範囲は広がり、そうした人たちが語る言葉をなるべく削ることなく拾い上げるよう努めてきました。実際に拾い上げてこられたかどうかは別の話なので置いておきます。

 


まぁそうなると必然的に長文インタビューが多くなり、自分の首を絞めることにもなったのですが、彼らの言葉を訳していく作業は大変だけれども、とても楽しいもので、新しい発見をして驚いたり、彼らの飛ばすジョークに訳しながらニヤニヤしたり、エモーショナルな言葉に心揺さぶられて訳しながら涙することもありました。

 

 

そうした趣味の1つを辞めることになるのは寂しい気持ちもありますが、ズルズルと続けるのも良くないと思うし、実際に続けるのも難しそうなので、このあたりでピリオドを打ちたいと思います。

 

もちろん、このブログを終えるからといって、リヴァプールのサポーターを辞める訳ではありません。
彼らのことは今後も、私の心臓が鼓動を刻み続けるかぎり、サポートし続けたいと思います。

 

冒頭で述べたとおり、このブログはさほど誇れるようなクオリティではなかったと思います。

 

それでもご愛顧くださった皆さん。

 

本当にありがとうございました。

 

liverpoolfc.comより。

※公式HPに公開されたのはリーグ中断中の5月です。

 

ミームやTシャツになり、ビデオは何百万回も再生されました。

LFCコメンテーターのスティーブ・ハンターが選んだ4つのシンプルでありながら魅力的な言葉は、クラブの現代の歴史における素晴らしい瞬間の1つとなった場面の衝撃と感情をうまく捉えています。

 

“Corner taken quickly...Origi!”

 

それがアンフィールドでの4-0のリヴァプール対バルセロナで、ユルゲン・クロップのチームはヨーロピアン・フットボールの競争相手に対して瀬戸際からカムバックし、チャンピオンズ・リーグ決勝の舞台、彼らが優勝を果たすことになるマドリードに進むことになります。

 

生涯レッズファンでマイクを持って28年目になるスティーブにとって、それはサー・ケニー・ダルグリッシュ・スタンドの上にある彼のコメンタリー・ポジションで彼の本能が引き出したものでした。

 

「私がもらった最高のアドバイスの1つは、自分らしくあれってことだ。それと自分が観たものをコメントするということだね。」と彼は語りました。

 

「それぞれのコメンテーターには独自のメソッドがあって、実際にはそこに良し悪しはないんだ。私はその瞬間をコメントすることを好むと言うだけだよ。」

 

「あれはビックリするような夜だったし、おそらく私の仕事という点ではリヴァプールの史上2番目に良い夜だったよ。とはいえ、アンフィールドはああいう瞬間を生み出すということがすべてだけどね。」

 

「多くの人にアレを叫んでもらえてね。特に昨年の夏に幸運にもアメリカツアーに同行で来た時はね。でも、正直言って驚くようなことだし、言葉では言い表せないくらいさ。彼らはアレを言ってくれた時には私はニッコリ笑うだけなんだけど、ちょっとエモーショナルな気分になるんだ。」

 

「トレント・アレキサンダー=アーノルドのことをアカデミーでコメントしたのは、彼がまだ15歳の時だったけど、格別に素晴らしいあの瞬間を目撃する為だったんだろうね。彼は素晴らしい若者だし、彼が達成しているあらゆる瞬間に値する子だよ。」

 

「ただただ特別、特別な夜だったし、それでNo6を勝ち取りに行けたんだから、驚くようなことだったね。」

 

リヴァプールFCは、スティーブにとって初恋の相手でした。

 

 

彼のレッズへの所属は母親から受け継がれたものでしたが、試合への熱心な関心は、プロフットボーラーだった叔父のアルフ・ジョーンズの功績によってさらに高まりました。

 

ジョーンズはリーズ・ユナイテッド、リンコーン・シティ、ウィガン・アスレチックでプレイしましたが、1960-61シーズンの開幕日、偶然にもアンフィールドでロジャー・ハントやロニー・モランが出場したリヴァプールのチームを相手にリーズでのデビューを果たしました。

