「メアリー ポピンズ」の原作者と、ディズニー映画「メアリー ポピンズ」の話。

イギリスに住む、頑なに映画化を拒む原作者、トラヴァース夫人。

この人の性格が面白い。俗悪なものを嫌い、皮肉屋で、排他的。高慢で自己中心。とにかく嫌な女だ。こういう頑迷な女性はときどき見かけるが、決して一緒に仕事をしたくない。

しかし、ウォルト(もちろんディズニーのことだ)は、この女性の「メアリー ポピンズ」に魅了されている。何としても、映画にしたい。しかも、ミュージカル映画に。

トラヴァース夫人の嫌いなものリストのトップ10には、梨と赤いもの、酒と並んで、漫画(アニメ、カトゥーン)、ミュージカルが入っているだろう。

これはうまくいく訳がない。そうやって18年が過ぎ去った。

しかし、我々の目の前に、ウォルトが作った「メアリー ポピンズ」の映画がある。この映画がどのように作られていったか、原作者がこの作品に込めたものは何だったのか、サスペンスが生まれる。

原作者のトラヴァース夫人が、納得いくように、一字一句、脚本を読み合わせ、登場人物のキャラクタ設定を検討し、音楽、歌詞を直していく。その経過をすべて録音テープに残すように夫人は言う。そしてその通りにするスタッフ。素晴らしい結末も作り上げ、みんな満足、と思ったその時、大きな問題が起こる。今までの努力はすべて水の泡。

さあ、ウォルトはどうやって夫人を説得し、映画化に漕ぎつけたのか。

「メアリー ポピンズ」は素晴らしい映画だ。ジュリー・アンドリュースの英国アクセントが気持ちいい。音楽もダンスも最高だ。それらの一つ一つを作っていく過程を見ているだけで胸がいっぱいになる。

そして、バンクス氏。一家の主、お父さんが、銀行で働いていること、2ペンスをめぐるエピソード、最後に破れた帽子をかぶったまま、凧を上げる、喜びにあふれた姿・・・。

それらすべての意味を明瞭に悟ったとき、トラヴァース夫人も、俺も涙を抑えることができない。

アルコールに侵された父親と、家族の姿。いつの時代にも同じことが繰り返される。アルコールは依存性の強い危険な毒物だ。安易に、酒ぐらい、というべきではない。酒は飲むべきでない。

酒を飲んでだらしなく無様な姿をさらした翌日、平然と現れ、昨夜のことは全く覚えていない、という馬鹿が俺の周りにも何人かいる。俺は酒を一切飲まないから、そいつらの醜態をはっきり記憶しておく。何と言われようが、二度と同じ宴席には行かない。

しかし、そのアルコール依存の父親がいたから、「メアリー ポピンズ」が生まれ、ミュージカル映画が生まれ、この「約束」(日本語のタイトルは馬鹿みたいだ)が生まれたわけなので、いいこともあったとしておこう。人間の行いの善悪など誰が諮りうるだろうか。

嫌な人間は最後まで嫌な人間だが、愛すべき嫌な人間もいることを学んだ。

他人にこの映画を勧めたくて、とにかく書き留めておく。