今日の「八戸育ちの八戸っこ かわむら」のブログです。。。。
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さっきまで携帯をかざしてもバーコードが読みとれなくなって、今まで四苦八苦してた。明日またやってみよう。。。。
さて、禅宗の松本和尚さんの言葉にドキッとした。。。。
宗教は哲学ですね。。。。
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見えるもの、見えないもの
人間は全てを目にしている様でいて、
実は都合の良い部分だけを見て、都合の悪い部分は無視しています。
意識的に見ない様にしている訳ではなく、無意識に見ていないのです。
仮に人間が全てを見る事が出来たら、却って疲れてしまうでしょう。
必要な部分だけに意識が向く事でそれを避けているのかも知れません。
巷によくある”間違い探しのゲーム”が成立するのはその為です。
注意深く観察しないと、明らかな違いに気付く事すら出来ません。
人生がずっと間違い探しを続ける様な状態だったら疲れると思いませんか?
それは、自分に都合の良い出来過ぎた相手を探す為に、
相手の粗だけを見る事に集中する事も同じかも知れません。
相手の良い部分までも見えてしまったら迷いが生まれるではありませんか。
だから見ないのですが、実際に相手の良い部分が皆無なのではありません。
そして便利さの為に、普段見ない様にしている部分も誰にでもあります。
例えば産業や経済の発展の為に環境を見ない様にしていた人間。
しかし見て見ぬフリをして知らぬ存ぜぬ、想定外と押し通そうとしても、
臭い物に蓋をした問題が自然と消えてなくなってくれる訳ではなく、
先送りしていた分だけ、いずれ大きな問題となって眼前に立ち現れます。
目先の”都合”を優先して、都合の悪い事を先送りする事には、
報いが訪れる事を認識していようがいまいが、必ず訪れるのです。
或いは楽観的にいずれ問題を解決する力を人間が持つかも知れません。
まあしかしそれは結構な大博打と言えるのかも知れません。
勿論、勝つかも知れません。しかし勿論、負ける可能性もある訳です。
そして宗教は、普段からギャンブルを薦める立場ではなく、
基本的には姿勢を正し、節度を守り、感謝を忘れない態度を薦めるのです。
それは人間に都合の良い、見えるものを再度見える様に勧める事ではなく、
人間に見えていない、都合の良くない事をハッキリ映し出す事なのです。
人に気付かせる意味がなければ、宗教など何の意味も持ちません。
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「冬が過ぎ また訪れる 春の風 今か今かと 待ちわびて」
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