 

スティーブが初めて自身の仕事場となるスタジアムを訪れたのは1984年9月でした。

 

「私の母は何年間も貯金して、初めてリヴァプールの試合に連れて行ってくれたんだ。」と彼は思い起こします。

 

そして、シェフィールド・ウェンズデー相手に2-0の敗北でさえ、彼の熱意を弱めることはできませんでした。

 

「もう夢中になったものさ。それから、アンフィールドロードエンドでレッズを観て、80年代の席にあったすべてのカラーで観て、魅了されたし、ケムリン・ロードやKOPにも立ったよ。」

 

「“ホーム”は最終的にはパドックだったね。1987年から1997年まで、キング・ケニーのダグアウトの真後ろのシーズンチケットを手に入れることができたのは、とても幸運だったよ。信じられないような席だったんだ。」

 

スティーブのチームへの情熱と常に並走していたのは、コメンタリーに対する自然な好奇心で、それは当時の卓越した声によって育まれたものでした。

 

「1974年のFAカップ決勝のビデオでデイビッド・コールマンのセンセーショナルなコメンタリーを聴いてからだね。ピーター・ジョーンズやアラン・グリーン、バリー・デイビス、ジョン・モットソン、ブライアン・ムーアのファンになって、地元のラジオでクライヴ・タイルデスリー、グラハム・ビークロフト、チャーリー・ランバートを聴いて“ワォ、なんて仕事なんだ!”って思ったよ。」

 

彼がコメンタリーに最初に進出したのは、ホーム・プロダクション-サブティオ・テーブルやビデオゲームで行われた試合の自作レコーディング-でしたが、彼の家族によって勇気づけられ才能を明らかにしていきました。

 

趣味を現実のものとする為の重要な一歩はスティーブの祖父によってお膳立てされました。1991年のチルドレン・イン・ニード・オークションにおける土壇場での入札で、トランメア・ローバーズの試合で実際に実況する機会を得たのです。

 

その年の1月18日は、ローバーズがブラッドフォード・シティを2-1で破った日ですが、アロウィ・パーク病院ラジオを通じて、放送された彼のコメンタリーキャリアの正式なスタートを表してもいます。

 

スティーブは、ウィラル・グローブ新聞に転籍するまでの数年間、アロウィ・パークでこの役割を続けました。そこで彼はトランメア・ビート-ここで将来のLFC共同コメンテーターとなるジョン・オルドリッジと初めて顔を合わせます-と通信特派員を続けていました。

 

新しいミレニアムが近づき、クラブがデジタル分野のプレゼンスを確立した際、このウェブサイト上でライブ・コメンタリーを開始する意図を持っていた元レッズの最高経営責任者のピーター・ロビンソンへ手紙を送るチャンスを彼は手にしました。

 

そして、2000年2月13日、アウェイのアーセナル戦でスティーブのリヴァプール・デビューが記録されました。

 

「信じられないほど興奮したね。驚くような経験だったし、LFCの為に働こうとハイバリーのプレスボックスに歩いて行くなんて、夢が実現したというヤツだったよ。」

 

「緑のキットを着たティティ・カマラのおかげで1-0で勝ったんだ。そのシーズンはアウェイゲームをもういくつか担当したんだが、それからマージーサイドに戻るとクラブ公式コメンテーターになりたいかって尋ねられたんだ。それはもう、ワォ凄いぞって感じだったよ。」

 

「コメンテーターとしての最初のフルシーズンは2000-01シーズンだったんだが、ジェラール・ウリエの下でトレブルを決めた時だね!スティーブン・ジェラード、キャラ、ロビー・ファウラー、マイケル・オーウェン、ガリー・マック、ディディ・ハマン、サミ・ヒーピアといった素晴らしい選手たちを目撃できた最初のフルシーズンで素晴らしかったね。」

 

