安土城と琵琶湖の水位 | so what(だから何なんだ)

so what(だから何なんだ)

人生のバックパッカーのブログです。
一日に数本書いていますので、遡って読んで下さいね。

・・・・・・・っということで、琵琶湖の水位が低下して、坂本城の土台や、長浜城の井戸の跡が出現しているという話題。

 

琵琶湖には一級河川だけでも117本もの川が流入しているけれど、出て行く川は瀬田川一本だけなんですね。

 

ちなみに瀬田川は宇治川→淀川と名前を変えて大阪湾に注ぎます。

 

そんな状況ですから、水位に関しては不安定で、しばしば水害に見舞われていました。

 

明治の後期になって堰が設けられ、ようやく水位の調整ができるようになったそうです。

 

・・・・・・・

 

さて、ぼくの知識では安土城は建設当時、郭が琵琶湖に接していたと記憶しています。

 

防衛上の理由であるのは当然です。

 

すると、信長の時代、琵琶湖の水位が高かったはず。

 

なのに、時代が同じ坂本城や長浜城の遺跡が水位の低下で出現するというのは、理屈に合わないですよね。

 

??????????????

 

そこで調べてみました。

 

かつて「大中湖」と呼ばれる湖が琵琶湖に接して存在していたのです。

 

戦後に干拓され、農地になっていたのです。

 

安土城はその大中湖の湖畔に建設されていたというわけだったのです。

 

 

・・・ね?面白いでしょう?^m^