上の前回記事では,「失われた30年」といわれる経済停滞の要因として消費税増税に触れようとしない小林慶一郎の”ザイム真理教”的な悪書を批判したわけだが,今回は政策レベルからもう少し下降して,小林さんの政策論の基礎に潜む考え方を見ておきたい。それは保守派というか,今の主流派の経済学者に共通する考え方でもある。
小林さんは,不良債権処理の先送りや極端な金融緩和政策の長期化といった,失敗した経済政策の共通点として,為政者の「再帰的思考の欠如」があると言う。再帰的思考とは,「相手の思考を読んだうえで思考する」という,合理的期待の基礎となる思考様式である。
私が他者の思考を読み,他者が私の思考を読む,そして,互いに思考を読み合っていることをさらに互いに読み合う,という無限ループを発生させるのが再帰的思考であり,その無限ループの不動点が合理的期待である。
(小林慶一郎『日本の経済政策』中公新書p.253~p.254)
こうした再帰的思考が為政者側に欠けていたことが,90年代以降のマクロ経済政策の失敗の根本にあると主張する。そして,それが本書の結論的な主張にもなっている。
政策当局者が,「この政策を実行したら国民や市場はどう考え,どのように反応するだろうか」と,幅広い対象者について深く真剣に考えていたら,政策失敗の多くは防げたかもしれない。(同書p.263)
では,どうして為政者側にこうした再帰的思考が欠けているのかというと,為政者のエリート主義があるからだと言う。つまり為政者たちは,国民を自分たちより思考力の劣った存在だとみなす傾向が強く,エリート意識が染みついているのだ,と。
そういうエリート主義の経済学としてやり玉に挙げられているのが,ケインズ経済学やMMT(現代貨幣理論)である。すなわちケインズ経済学やMMTは,政策対象となる国民を思考力を備えた対等な人間とみなしていない。だから,思考力のない国民は為政者の思う通りに動くものと想定した。
愚かな国民を知的な為政者が導くというケインズ経済学のエリート主義を,合理的期待学派は批判したのである。(同書p.265)
ここまで紹介してくれば,小林さんの理論的考察や経済政策論の基礎にどんな思考があるかがわかるだろう。すなわち小林さんによれば,通俗的な経済学の教科書に書かれてあるような,人々の再帰的思考を前提にして経済政策は考えるべきだというわけである。人々の再帰的思考を前提にするということは,為政者と国民を同等な存在として認めることでもあるとして,民主政に適った考え方であると,小林さんは自慢げに語る。
このように小林さんは,主流派の経済学者らしく,人々の再帰的思考を基礎にした合理的期待形成のメカニズムを想定しているが,この合理的期待とやらは本当に信頼に値するものなのだろうか。私自身は合理的期待形成仮説について,まったく非科学的であてにならない謬説だと考えている。なぜなら,人々の予想とか期待という,根拠があやふやで移り変わりの激しいものに基づいた理論だからである。
例えば政府が財政支出を増やせば,総需要が増えるので,「いずれインフレになるだろう」と人々は予想する。だが,「そうなると政府は増税するに違いない」とさらに人々は予想し,その結果,多くの人は,将来の増税に備えて貯蓄を増やし,消費を減らすので,財政政策の効果はほとんどない。こう合理的期待形成仮説は考えるのである。この理論が,「~だろう」とか「~に違いない」という人々の不確かな予想の上に組み立てられていることがわかるだろう。こうしたいい加減な人々の再帰的思考(合理的期待)によって,ケインズ経済学やMMTの財政政策有効論が否定されるわけである。
小林さんは,為政者が国民の思考を読もうとする再帰的思考の態度が欠如しているから失敗するんだと,再三にわたって述べ立てている。また,そのような態度は一般国民を自分たちより愚かな人間と見ていることから来ていると言う。だが,本当にそうか?
政府が財政支出を増やしたら,インフレ期待が上がり,将来景気が上向くだろうと人々は予想する。そうなれば消費や投資が増えて,財政政策の効果が出てくるはずだ。しかし小林さんは,このように想定することは,国民の再帰的思考を踏まえない誤った政策態度だと言うのである。
合理的期待形成を信頼する小林さんは,国民をほんの一部のエリートや投資家,富裕層で代表させているように思える。確かに現在の消費分の一部を貯蓄に回せる経済的な余裕がある人なら,政府の裏の意図を読み,先の増税を見越して行動するかもしれない。だが,それがマジョリティだろうか。そうとは必ずしも断定できないだろう。自分の身に引きつけて,よく考えてほしい。誰が将来の経済や物価を予想して現在の自分の経済行動を決めるだろうか。国民の中のほんの一部の富裕層か投資家くらいだろう。
にもかかわらず,合理的期待形成仮説では,それがあたかも国民全体の合理的行動とされる。むしろこういう小林さんらの合理的期待形成の考え方の方が,人間を一面的にとらえているのではないか。すなわち,利用できる情報をすべて入手して予想(期待)を形成する超合理的なスーパーエリートとして一面的に人間をとらえている。というか,そもそもこんな風に完璧に合理的期待を形成できる人なんて現実にいるか(皆無だろう)。
小林さんが考えるより人間は多様である。経済的な状況も社会的立場も性的指向も年代も障害・病気の有無も民族・国籍も宗教も,人によって異なる。したがって,予想も「一つ」ではない。予想も多様なのだ。こうした多様性を完全に経済理論に組み入れることは不可能であるにしても,それを真っ向否定するような理論は認めることはできないし,現実をとらえる理論とはなり得ない。だから私は合理的期待形成仮説のような経済理論とは闘うし,それに依拠した経済政策に対しては断固反対する。実際に私は,マネタリーベースの倍増を宣言することで国民のインフレ期待に働きかけようとした黒田日銀の金融政策(リフレ政策)を一貫して批判してきた。なお,小林さん自身も,金融政策で人々の期待を変えることはできないと認めている(本書p.79,p.99)。
一体,国民,人々って誰?という話である。日銀総裁がいくらデフレ脱却への強い決意をマネタリーベースの量で示したとしても,国民の大多数がインフレ期待を抱くことはあり得ない。将来について確実なことは何もわからないというのが国民のコンセンサスだし,労働者は将来インフレになろうがデフレになろうが明日のために働くしかないのである。インフレを予想し,それに基づいてリスクのある行動を取れる人は限られている。大多数の人々は実際に合理的期待形成などはしない。人々は合理的な行動を選択しているわけではなく,明日も働くだけなのである
ケインズ経済学やMMTは政策対象の国民を劣った人間と見なしているという小林さんの言説にカチンと来て,長々と書き連ねてしまった。とにかく小林さんが信用できる経済学者かどうかはわかってもらえたと思う。問題は,小林さんだけでなく,こういう経済学者やエコノミストがこの国には溢れるほどいるということである。彼/彼女らが現実の経済政策に大きな影響力を及ぼしているということはかなり深刻な事態だと言える。こういう学者は一人一人叩き潰していかなければならない。と同時に,ケインズ経済学の流れを汲んだ反主流の経済学者には光を当てていきたい・・・
なお,昨日配信された下のインタビュー記事は小林さんの財務省擁護の姿勢がはっきり出ていて,財政出動には否定的な立場が示されている。小林さんの”ザイム真理教”的な本性を知るにはうってつけの記事なので,時間があれば是非読んでみてほしい。