「とてつもなく大きな誇りだし、毎日特権だと感じているんだ。本当にそうだよ。時々自分のことを指でつねってみなくちゃならないほどにね。ヒルズボロの生存者として、このクラブの為に働き、本当に素晴らしい人たちと仕事をしてきたこと、していることを誇りに思っているんだ。」

 

「ファンだから、このフットボールクラブがリヴァプールから世界中に至るまで、皆にとってどんな意味を持つ存在なのかは分かっている-その一員でいられるというのはとても特別なことだね。」

 

スティーブはLiverpoolfc.comに寄稿もしていて、ファースト・チーム、ウィメンにアカデミーを網羅し、クラブのあらゆるレベルで実況しています。

 

雨だろうと晴れていようと彼はそのポジションにいます。

 

彼が関わっている放送を視聴した人であれば誰であろうと、彼の知識の深さやクラブ全体と選手個人に対する彼の情熱と誠実さを高く評価するでしょう-どのチームが試合をしていようとも。

 

「ファンとしてはとても大事なことだと思うし、クラブの従業員としてもそれは同じだよ。」と彼は説明します。

 

「我々皆が一緒にこの中にいて、アカデミーやウィメンチームの組織には、このフットボールクラブに文句なしにすべてを捧げる本当に素晴らしい人たちがいるんだ。スタッフ全員とは素晴らしい関係が築けているし、素晴らしい時間を共有し、一緒に笑っているんだ。」

 

「ファースト・チームやアカデミー、ウィメンで実況する機会を得られたことを信じられないほどに誇りに思っているし、あらゆる瞬間を本当に愛しているんだ。」

 

スティーブは過去20年間の最も歴史的なリヴァプールでの出来事の多くを目撃し、発言してきたことを“非常に幸運”だと考えています。

 

前述のトレブルを達成した2000-01シーズンから-“私はカーディフのプレスボックスの目の前にアーセナルファンがいる状態でアーセナル戦でマイケル・オーウェンが決めたFAカップ決勝ゴールのことをコメントしていたんだ。公平に言って、アーセナルファンは私が夢中になっていたにもかかわらず、穏やかなものだったよ!”-忘れがたいヨーロッパの夜の数々、2005年のチェルシー戦、2016年のボルシア・ドルトムント戦、そしてもちろん、昨シーズンのマドリードでのチャンピオンズ・リーグの栄冠に続くバルセロナ戦での逆転劇まで。

 

ですが、自身のお気に入りを選ぶよう迫られた時、15年前のイスタンブールでの経験はそれらすべてを上回ります。

 

ラファエル・ベニテスのレッズが3点リードされた状態からACミランを倒し、オールド・ビッグイアーを掲げることはおそらく一致しないであろうドラマが繰り広げられましたが、スティーブはその夜リスナーに試合の模様を届ける為にいくつかのハードルを克服しなければなりませんでした。

 

「1試合を選ばなければならないなら、2005年のイスタンブールでなければならないね。我々がやってのけたように逆転してみせ、スティービーGとキャラがスーパーマンみたいにプレイして、翌日にはパレードをしたんだ-それはもう驚くようなものだったね。」

 

「アタテュルク・スタジアムのプレスボックスは電話回線に問題があってね。私のISDNがコメンタリーボックスで使えなかったんだ。だから、自分の仕事用の携帯電話で実況したんだ-請求書をどこに送ればいいのか分かっているものをね!」

 

「サマライザーもいなかったから、自分で試合を記録したんだ。」

 

「クラブスタッフの飛行機を待つ航空ラウンジで一晩過ごしたんだが、ようやくリヴァプールに戻って、街で行われた選手たちのバスパレードに参加できたのはとても幸運だった。あれは素晴らしかったね。決して忘れられないよ。」

 

 

もちろん、コメンテーター人生は90分を超えています。各試合の前には熱心なリサーチが行われますが、即時の正確性が要求されるこの仕事の重要な側面です。

 

これはスティーブが現代のテクノロジーから恩恵を受けていると感じる仕事の要素です。

 

