今回の国民民主党による「年収の壁」引き上げ提案のような,減税や財政支出拡大につながる政策提案がなされると,「じゃあ財源はどうするんだ」と財政規律派の抵抗に遭い,結局,これ以上は国債は出せないから増税しかないという話になって,リベラルな政策はつぶされる。こうした財政拡張派と財政規律派との不毛な財源論争に終止符を打とうというのが,掲題の本の趣旨である。
財源論で一番のネックは貨幣論である。貨幣が何者なのかがわかっていないから,資本主義の仕組みも理解できない。よって,資本主義における財源とは何かが全く理解不能ということになる。
私は基本的には,本書で説かれている貨幣論を支持している。それは,前にも何度か書いたが,「信用貨幣論」という非主流派経済学の貨幣論で,貨幣を交換手段というモノとしてとらえる主流派の「商品貨幣論」とは一線を画している。すなわち信用貨幣論とは,貨幣を一種の負債,借用証書とみなす考え方である。以前も何度か書いたので詳細は省くが,歴史的な事実としても論理的な整合性においても,信用貨幣論が貨幣論としては正しいと言える。
その信用貨幣論を多くの学者や官僚,政治家が理解していないため,不毛な財源論争が繰り返されてきた。中野剛志さんの本書では信用貨幣論について初心者にもわかりやすく解説されているので,貨幣論に限ってはお薦めの入門書と言える。ただし,政治的には国防や国民負担などでファッショ的な主張が目立つので注意を要する。その点については,また最後に述べることにする。
さて,財源とは,支出に必要なお金のことだ。お金=貨幣がモノ=商品ではなく負債の一種であるなら,貨幣はどのようにして生まれてくるのだろうか?ごく簡単に言うと,資本主義においては,民間銀行は企業への貸し出しによって,貨幣(預金通貨)を生み出す。反対に,企業が債務を返済することで貨幣は破壊される。このように企業の資金需要=銀行の貸し出しが貨幣を創造するわけで,これを信用創造という。この信用創造こそが,資本主義に不可欠かつ中核的な仕組みと位置づけられる。
また,資本主義においては,中央銀行が政府への貸し出しを通じて貨幣を創造する。つまり,政府が債務を負うことで貨幣が生み出されるのである。先ほど,財源とはお金=貨幣のことだと書いた。その財源=貨幣は政府の債務によって確保されるのである。要するに政府支出の財源とは,中央銀行の貸し出し(=政府の資金需要)のことである。逆に,政府が財政支出によって民間に供給した貨幣を,課税によって回収し,中央銀行に債務を返済すると,貨幣は消失する。このように税とは,(財源を確保するための手段ではなく)財源=貨幣を破壊する手段なのである。ということは,財政健全化によって財源=貨幣は破壊されていく,ということになる。
以上の信用創造の理論から導かれる結論は,経済が成長していくためには国家は財政赤字でなくてはならない,ということなのである。特にデフレの時には,政府債務が増大し,財政赤字が拡大することは必要なことなのだ。その点でいうと,日本が「失われた30年」=デフレの時期に三度も消費税を増税したというのは,税や財政についての無理解に基づいた致命的な失策であったと結論づけることができる。財源確保のために増税する必要など全くないのである。
信用創造論によれば,政府支出の財源は,お金の量によっては制約されないが,ヒトやモノといった有限な実物資源によって制約される。もしも財政支出が実物資源の供給制約を超えれば,高インフレが発生するだろう。財政規律とは本来,このような高インフレが起こらないような財政運営のあり方のことであって,財政収支の均衡を意味するものではない。こうした考え方を機能的財政とよぶが,MMT(現代貨幣理論)は,この機能的財政の考え方を基に,高インフレにならない限り政府支出を拡大できると主張するわけである。
奇妙なのは,前回記事で取り上げた小林慶一郎さんは,信用創造についてちゃんと理解しているにもかかわらず,財政出動を頑なに拒んでいることだ。小林さんは『日本の経済政策』(中公新書)の中で,国債がX円発行されれば民間の金融資産がX円増えることになるから,国債残高が民間金融資産を超えることはないことを認めているのだが,物価水準がどうなるかはわからないから,国債発行による財政支出の拡大によって制御できないハイパーインフレが起こる可能性があると言う。なんでハイパーインフレになるのか?小林さんの論理がよくわからないのである。(以上,小林慶一郎『日本の経済政策』中公新書p.178~p.186)
