著作権について

このブログでは、著作権保護の対象となっていない画像のみを掲載しています(著作権保護の対象となっている可能性のある画像についてはリンクのみを表示)。著作権保護については細心の注意を払っておりますが、万一、お気づきの点がありましたらお知らせください。







2016年1月6日水曜日

”孤立は悪”という呪縛から自由になる

昨年は、何度も戦後70年という言葉を耳にしたが、その一方で、集団的自衛権の行使を限定的に可能にする安全保障関連法が成立し、70年前の不幸が再び繰り返されないかという不安感がひときわ高まった。軍国主義へと突き進み、”一億玉砕”というスローガンの下で国民を大量に虐殺していた頃の日本は、世界の歴史上、稀に見る程、最悪な人権蹂躙国家であったと思う。こうした国民に不幸しかもたらさなかった国家は、一人の強力な独裁者とその限られた側近だけで形成されたのではない。もちろん戦犯とされた強力な権力を持った指導的な立場の人間の責任は一般人とは、比較にならない程重い。けれども、”一億玉砕”、”贅沢は敵だ” ”欲しがりません、勝つまでは”といった標語が徹底的に国民に浸透したのは、勤勉と協調性を美徳とする日本人の気質に負ったところも少なくないと思う。戦後の70年間で日本人の価値観や生活スタイルが大きく変わった。民主主義の概念をアメリカに植え付けられ、自由、平等、といった民主主義的な価値観がすっかり定着して、個人の権利が尊重され、”滅私奉公”などといった言葉は過去の遺物の様に思えたりする。

現在の日本の大抵の市町村の中には、町内会あるいは、自治会と呼ばれている団体が組織され多くの日本人がそこに属している。1930年代の日中戦争の頃に各地で組織され始め、太平洋戦争の頃に、、国によって徹底的に整備されたのが町内会の起源であり、戦争遂行に大きな役割を果たしたという。現在の自治会、町内会は、地域自治のための任意団体となっており、法的に、国や自治体などの行政組織とは、全く無関係であるはずだ。ところが、多くのこの様な地域自治のための組織は、市町村行政の下部組織の役割を担わされているのが現実だ。それゆえ、同好会のような任意団体であるあるのにもかかわらず、住民に対する強制力は、半端なものではない。加入しないと村八分になり、嫌がらせを受けたりで、そこに住み続けるのが困難な状況に追い込まれかねない。それなりのメリットがあるなら納得できるが、役員、班長、各種清掃、行事、祭りなどの地域活動と様々な使役に強制的に駆り出された挙句、年間5000円近くの会費を徴収され、デメリットが多すぎる......こんなところが、多くの加入者の本音ではないだろうか?  外国にも、勿論、地域自治のための組織は存在するが、日本と韓国を除いた殆どの国では、この様な強制力はなく、希望する人が集まって自主的に活動している文字通りのボランティア組織が圧倒的だとか。

古代以来の農民社会の中で、”集団から孤立することは、悪しきこと”とする観念を、日本人は幼少の頃から刷り込まれている。歴史上の権力者達もこの性質を利用して効率的に民衆を支配してきたし、太平洋戦争末期の”一億玉砕”という異常な風潮もこの様な日本人の体質によって、拡張されたのだと思う。  もし、自治会あるいは、同じ任意団体である学校のPTAの加入を拒否する人がいれば、その人は周囲から白眼視され、非難されるだろう。だから大抵の人は、その活動に興味がなくても義務的に参加する。自治会や、PTAといった組織が個人に与える圧倒的な強制力は、かって戦争に非協力的な者に”非国民”のレッテルを張り、村八分にして徹底的に苛めた戦時中の”町内会”と共通する性質を持っているような気がする。 この国に、民主主義が植え付けられて70年、憲法が国民に保障する基本的人権の自由に生きる権利、精神の自由の権利が、現在も往々にして侵害されたり、反対に知らず知らず無意識に他人の権利を侵害していたりすることもあると思う。 個人の自由な意志が尊重される風通しの良い社会を作るために、学校、社会、地域が醸し出す ”皆で一緒に○○○しよう。”といったプロパガンダ的な雰囲気に流されず、時には、孤立を恐れずに生きて行く勇気も必要かもしれない。 この社会に蔓延る悪質な集団的いじめへの参加を防ぎ、更に、過去の悲惨な歴史の再発を防ぐためにも.......







0 件のコメント:

コメントを投稿