「我々には驚くようなクラブ公式スタッツ担当のゲド・レアと彼の親友のデイブ・ボールもいる。彼らは素晴らしい人たちだよ。彼らの存在はとても貴重だね。」

 

「可能なかぎりフットボールを観て、可能なかぎりリサーチを行う場合だ。最近のリサーチは24時間のスポーツ・チャンネルやソーシャル・メディアなどが存在しなかった80年代や90年代に遡るよりもはるかに多く利用できると思うね。」

 

「LFChistory.netのメンバーも素晴らしいね-歴史的事実の詳細に対する彼らの注意力は素晴らしいものがあるよ。」

 

ただ、よく練られた計画はそれだけで、リアルタイムの出来事を伝えることを使命とする人たちには、目に見えない課題があります。

 

「多くのコメンテーターはテレビスタジオでかなりの数の試合をこなしているから、その意味ではほぼ完璧に機能するすべてのものに依存しているんだが、言うまでもなくそうじゃない場合もあるんだ。」

 

「フィードが減る可能性はあるし、潜在的なゴールがもう一方のエンドに向かっている時にリプレイが表示される可能性もある。それはこの課題をよく表しているね。」

 

「VARの導入もそうでね。2番手や3番手のチェックはモニターに依存しているね。アンフィールドのモニターフィードが一度下がったことがあって、リプレイが確認できなかったことがあってね...オルドが断固として相手はオフサイドだって言えば、私にはそれで十分なんだ。もちろんバイアスはないよ!」

 

プレミア・リーグ・フットボールの現在の中断は、次のフットボールのフィックスを待つ必要があることを意味しています。

 

しかし、確かなことが1つあります。スティーブの地に足のついた情熱は、レッズをピッチに迎え、サポーターが電波に戻ってくるのを待つことになります。

 

「ファンが私のスタイルを気に入ってくれて、ファンを楽しませることができているなら、それは私にとって何よりも意味があるね。私は夢に生きているし、世界中のファンに対して良いサービスを提供することを目指しているし、同時にたくさん楽しいことがあるんだ。」

 

リヴァプールFCで普段注目を集めない仕事をしている人たちにフォーカスを当てるシリーズ。今回はLFCTVで試合実況を一手に引き受けているコメンテーターのスティーブ・ハンターです。

 

リヴァプールの公式チャンネルのLFCTVとその配信サービスLFCTVGOでは、リヴァプールのプレミア・リーグやその他各コンペティションの試合も視聴することができます(権利的な問題でライブはラジオ配信です)が、そのほとんどすべての試合実況をスティーブ・ハンターが行っています。
少なくとも私は、LFCTVを利用するようになってから彼以外の人が実況を担当している試合を観た記憶がありません。

 

ご紹介した記事にあるとおり、彼はファースト・チームはもちろんのこと、アカデミーの試合もウィメンの試合も担当していて、その仕事量には驚きしかありませんね。

相棒のジョン・オルドリッジと時折ゲラゲラと大笑いしたりもしていますが、シンプルで分かりやすい実況は好評で、冒頭のバルセロナ戦での一節は最近特に有名になりました。

 

コメンテーターとしてのキャリアの始め方は今ではなかなかあり得ないような興味深いものですし、彼自身がヒルズボロの生存者というのは驚きですね。

 

ちなみに記事にもあったLFChistory.netはリヴァプールの歴史が詰め込まれたようなサイトで私もよく利用しています。

 

ちなみにちなみに。
ハンターが観戦したケムリン・ロードというのは、最近ファンになった方はご存知ないかもしれませんが、現在のサー・ケニー・ダルグリッシュ・スタンドです。
クラブ100周年の1992年にセンテナリー・スタンドと改名し、その後キング・ケニーにナイトの称号を授与されたことを受けて2017年に現在の名称になっています。

 

 

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liverpoolfc.comより。

 

