詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

逆に考えてみよう

2020-11-08 21:44:23 | 自民党憲法改正草案を読む


 日本学術会議の問題。
ついに「政府関係者」が共同通信に「リーク」する形で「反政府運動を先導する」という表現を世間に広め始めた。「反政府」の「反」は「反日」の「反」である。きっと、これからネットには学術会議を「反政府」き呼ぶひとが増えてくるだろう。政府を批判すれば、学者は「反日」と呼ばれ、それが定着すれば、市民が批判を書いても「反日」というレッテルが張られるだろう。 (いまでも横行しているが、それがさらに拡大するだろう。)

そのことと、少し関係があるが。
「学問の自由」について、いままで話題になってきたことと逆のことを考えてみよう。学術会議は学問が戦争に利用されてはならないという主張で団結した。そして、いろいろな形で政府方針を批判もしている。
 「6人任命拒否」が表面化したとき、あるひとたちが「学問は政府に任命されなくてもできる。学問の自由の侵害にはならない」と主張した。
 この論理は「正しい」か。
 逆に考えると、政府に支持されなくても「学問の自由」は確保できる、というのは嘘だと分かる。
 つまり、政府が「新しい戦争兵器」を開発しようとする研究をしている人に対し、それは日本国憲法の精神に反する。だから、研究費を出さない。そういう研究をしている教授がいる大学には補助金も出さない、と決めたらどうなるのだ。
 「新しい戦争兵器」の研究はすぐに行き詰まる。資金がない。研究所も確保できない。どんな「学問の自由」でも、資金がいるのである。「新しい戦争兵器」というみるからに金がかかりそうなものではなく、たとえば「現代文学の研究」においてでさえ、文献を集める必要がある。さらには「現代性」をさぐるために「古典」を参照しないといけないときがある。そうした文献を買うにも金がかかる。
 どんなものにも金がかかる。
 だからこそ、たとえば政府批判をすると、「中国から金が出ている」というようなでっち上げのことばが飛び出す。「政府批判=反日=中国共産党(の資金)」という構造を捏造する。このでっち上げの構造を利用して、政府関係者が「政府批判=反日=中国共産党」には金を出さない。それだけではなく、積極的に締め出し、レッテルをはってアピールするという作戦に乗り出したのだ。

 「反政府運動を先導する」という新しいことば。
 一部の新聞では「反政府」ということばが見出しにもなっている。
 こういう新しいことばが出てきたときは、それは「新聞が考えたしたもの」ではなくて、誰かが「リーク」したことばなのだ。
 取材してつかんだことばではなく、新聞が政府の意図を宣伝するために利用されているのだ。

 「ことば」には「裏」がある。
 「特ダネ」は特ダネではないのだ。「リーク」されたのだ。「リーク」かリークでないかを見破る方法は、とても簡単。そこに「新しいことば」があるかどうか。いままで聞いたことがなかったことばなら、それは「リーク」されたのだ。「反政府」ということばは、「新しい」という感じがしないかもしれない。しかし、政権がこんなことばで批判を封じ込めようとしたことはなかった、と私は思っている。思い出せない。
 安倍は、国会で「日教組」というヤジを飛ばしたり、街頭演説で「あんなひとたち」とは叫んだが、「反日」とは言っていない。「反日」に通じる「反政府」ということばは、記者が考え出せることばではない。また、そういうことばを記者が自発的に書いたのだとしたら、それを誰かが変だと指摘するはずである。こんな奇妙なことばが動いている「裏」にはたいへんなことが起きているのだ。

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