・・・・・・・っということで、イラクの警察官で構成されたSWATチームが、多大の犠牲を払いながらも、ある目的のためにISIL(イスラム国)のゲリラと激しい戦闘をする映画です。
その目的とは何か?・・・最後に明かされます。
それはチームの一員の家族を救出に行くためです。
観客は最後になって、「なぁ〜んだ」・・・となります。
ある意味、個人的な理由のために、皆が命をかけたのか?
もっと他の高邁な目的のためだと思っていたのに。
彼の妻はISILの戦闘員と無理やり結婚させられ、お腹に赤ちゃんまで宿していたのです。
実際にこのようなことが占領地で起きていたことは知っています。
主人公のクルド系の青年は、そこで闘う意味を知ります。
そして、残った隊員とともに、彼らの家族を救出に向かうと決心して物語は終わります。
この終わり方で、多くの観客はナンだよ個人の復讐劇を見せられたのかとがっかりします。
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ところが、人間が戦争をする真の目的は何かを考えるとき、最終的に行き着くのが、「自分の家族を守るために」ではないでしょうか?
いまウクライナで戦争が続いています。
ウクライナ軍は誰もの予想に反してよく戦っています。
彼らの強固な戦闘意思の源は何でしょう?
それは、家族を守るためです。
もっと言えば、自国の女性たちがロシア兵によって「強姦されないため」です。
西側が武器を供給するのは、「民主主義を守るため」です。
ゼレンスキーも「我々が民主主義の防波堤になっている」とのロジックを使います。
だから、武器を提供してくれ・・・なのです。
しかし、本心は自分たちの家族が蹂躙されないために戦っているのです。
西側とウクライナでは、戦う理由に明らかな温度差があります。
だから、西側には「援助疲れ」なんて現象が起きるのです。
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同じ戦闘シーンが満載の映画に【アウトポスト】があります。
アメリカ兵は大義名分として、タリバンやアルカイダと戦うことは、世界の民主主義を守ることになると信じさせられています。
しかし、それは自分たちの家族を守るという強い動機には結びつきません。
そこで、アメリカ兵はどう考えるか?
隣の戦友を守るため・・・と切り替えることによって、命をかけて戦う理由にするのです。
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日本兵は、かつて天皇万歳と叫んで死んでいきました。
お国を守るため戦うことは神聖なことだと信じていました。
でも、本心は家族を守るためでしょう?
鬼畜米英は日本人女性を凌辱すると教育されていたから、多くの女性が崖から飛び降りたのです。
男というものは、身内の女性を他国の兵隊から守るためには命を惜しまないようにできています。
韓国が執拗に慰安婦問題で日本に因縁をつけるのはそのためです。
自分たちが守れなかったからです。
実際の歴史を捻じ曲げても、そう信じ込みたいのです。
彼らが慰安婦問題に執着すればするほど、自分たちのだらしなさを強調することになることに気付いていないのは哀れでさえあります。
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ちょっと話題がズレてしまいましたが、何で人間は(男は)戦争をするのか、本質的なことを見逃してしまったら、また国家によって民衆は騙されますよと言いたいのです。
ぼくが、【モスル】に対して高く評価するのはそういう理由からです。