小林慶一郎『日本の経済政策』(中公新書) | ブロッギン・エッセイ~自由への散策~

ブロッギン・エッセイ~自由への散策~

アウシュヴィッツが陸の上のジェノサイド,ヒロシマ・ナガサキが空からのジェノサイドだったとすれば,水俣病は海からのジェノサイドである。(栗原彬編『証言 水俣病』)

テーマ:

 前回記事で私が言いたかったことを,長谷川ういこさんがXで簡潔に言ってくれていたので,下に引用しておきます。結論だけを取り出せば,こういうことです。

 

 

 ところで前回,給付付き税額控除について少し書いたが,私は基本的には反対の立場である。理由は前回書いたように,国のセーフティネットがこの制度に統合されて,生活保護などが切り捨てられる恐れがあるからである。右派や新自由主義者はそこを狙って,この制度の実現を図ろうとしている。これによって安上がりで効率的な「小さな政府」が実現できる,と彼/彼女らは考えるのである。この制度に対して財務省は抵抗するだろうが,ベーシックインカムよりは実現する上でのハードルは低いと思われる。国民民主党も所得控除の次の課題として,これを狙っているようだし,特に経済学者に賛同する者が多い。その代表的な一人が,例えば小林慶一郎である。

 

 前回も少し紹介した著書『日本の経済政策』で小林さんは,「失われた30年」といわれる90年代からの日本経済の低迷の要因をいろいろな角度から探っているのだが,一番肝心なことを書いていないんだよね・・・。

 

 長期停滞の背景に「少子高齢化の進展」という人口動態があることには異論はないし,不良債権処理に15年もの時間を要したことが長期停滞を引き起こしたという見方も大方間違ってはいないだろう。その上で,①格差拡大(雇用リスク),②将来の財政不安,③ゼロ金利の長期化,という3つの要因が長期停滞をもたらした本丸だと,小林さんは見る。したがって,日本が長期停滞から抜け出すためには,これらの要因を解消する政策対応が必要だと言う。

 

 そこで小林さんは,格差拡大に対する政策対応として「給付付き税額控除」の導入を主張するわけである。だが,この制度が本当に格差是正に資するのかはよく検討する必要がある。給付という点では,確かに貧困層や低所得者の生活を支える面はあるだろうが,他方で生活保護などの福祉制度が削られる懸念がある。幅広い人々に給付を出す分,ソフトやハードによる支援がおろそかになることはほぼ間違いない。この制度には,お金さえ与えておけばいいだろうという安易な発想が見える。こうした私の懸念は,以下の引用文からも理解,共感してもらえるのではないだろうか。かなり危険な提言といえる。

 

給付付き税額控除は,生活保護などの社会福祉制度と納税制度を統合したもので,厚生労働省と財務省の縦割りの壁を超えた「画期的な」仕組みであるため,実現性は見通せない。財源は既存の社会保障制度との統合によってかなりの程度は捻出できると思われるが,所得税の累進性を上げるなども必要になる。アメリカなどには子育て世帯向けに同様に仕組みが存在しており,我が国でも多様な生き方や働き方に対応したユニバーサルなセーフティネットとして,こうした制度の整備が求められている。

(小林慶一郎『日本の経済政策』中公新書p.202)

 

雇用のセーフティネットや生活保護を代替する制度として,給付付き税額控除を導入する。給付付き税額控除を導入すれば,働き方の形態(正規,非正規,フリーランス,ギグワーカーなど)によらず所得に応じて同じように給付/課税が決まり,多様な生き方に対して中立的なセーフティネットを実現できる。給付付き税額控除を導入すると同時に,雇用保険や生活保護の簡素化を行い,財政支出の縮減を目指す。ここでも,タイムリーな給付が行えるように,マイナンバー制度を活用して行政が個人の所得や資産をリアルタイムで把握する仕組みを作る必要がある。

(同書p.237)

 

 ほかにも,低金利は経済成長の低下をもたらすとして金融政策の正常化(プラス金利の定着)や,財政・社会保障の長期的な持続性を担保して将来不安を払拭するためとして独立財政機関と社会保障改革の常設検討組織の設置などを提言している。

 

 ここまで書いてくれば,小林さんの不況分析や政策提言がちょっとピントがずれていること,すなわち先ほど示唆した一番肝心な点が抜けていることがわかるのではないだろうか。肝心な点とは,この30年の間に3度にわたって引き上げられた消費税のことである。不況の主要な要因として消費税増税が挙げられていないというのは,経済学者としての資質がかなり疑わしいと言わざるを得ない。

