ファーストジャパニーズ 八戸 | 「八戸育ちの八戸っこ かわむら」の気ままブログ
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今日の「 八戸育ちの八戸っこ かわむら 」のブログです。。。。

 

さっき部屋の模様替えをして引き出しを開けたら、青葉城に行ったときに買った伊達政宗公のストラップが出てきた。。。。

 

めんこい。。。。

 

 

 

さて、急に日本人づいて変な俺だが、以前にアップしたアメリカでのファーストジャパニーズ、ジョン万次郎の話をしたくなった。。。。

 

 

Wikipediaより

 

 

ファースト ジャパニーズとして、アメリカの学生たちに人気の日本人、ジョン万次郎の動画をお届けします。

 

【歴史ミステリー】江戸時代にサバイバル生活、そして米国へ。ジョン万次郎の人生

 

 

 

14歳の少年が家計を助けるために捕鯨船に乗り、嵐で太平洋の無人島、鳥島に流され、アホウドリを生で食べ仲間たちと暮らしますが、数年後にアメリカの捕鯨船に助けられます。

 

その頃は江戸時代で、外国船は日本には上陸できませんでした。

 

この少年は真面目で向上心が強く、捕鯨船の乗組員たちから英語を一生懸命学び、船長にいたく気に入られ、仲間たちがハワイに上陸した後、船長と一緒にアメリカ本土に渡ります。

 

その後、船長の家に住み、日本では貧しく読み書きのできなかった彼は人種差別を受けながら、アメリカの学校に通い、船に関する学問を学び、首席で卒業した後、捕鯨船に乗りますが、どうしても日本に帰りたくて、ゴールドラッシュに沸くカリフォルニア州でお金を貯めて、船を買ってハワイに住んでる仲間の元を訪ね、希望者と一緒に琉球国(沖縄)へ行き、小舟に乗り換えて上陸します。

 

琉球で取り調べを受け、その後国内の何か所かで取り調べを受けて、数年後に土佐の実家へもどることができます。

 

だが、開国しなければならなくなった幕府から呼ばれ、スパイの疑いをかけられながら、アメリカとの交渉の時にふすまの陰から尽力し、通訳として咸臨丸で再びアメリカの地を踏み、育ててくれた捕鯨船の船長と20年ぶりに涙の再会を果たします。

 

ファースト ジャパニーズとして無学な彼が、言葉が違うアメリカの学校で努力に努力を重ね、現在の東京大学で講義をするまでに成功した、ジョン万次郎にアメリカの学生たちは、アメリカという国をつくった「フロンティア(開拓 開拓者)精神」を感じるのか、人気の日本人で万次郎ゆかりの建物は今でも保存されているそうです。

 

その後、育ててくれたアメリカの船長の子孫とジョン万次郎の子孫は、今でも交流を続けているという心温まる話でした。

 

 

 

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春彼岸の雪がとけて、今年も春がやってくる。。。

 

毎年2月17日から20日まで、その年の豊作を祈る神事。。。

 

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