カーティス・ジョーンズは、2019-20シーズンのプレミア・リーグ2のシーズン最優秀選手賞を受賞し、自身の成長におけるマイルストーンに“興奮”しました。

 

今年初めにCOVID-19のパンデミックの影響でシーズンが縮小されるまで、このスカウサーはPL2で9ゴールを記録していました。

 

そうした印象的なパフォーマンスにより、19歳のジョーンズは、ビリー・ギルモア(チェルシー)、ジャーマル・ヘクター=イングラム(ダービー・カウンティ)、リアム・カレン(スウォンジー・シティ)、レイハーン・タロック(ウェストブロムウィッチ・アルビオン)、ネイサン・ホーランド(ウェストハム・ユナイテッド)を抑えて受賞を果たしました。

 

これはシーズン全体でファースト・チームで12試合に出場したリヴァプールアカデミー出身のジョーンズに対する新たな栄誉です。

 

PL2シーズン最優秀選手賞の受賞を受けて、ジョーンズは忘れらえないシーズンについて語ってくれました。

 

Q.カーティス、プレミア・リーグ2のシーズン最優秀選手賞の受賞おめでとう。君にとってどんな意味がある?

 

「僕にとって大きなものさ。ファースト・チームで素晴らしいシーズンを楽しんだし、U23チームでプレイする時にはいつだって100%全力を尽くそうとしたんだ。U23チームで一緒にやってくれたスタッフ、クリッチ(ニール・クリッチリー)、ジェンクス(ティム・ジェンキンス)やU19チームで一緒にやっていたバリー(ルータス)にとても感謝しなきゃいけないね。チームメイトの皆にも感謝しないといけないし、彼らも称賛されないといけないよ。とても興奮しているよ。」

 

Q.U23チームとヨーロッパのU19チームで17ゴールを決めたね。ファースト・チームの3ゴールも含めると今シーズンは合計20ゴールだ。これは満足しなきゃいけない数字かな?

 

「アレックス(イングルソープ)とバリー、クリッチと一緒に数年間取り組んでいた時には、もっとたくさんゴールを決めたいっていつも話していたと思うし、トレーニングではいつもそのことに取り組んでいるんだ。スティーブン・ジェラードと過ごしたシーズンでも何ゴールか決めていて、それでU23チームに入ったんだ。最初は好きなだけ試合に出られた訳じゃなかったけど、監督とスタッフには敬意を払わなくちゃならないし、チームで僕を守ってくれたことを彼らに感謝しないといけないね。昨シーズンはたくさん試合に出られたけど、僕にはもっと大きな役割があるって感じたんだ。仲間と会う時は試合がある時で僕が何かで急に現れてもやれることを見てもらわなきゃいけなかったからね。僕が必要な時にそうやっていたってことはスタッツが表していると思う。つまり17ゴール、ファースト・チームも含めると20ゴールを決められて、もっと多くのゴールを決められることを願っているよ。」

 

Q.君自身は若者だけど、U23チームの早い段階はとても若いチームだったね。ハーヴェイ・エリオットはたったの16歳でネコ・ウィリアムズは君と一緒で、U18のトム・ヒル、レイトン・スチュワート、ジェイムズ・ノリスのような若い子もいたね。君はキャプテンだったけど、そうした若者を率いて、彼らを鼓舞することも役割の一部だった?

 

「そう、間違いないね。僕が若くてチームに参加する前は僕が彼らの役回りだったんだ。他の仲間たちからはちょっとプレッシャーはあるよ。その理由があるんだからね。仲間たちは、自分たちが上手くプレイできたり、ゴールを決めたり、チャック(ノリス)のようなヤツは試合に踏み止まる為の大事なタックルを決めたり、何なりできることを分かっている。でも、U23でのプレイはU16やU18でのプレイとはかなり違うと思うんだ。それはバカでかいステップだけど、一緒にプレイしたどの若いヤツも襟首を捕まえて試合に臨んだし、それで頭角を現したって言えるね。彼らとプレイした時はいつも本当に楽しかったし、若いチームだったけど素晴らしかったね。」