 

 長期停滞の要因として消費税増税が全く視野に入っていないから,歳入改革と称して,さらなる消費税の増税を提言するわけである。ピントがずれているというか,もう経済を見るレンズがぶっ壊れているとしか言いようがない暴論である。

 

…歳入面では,さまざまな税目での増税を図る必要がある。今後の増税余地のある税目としては,やはり消費税が挙げられる。消費税は高齢世代も若年層も等しく負担するという意味で世代間の公平性が高く,景気が変動しても税収があまり大きく変化しない安定財源である。そして,経済活動に与える非効率(いわゆる税の歪み)は,消費税のほうが所得税や法人税よりも小さい。

 また,消費税率一〇パーセントはアジア諸国では平均的な値だが,欧州の消費税率は平均二〇パーセント程度であり,最終的には欧州並みの税率も許容範囲だとすればまだ引き上げる余地があると考えられる。消費税は短期的に景気を悪化させるとか,逆進的であるとの批判があるが,いずれも短期的な影響であり,長期的には生涯所得がなんらかの消費支出に使われることを考えれば,逆進的であるとは必ずしもいえない。公正な相続税性と組み合わせるなどすれば,富裕層と低中所得層の間で公平性を保つことができる。

(同書p.238)

 

 消費税は公平性が高いとか,逆進性はないとか,ここまでくると嘘やデマのレベルである。また,欧州の消費税率が20パーセント程度だということだけを言って,食料品などがゼロ税率であることを言わないというのも,学者としてはあまりにも不誠実な態度であろう。さすが竹中平蔵が牛耳る「東京財団」所属の学者だ。事実を歪めて伝えて読者をミスリードすることに抜かりがない。いくら優秀な頭脳を持っていても,権力や資本の側に付くと,経済社会を俯瞰的・客観的に見られなくなり,このように偏った発言しかできなくなってしまうという典型例かもしれない。

 

 本書は今年の初めに出たものだが,あまり本書に対する批判を聞かない。京大の根井雅弘さんは新聞の書評で「マクロ経済学の最新の知見をふまえた優れた日本経済入門」と評しているが,大丈夫か(<書評>『日本の経済政策 「失われた30年」をいかに克服するか』小林慶一郎 著)。こんな日本経済論や経済政策論が社会に受け容れられているとしたら,日本の人々の経済リテラシーがかなり劣化していることの証左であろう。だから,「手取りを増やす」という国民民主党の甘言にコロッと騙されるわけだ。

 

 ちょっと勉強すれば,消費税が法人税減税を穴埋めするような形で増税されてきたことくらい,すぐにわかるはずである。それによってグローバル企業は過去最高益を更新する一方,実質賃金のダダ下がりで個人消費は落ち込み,国内投資は冷え込んで景気の足を引っ張り,日本経済はなかなか長期停滞から抜け出せない。それが実態であろう。

 

 先に述べた少子高齢化という,それだけでも経済成長にネガティブな構造要因がある上に,そこに消費税増税を繰り返した。これこそ30年の不況をもたらした最大の要因である。その意味で,この30年不況というのは人災,経済災害の側面が強い。そのことを指摘できず,それどころか逆に消費税を増税する必要があるなどと暴論を吐く小林慶一郎は,もはや経済学者としては終わったと言うほかない。なるほど財務省の官僚がこういう作文をレポートなどに書くというのならわかる。だが,慶応大学経済学部教授の肩書を持ち,東京財団やキャノングローバル戦略研究所などのシンクタンクのフェローも兼任する人物が,こういう官僚が書くような子供騙しの文章を書くことに愕然とするわけである。

 

 もう一つ,本書全体を読んで気づいたのは,給付付き税額控除にしても医療費削減にしてもマイナンバー制度の活用にしても,国民民主党の政策との親和性が高いということである。現時点で小林さんが国民民主党のブレーンについているということはないと思うが,先々,国民民主党の政策に共鳴し,同党を支持する経済学者は増えてくるような気がする。すでに国民民主党の「年収の壁」(所得控除)引き上げの議論に反対する経済学者やエコノミストはほとんどいない。私たちが胸に刻むべきは,国民民主党だけでなく経済学者にも騙されるな!ということだろう・・・