まげは上天茶筅(しょうてんちゃせん・上を向いた引っつめの髪に括りあげたもの)に結い、胸ははだけたまま、袴の代わりに腰には縄帯をして火打袋を下げ4尺ばかりの太刀を大地に構えてそびえるように立っている。どこの百姓小僧だ、という出で立ちに似つかわしくない長い太刀が妙に様になっている。尾張ではこのように百姓の倅も太刀を持つのかと少し驚いた。
「こしゃくな!」
先頭の者が切りかかろうとしたときにその若者は太刀を構えた。侍相手にやる気満々という感じだ。見ていて心が躍ってしまった。
(なんて面白い!)
尾張に入った途端、こんな寸劇のような展開。ここでの生活は面白くなりそうだと私はさらにワクワクした、が、そう思ってばかりもいられない。こんなところで百姓の子倅と血生臭い事になったら寝覚めが悪い。なんと言っても私はこれから婚礼をあげる身。こんな日に血を見るのは好まないし、ゲンが悪いと言うもの。それに戦でもないのにむやみに人切りをするのは好ましくない。侍が刀を振りまわすのは戦場(いくさば)でないとただの輩になり下がる。それはあってはならないことだ。しかも侍が百姓を無礼打ちだと称してその命を粗末にするのはただの弱い者いじめに過ぎない。それがどれほど武士の格を下げる行いかという事をもっと知るべしであると私は思っていた。
「待ちや!」
私が駕籠の中から声をかけると今にも切りかかりそうな勢いをしていた者の足が止まる。
「今日は妾(わらわ)の輿入れの日ぞ。むやみに血を流すでない」
「ははっ!」
重臣たちはその場にかしづき、立ち上がると行列は何事もなかったように再び動き始める。
さっきの童(わっぱ)は不敵な笑みを浮かべたままそこに立って通り過ぎる私の駕籠を見ていた。浅黒く日に焼けてはいるが細面で繊細な顔立ち、あまり百姓らしくない顔だ。とはいえなんという怖い物知らずの童だ。尾張というところは巷は無礼講なのか、私はそれまで侍の行列の前に立ち塞がる百姓など見た事はない、などと考えながら3度目の夫がいる那古野城(なごやじょう)に辿り着いた。
天文18年2月24日(1549年3月23日)、私の3度目の婚礼の日。恭しく私を迎え入れた重臣達、その誰もが私を見て一瞬「え?」という顔をする。何故か知らないが美濃から来る斉藤の姫は見目麗しいという噂が流れていたようだ。皆(みな)が思っている事は容易に想像できる。噂と実際はかくも違うものか、そうして下を向いて笑っておる。勝手な噂に困惑しているのは私の方だと言うのに。全くもって迷惑甚だしい。
その後、似合いもしない婚礼衣装を整え、重臣達が並ぶ部屋に案内(あない)され、用意された壇上に着くと殿の妹だという姫が挨拶に来た。
「姉上様にははるばるようこそおいで下さいました。市(いち)にございます。今後とも良しなにお願い申しあげます」
そう言って頭(こうべ)をあげた妹御の顔を見た途端、
(ウワッ!)
と、思わず声が出そうになった。何と麗しい姫御(ひめご)だ。私はこのように美しい女子(おなご)を生まれて初めて見た。女の私でも惚れ惚れと見とれてしまう、まるでこの世の者とは思われないほどの美しさに息を飲んだ。私の母、小見の方も兄の母の深芳野様も相当に美しい方達だと思っていたがその比ではない。
〈什伍に続く〉
※こちらのお話しは史実に沿ってはいますが、不明な部分、定かでないところは多分に作者の創作(フィクション)が含まれますので、ご留意の上ご拝読いただけますようお願いします。