堤未果さんの『国民の違和感は9割正しい』という新書を読んでいて,ここに出てくるような政治・経済・戦争・災害などさまざま問題について,「何か変だなぁ」という「違和感」を持つことの大切さが説かれていて,その通りだと思うのだが,その「違和感」の感度が鈍い人がこの国には多いのかもしれないなぁ,とも昨今の状況を見ていて思ってしまう。つまりSNSが発達した現代社会においては,次の引用文にある「第三の視点」が自分の中に入ってこない人が多いのではないか。
テクノロジーの進化によって,私たちは今,かつてないほどに,見えない形で情報統制しやすい社会に生きています。
〈正しいか,間違っているか〉
〈正義か悪か〉
〈ゼロか100か〉
デジタル世界の二元論におっこちてしまったが最後,思い込みやステレオタイプが強化され,自分の生きる現実の中に,第三の視点が入ってこなくなっても,気がつきません。
人間は,外の世界を見るように,自分自身のことも見ていますから,白か黒かだけの世界にいると,正しくないものを許せなくなる一方で,間違えることも怖くなり,だんだん本当の自分がわからなくなってしまいます。
(堤未果『国民の違和感は9割正しい』PHP新書p.212)
堤さんは,何を信じてよいか分からなくなったとき,あるいは真実を言ったら孤立しそうなときは,周りの人や政府・マスコミを頼るのではなく,「未来の自分」に尋ねてみてほしいとアドバイスしてくれている。
アーニャが出した結論は,価値判断を,周りの人でなく未来の自分に委ねることでした。理解されなくても意思を貫く自分か,あきらめて沈黙し,長い物に巻かれる自分か?どちらの自分を選ぶの?
(中略)
他人や社会の価値観は,時代によって変わるもの。
(中略)
けれど自分にだけは,嘘はつけない。死ぬまでずっと一緒なのだから,と彼女は私に言いました。
「信じていることを続けるかどうかで迷ったり,誰にもわかってもらえなくて辛い時は,10年先の自分に向かってこう聞いてみて。
『そこから振り返った時,どちらの道を選んだ自分の方を誇りに思う?』」
(同書p.215)
ところで,堤さんは,現代は「見えない形で統制しやすい社会」になっていると警告しているが,本書では,ツイッターにフェイスブック,インスタグラム,ユーチューブなどのSNS(交流サイト)大手がアメリカ政府の検閲を受けていた実態が暴かれている。私たちが言論の自由や表現の自由を行使する手段として使っている(と思っている)SNSというのは,実は政府にとっては情報統制や言論弾圧のための大変都合の良いツールなのであって,政府はビッグデータを握っているこうしたビッグテックと組んで「検産複合体」を結成し,全体主義的な支配を強化していたという。こうした流れの行き着く先がディストピアであることは想像に難くない。
SNS企業と政府が情報を囲い込み,異なる意見は封じられ,全体主義の空気がじわじわと迫る中,疑問を持たず問うこともせず,黙って言われるまま従っていれば,気づいた時には主権を失い,ディストピアに生きているかもしれません。
(同書p.5~p.6)
そのように政府による情報統制のツールとなっているSNSが選挙結果に大きな影響を与え,また権力側の意に沿わない人物がSNS上でのいわれのない中傷やリンチで自殺に追い込まれるなどの事態は,かなり深刻で,まさに私たちの社会がディストピアの入り口にさしかかっていることを示しているだろう。今やSNSという私たちにごく身近な情報空間が当局によって監視・検閲・統制されているのは明らかなわけで,その意味ではSNSそのものがフェイク(偽情報)になっているのである。この状況をディストピアと言わずに何と言おう!
ところで,山崎豊子の小説『大地の子』を読んでいると,主人公の中国残留孤児(作者は「戦争孤児」と呼ぶ)が文化大革命の時期に「日本のスパイ」「反革命分子」と見なされて無実の罪で強制収容所(労働改造所)送りとなり,批判闘争大会で大衆の前でリンチを受けるシーンが何度も描かれている。また,父親が文革の時期に吊るし上げられ,右派の烙印を捺されて,その屈辱と絶望の中で自殺したという娘の話も紹介される。自殺は人民に対して自ら決別する行為とみなされていたから罪は重く,残された家族は惨めな境遇を送らねばならなかったという。私には文革期のこうした密告・冤罪・迫害・粛清・処刑が蔓延る政治・社会状況が,SNS上でのフェイクやデマに基づいた誹謗中傷,ネットリンチが横行する現代と重なってくる。
内蒙古一〇四労働改造所の広場では,望楼に銃を持った警備兵がたち,厳重な監視のもとに,囚人が囚人を吊し上げる異様な集会が開かれようとしていた。
数百人の囚人が見守る中,『逃亡幇助 特務 陸一心』と赤字で書いた牌子(看板)を胸に吊した陸一心が引きずり出され,中央壇上の右下にある被告台にたたされた。
痩せこけ,顔はもちろん,手足も痣だらけの姿は,一目して,懲罰牢と連日の尋問のむごたらしさが推しはかられ,囚人たちは騒めいたが,看守兵が銃で威嚇し,鎮めた。この威嚇の中で,逃亡幇助罪を頑強に自白しない陸一心を,同じ囚人たちによって吊し上げ,自白させようというのが,労改側の”車輪大戦”(車輪のように尋問と批判大会をぐるぐると繰り返し,犯人を自白させる)の術(て)であった。
中央壇上には,労改の政治委員と所長が椅子に坐り,右端の司会台に,副所長がたって,広場を埋めた囚人に向い,まず,『毛主席語録』の一節を唱えた。
・・・
(山崎豊子『大地の子 上巻』文藝春秋p.248)
文革期の中国では赤いビニール表紙の『毛主席語録』が唯一の真実,正義であり,すべての情報はそれを基に真偽が判定されたが,現代では『毛主席語録』がSNSに置き換わったと言えよう。したがって,虚実ない交ぜとはいえ,そこがフェイクの発信源となり,多くの犠牲者を生む震源でもあった。「第三の視点」を排除する形で社会に浸透したという点で,デジタル社会のSNS信仰というのは毛沢東の個人崇拝に比定されるものだろう。現代ではSNSの発信に長け,広くユーザーの気持ちをつかむのが巧みなインフルエンサーがミニ毛沢東になれる。そのフォロワーたちは文革期の紅衛兵のように,真実であろうがフェイクであろうが,信奉するミニ毛沢東が発信する言説の拡散・普及に努めるわけである。
#報道特集
— 但馬問屋 (@wanpakuten) January 25, 2025
東京大学の鳥海不二夫教授が分析。
竹内元県議へのSNSの誹謗中傷、11万回以上も拡散。
拡散されたもののうち、約半数がたったの13アカウントだった‼️ pic.twitter.com/myoFSL3YhW
これから私たちが直面するのは,「生成AI革命」とか「第四次産業革命」といった言説で語られるユートピアではなく,デジタルという新たな衣装をまとった文化大革命の再来であろう・・・
文化大革命とは名ばかり,文明と知識を否定し,圧殺する運動によって中国はこの先,どうなるのだろうか,一心は暗澹たる気持ちになった。
(山崎豊子,同上書p.167)