ブロブロガー@くつログ

Proと呼ばれたい...そして日々悪戦苦闘する
Brofessional な職業人の安息の日誌

【 Withコロナ時代の錬金学(最終回)― A most peculiar man(とても変わった人)】

2021-05-23 | Withコロナ時代の錬金学

https://www.youtube.com/watch?v=3YTgwY1Ld5s&t=3s

皆さんは、普段人前で話す時に、自分の事を「私(わたくし)」と呼んでいますか、それとも「僕(ぼく)」でしょうか?
勿論、公式の場においての話です。

おそらく年代によって、人それぞれなのでしょうが、もう還暦を過ぎた筆者の世代では、大人になれば、意識的に「私(わたくし)または(わたし)」を使う事が「教養ある社会人」としての常識とされていました※その様に中学時代の国語の先生から教わりました。

何故この様な事を書くのかと言うと、5年ほど前に職場の部下に注意した経験があるからなのです。
彼自身、既に40歳を過ぎていて、90名ほどの人々の前でプレゼンテーションを行った際、終始一貫「僕(ぼく)」で通しておりました。
筆者は彼を一人前のプロジェクトリーダーとしてコーチングする立場で、最前列に座って聞いて居ましたので、「僕(ぼく)」に非常に恥ずかしい想いがして、その後の打ち上げの飲み会の席で彼に注意したのです
その時、彼は素直に筆者のアドバイスを聞いてくれたのですが、後日別の飲み会の席で、今度は彼の直属の上司が、自分の事を「僕(ぼく)」と言ったのでした。。。
※その直属の上司(課長職)は、未だ30代半ばの人でした。

その場はお互いに「苦笑い」で済ませたのでしたが、以来筆者は他人の使う一人称が非常に気になる様になりました。

実際、個性重視の現代では「言葉づかい」は「個性」であり、未だ20歳にも満たない様な、若いミュージシャンがテレビの前で「儂(わし)」と言ったりしています。
※筆者の父の世代では、「儂(わし)」は日常よく使われる一人称でした。
筆者自身は、日常では「俺(おれ)」をよく使います。
前出の中学時代の国語の先生は、古語や方言にも詳しい先生で、要するに「言葉づかい」に意識を向けなさい、と教えてくれたのでした。

こんな事もありました。
筆者の家族は、普段近所の妻の実家で夕食を食べるのですが、家族でテレビを観ていて、義父が「J-POP」の意味を聞いた事がありました。
妻が義父に答えたのですが、筆者は横からついでに「K-POP」の意味も加えました。

すると、今度は今年中3の筆者の次男が、
「なら、アメリカのポップスは『A-POP』なの?」と突っ込みを入れて来ました。
「あまり使われないけれど、今のルールに従えばそうなるね。。。」
と筆者はお茶を濁したのですが、気になって後で調べると、
「A-POP: 秋葉風ポップス、アニメソングが主流」でした!
ちなみに、
「C-POP: 中華風ポップス」
となっているのですが、「中華風って中国風なの?それとも台湾風??」
とにかく『言葉』の疑問は尽きません。。。
結局、その場の『空気』や文脈に留意が必要なのでしょうネ。

前置きが少し長くなりました。
今回は、「A most peculiar man : とても変わった人」について書きたかったのです。

冒頭に、YouTube からアルパム・バージョンのリンクを貼って置いたのですが、筆者自身が中学時代にこの曲を好んで聴いていたのは、LP版のアナログ音源でした。

今では、ネット上で様々なバージョンの音源を楽しむ事が出来ますが、ついでに「ニコ動」で発見したライブ・バージョンの音源が気に入ったので是非聴いてみて下さい❤

▼サイモン&ガーファンクル とても変わった人 1966年オランダのスタジオライブ
https://www.nicovideo.jp/watch/sm5658811

この動画を見るまで、筆者はこの曲の歌詞には余り関心をもっていませんでしたので、ただ曲のタイトルから、ポール・サイモン自身が自分自身の事を『 A most peculiar man - とても変わった人』と自身の孤独を詠っているのだと、勝手に解釈して聴いておりました。

改めて調べてみると、楽曲自体は新聞で見た「自殺の記事」から生れている。。。

中学生の筆者は、この曲の不思議な調べ(曲想)に惹かれて聴いていたのでしたが、同時に『自我』に目覚め始めた自分自身を『とても変わった人』として、孤独な感覚に浸っていたのだと想うのです。。実際には数多くの友人に囲まれて、一人で音楽と思索とに耽る時間を『至上の時』として楽しんでいただけなのでした。。。

還暦を過ぎた筆者が、この曲の不思議な調べ(曲想)に魅せられるのは何故か?

この曲の歌詞の意味を改めて知って、『自分の無意識の欲求』に気付かされた様な気がします。

一昨年来、『終活もどき』をひと通りは終えたつもりの筆者なのですが、やはり『未だ遣り残している事』や『今、自分に出来る事』等について『意識』を向けてみると、「未だ、コロナには負けていられない!」と感じるのです。

やはり筆者は、池江璃花子選手や、多くのオリンピアン達を応援しています♥

 

この機会に、こちらも是非ご一読下さい!!

【AI時代の錬金学Ⅰ】

https://note.com/zen_kawakami/m/mc5c34b72040b

 

【AI時代の錬金学Ⅱ】

https://note.com/zen_kawakami/m/m612f486eeab8

 

【AI時代の錬金学Ⅲ】

https://note.com/zen_kawakami/m/m193457bcd4fc

 

 今後も、応援よろしくお願い致します!

 



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