積極財政論者やMMT派は,インフレ率2%もしくは3~4%までは財政支出を続けていけると考えていて,もしそれ以上にインフレが加速しそうなときは,増税によって財政を引き締めることを提案している。どうも小林さんは,税の機能がよくわかっていないようだ。すなわち税は,財源を確保するための手段ではなくて,財源=貨幣を消滅させる手段なのである。その点を小林さんは認めたくないわけである。あくまで小林さんは,税を財源確保のための手段と見なす財務省的な見地から抜け出せないから,財政支出や減税に否定的なスタンスをとり続けるのである。もはやこれは経済学の問題というよりは,財務省が喧伝する「財政規律主義(=緊縮主義)」というイデオロギーの問題といえよう。
一方で本書の著者 中野剛志さんは,信用貨幣論を基礎にして積極財政論を論理立てて展開していて,理論的には全く異論はないのだが,引っかかるのは,本書を主として防衛増税を批判する文脈で出してきたことである。2022年末に政府は防衛費増額の方針(5年間で43兆円)を決定し,その財源の一部を増税で賄うこととした。それを受けて本書は2023年春に出版され,防衛費増額に増税は全く必要なく,国債発行で賄えばよいと主張したのである。そして,国民が国防のために負担しなければならないのは増税ではなく,インフレだという持論を展開するわけである。
今を生きる世代は,防衛力の抜本的な強化に伴って生じる高インフレ負担からは逃れられないということです。
(中野剛志『どうする財源』祥伝社新書p.132)
一般に戦時下や準戦時下の国民,市民は高インフレによって苦しめられる。兵器や兵士などの軍事需要が供給能力を大きく上回ってしまうからである。そのインフレを国民は甘受せよ,と中野さんは言うわけである。さらに中野さんは,歴史を振り返って,
・財政赤字や国債発行は戦争の原因ではなかった,
・財政破綻によって滅亡した国家はない,
・国家は戦争での敗北によって滅亡するか主権を奪われる,
・だから,国防のために財政支出を惜しんだり政府債務の拡大を恐れてはならない,
と議論を国防に絞って,主張をエスカレートさせていくのである。
また,敗戦直後の激しいインフレについても,その原因は戦争で負けて生産設備が破壊され,供給能力が著しく低下したことであるとして,次のように主張する。
さて,終戦直後の激しいインフレの歴史から得られる教訓が,「戦争に負けて,供給能力を失ってはならない」ということならば,やるべきことは,敵の攻撃によって供給能力を破壊されないよう,防衛力を強化することでしょう。(同書p.254~p.255)
歴史からの教訓が「戦争を起こしてはならない」ではなく,「戦争に負けて…はならない」となっているところが理解に苦しむ。中野さんはどうしても戦争がやりたいらしい。だから戦争に負けないために,防衛力の強化だぁーとなる。中野さんの言説は非常にマッチョで好戦的だから,要警戒だ。
このように見てくると,中野さんの積極財政論は,防衛力強化という政治的な主張を裏付けるために利用されているのがわかる。以前に紹介した中野さんの著作『世界インフレと戦争』(幻冬舎新書)でも,「恒久戦時体制」という統制経済の必要性を説いていて,私はその危険性を指摘した(中野剛志『世界インフレと戦争』幻冬舎新書)。また中野さんは,本書で軍事力強化のために国債発行を強く唱える一方で,減税にはあまり言及していない。特に消費税について,過去の増税は批判していても,積極的に減税を主張しない。なぜか?それは中野さんの視点が一方的に国家目的に向いていて,庶民の生活向上という観点が欠けているからだろう。
いくら貨幣や財源について経済学的に正しい認識を持っていても,ファッショ的なイデオロギーに影響されてその使い方を間違えたら,国家と国民を再び破滅の道へとミスリードすることになりかねない。
小林さんにしても,中野さんにしても,(元・現)官僚だから頭脳は優秀なのだろうけど,結局,小林さんは財務省的な財政規律主義,中野さんはファッショ的なナショナリズムという政治的・党派的なイデオロギーに支配されていて,両者とも折角の経済学者としての理性が曇ってしまい,景気回復に有効な経済政策を打ち出せていない。
現代の経済政策に問われているのは,積極財政をいかに活用するか,積極財政をいかに私たち市民の手に取り戻すか,ということだろう。軍需産業ではなく平和産業への積極的な財政支出によって民需を中心に内需を喚起・拡大していくことが,平和と経済成長の持続的な好循環にとって必要な根本条件といえよう…