 

Q.さっきも君は触れたけど、アレックス・イングルソープやクリッチ、バリー・ルータスは君にどれほど大きな影響を与えたの?彼らから受けた指導や激励を君が高く尊重しているのは知っているけど。

 

「間違いないよ。謙虚さと地に足を着けるいう点でアカデミーで僕が出会えた完璧な3人だったね。僕が上手くやれていて、ちょっとした後押しをしたり尻を蹴飛ばす必要がある時にちゃんと伝えてくれるんだ!3人が側にいてくれたのは完璧だったね。様々な年代で僕を押し上げるのはいつが適切なのか分かってくれているんだ。完璧だったよ。」

 

Q.プレミア・リーグ2シーズンでもいくつか際立った瞬間はあって...アーセナルと2-2で引き分けた時は2ゴールを決めたね。ファースト・チームのエクトル・ベジェリンが君をマークしようとしていた時だ。経験豊富なプレミア・リーグの選手に対して何ができるかを示した楽しい午後だったに違いないよね?

 

「チャレンジが大好きなんだ。フィットネスを取り戻そうとU23でプレイするシニア選手と対戦する時はいつでもそんな気持ちが大好きなんだ。次のステップに進む準備ができていることを示すチャンスだからね。ベジェリンがアーセナルのチームにいたのは間違いないけど、幸運にも2ゴールを決められたし、あと2、3つ決められたかもしれないね。だから、自分にできることを見せられたと思う。彼は素晴らしいキャリアを築いてきた素晴らしいディフェンダーだけど、僕はその日やらなきゃならなかったことをやったのさ。」

 

Q.夜のモンスーンの中でカークビーでサウサンプトンに5-0で勝った時もゴールに多くの努力を払って、強烈なシュートを決めたね?

 

「プレイする時はいつだって、良いピッチでも悪いピッチでも構わないって思っているんだ。それでもパフォーマンスするのが好きだし、ピッチのせいには決してしないよ。でも、雨が酷くてびしょ濡れになって、ハーフタイムにキットを着替えなきゃならなかったね!僕はいつだってゴールを決めたいって思うヤツなんだ。モーのことを見て、サディオやボビーのことを見ているけど、彼らが試合中にゴールの為に何本シュートを撃っているかって見ているんだ。それを自分のプレイにも取り入れようとしたんだけど、もちろんバランスを取って正しい判断をするのが大事で、シュートを打つか、前に行けるかパスを出せるかって見る必要はあるんだ。あの試合ではちょっと欲張りすぎちゃってゴールを欲しがっていたと思うけど、最終的にはゴールを決められて満足だよ。仲間もそうだったから、彼らにとって少し耳障りにならなかったのは感謝しないとね!」

 

Q.ロックダウン前、最後のU23の試合だったカークビーでのサンダーランド戦では約8分間でハットトリックを決めたね?

 

「残り10分だったんだ。審判に残り時間を尋ねていたから憶えているんだ。彼に10分だって言われたんで、自分自身に“良い試合はできたけど、少なくともあと1ゴールは決める必要があるぞ。”って言い聞かせたんだ。それから最初のゴールを決めたんだけど、なんだか分からないけど“もう1つ行くぞ!”って思っただけさ。右足でボールを持ってターンできた時にコーナーに巻いて決めるのが好きなんだ。残り時間が長くないのは分かっていて、次に何か起こったんだけど、何が起こったのかさえ分からなかったね。左でボールを奪って、リアム・ミラーと一緒に突破したんだ。僕はボックスに全力疾走していったんだけど、ジョー・ハーディもハットトリックを決めていたしね。まぁ僕は僕だから、ボックスにスプリンドで最初に進入したかっただけなんだけど、ありがたいことにミラーが良いクロスで僕を選んでくれたんだ。8分間でハットトリックを決めたんだから、僕にとって素晴らしい試合だったね。」

 

 

Q.U23のキャプテンからプレミア・リーグの優勝メンバーだ。ユルゲンがチェルシー戦で君を投入したことで、優勝メダルが自分のものになると分かった時の感情はどんなものだった?

