前回の記事(「下野谷遺跡公園へのジグザグ階段と遺跡」)でも取り上げた下野谷遺跡公園に隣接している坂道を歩いていてふと気になったことがあったので、今回はそのときのことでも。

下野谷遺跡公園に隣接している坂道1
写真1

ここは、前回の記事(「下野谷遺跡公園へのジグザグ階段と遺跡」)でも取り上げた階段がすぐ右側にあり、石神井川に架かる下野谷橋あたりから坂道を見てみたものです。(写真1)
場所は、青梅街道の東伏見坂上交差点からなら徒歩で3分、西武新宿線・東伏見駅からなら徒歩で5分ほどのところにある坂道です。
特に名前はないので無名坂ですけど、この道は「早大グランド通り」という通り名がつけられています。
なので、 もし名前をつけるなら、”早大グランド通りの坂道”とかはありかもしれないですね。

形状的には、右側の下野谷遺跡公園が上にある擁壁と道のカーブ具合がなんとも記憶に残る坂道だったかもです。

下野谷遺跡公園に隣接している坂道2
写真2

さらに上り、中腹あたりから坂上方向を見てみたものです。 (写真2)
ぐぐっとカーブしながら上る感じはよかったですね。

あとは、道路の舗装も、片側だけ滑り止めタイプになっているのは、なかなか見ないパタンでしたね。

下野谷遺跡公園に隣接している坂道3
写真3

写真2とそれほど変わらない位置から、坂下方向も見てみました。 (写真3)
S時カーブになっていて、景色の開け具合とかもなかなかでしたね。

下野谷遺跡公園に隣接している坂道4
写真4

一気に坂上あたりまでやってきました。 (写真4)
下野谷遺跡の看板がこれでもかというくらいわかりやすく設置されていましたね。

坂道の風景についてはこれくらいなんですが、この坂道を地理的にみるとですね、すこし気になることがあるんですよ。

下野谷遺跡公園に隣接している坂道5
画像

こちらは、今昔マップから拝借して、いつものようにメモ書きしたもので、左側の古地図は明治39年に測図したもので、右側は現在の地図です。
今回の無名坂は地図でいえば、赤色の線で描いたものです。
そして、前にこのブログの記事(「「東伏見坂」という坂道は地名なのか坂名なのか」)でもとりあげた”東伏見坂上”の標識がある交差点は青の線で描いたもので、今回の無名坂との位置関係でいえば、写真4の背後の道沿いで青梅街道と交差するところに標識があるとも取れるんですよ。
しかも古地図を見ると、今回の無名坂の道路は青梅街道と同じく、昔からある道路で、地形的にも坂上側に”東伏見坂上”の標識があるともとれるんですよ。

だから現地では、どっちの道が「東伏見坂」なんだろうと思いながら実は歩いていました。
このブログというか僕的には、地理的にみて、東伏見坂は青梅街道沿いのほう(地図でいうと青の線で青梅街道沿いに描いているところ)と見ることにしましたが、この無名坂そばには下野谷遺跡があって、縄文時代中期(5000年前から4000年前)にこのあたりは南関東で有数の規模をほこる大集落だったという史実からすると、こちらのほうが東伏見坂なんでは?という誘惑もあるといえばそうなんですけどね。
はてさて、どうしたものやら。

ということで、今回はこんな感じです。

地図
西東京市東伏見

関連リンク:
→ 下野谷遺跡 西東京市Web
→ 今昔マップ on the web/時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部 谷謙二(人文地理学研究室)
→ 下野谷遺跡公園へのジグザグ階段と遺跡 / 西東京市東伏見 - 東京坂道さんぽ
→ 「東伏見坂」という坂道は地名なのか坂名なのか / 西東京市東伏見 - 東京坂道さんぽ