 

「シーズンを通して、プレミア・リーグを優勝するバカでかいチャンスがあるのは分かっていたからね。出場時間を手にすることを望んで、祈っていたよ。その頃から優勝メダルは頭の片隅にはあったけど、ただプレイして経験を積んで、自分のできることを見せたいってことの方を考えていたんだ。それから僕たちはリーグ優勝を果たして、その頃の僕は資格をもらえるのに3、4試合が必要だったと思うね。監督やスタッフがどんな人か分かっているからね。自分に出場時間を与えて、優勝メダルも与えることができるなら、彼らはそうするさ。それと同時にピッチに出て行ってプレイするチャンスを得たと思うんだ。“アイツは子供だから、残り試合に出られたのはメダルまであと1試合だったからだ。”って言ってもらっても大丈夫さ。でも、実際に僕がトレーニングでどれほど努力してきたかは誰にも分からないからね。ファースト・チームでプレイした時は、ゴールを決めることができて、良いプレイもできたし、U23でプレイした時の態度も良かったんだと思う。だから、幸運なことにプレミア・リーグ2のシーズン最優秀選手賞を受賞できたんだ。それはハードワークや決意、良い態度が最終的に報われたことを表しているだけさ。その機会を与えてくれた監督やスタッフにとても感謝しているし、もっとたくさんのことがあるのを楽しみにしているよ。」

 

Q.リヴァプールのファンであり選手だけど、キャプテンのジョーダン・ヘンダーソンがプレミア・リーグのトロフィーを掲げた時のKOPスタンドの表彰台はどれほど特別なものだった?

 

「僕たちはファンがそこにいるのが大好きなんだ。僕たちを動かし続けるのは彼らのサポートのおかげだからね。でも、僕たちがルールを守って、ファンと僕たちができる限り安全でいるのは難しかったと思うから、適切な方法でアレをやったんだ。だけど、信じられないほどだったね!自分の気持ちをちゃんとは言えないよ。」

 

Q.アーセナル戦ではKOPの前でPK戦で勝利して、エバートンとのFAカップに勝利して、アンフィールドで勝利したシュルーズベリー戦ではファースト・チームのキャプテンも務めたね-何が起こったのか振り返ってみて信じられる?

 

「できるけど、いやできないな。若いヤツとしての僕やピッチ外じゃつまらないヤツなのは皆知っていると思うけど、フットボールに関しては、すぐにも良いプレイができるって信じている。自分がプレイするピッチに出て行く時はいつだって分かっているし、そこで全力を尽くして、いつだって次のステップに進む準備ができていることを一目でも見せようってしているんだ。全部が次から次へとあっという間に起こったという点では、ちょっと驚いたけど、僕は自信満々なヤツだし、次の準備はできているんだ。だから、用意をして、準備して、そういうところで成功できたのさ。」

 

Q.1年前にアカデミーで君と話した時のことを憶えているよ。活躍したシーズンだったのに君はあまり満足してはいなかったね-君は自分に高い基準を設定しているけど、昨シーズンは誇りに思うべきだし、それが君の将来の為に大きなプラットフォームを用意してくれたんだと思うよ?

 

「そうだね。リヴァプールでプレイする為には個人の目標だけじゃなくて、プラットフォームをとても高くしておかなきゃならないって思うんだ。ここのプラットフォームは、割り込んでいこうってしているチームという点じゃ他とは違うんだ。自分の目標をもっと高くしていかなきゃいけないのさ。僕のような若いヤツにとっては、ファースト・チームに行って、自分に何ができるか見せるチャンスをもらって、出場時間をもらったり、ゴールを決めたり、チャンスをもらったり、優勝メダルを獲得するという点では、自分の成功ボーナスを手にする為には彼らにお返しをしないとって思うんだ。声がかかる時はいつだって僕は準備できているよ。」

 

 

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