ひとりでにわしです。
毎年松のお手入れで入らせていただいているお庭。とても立派なのです。何でも大正時代からここに鎮座していると聞きます。
100年は経っている松に携われること自体の光栄なことですし、庭師として腕の見せ所です。
そんな中、お施主さんのおばあさんが、その日に限って、「家の中を見ていかないか?」というのです。
「ねえ、ちょっと見ていかない?」としきりに誘ってくださるので、いざ入ると、
もう、ビックリ。
昔お堂だった言葉を改装して事務所にしている。何でもおじいさんが宮大工で匠に作ったらしいのです。
暫く固まって動けなかった記憶があります。何て言葉にしていいのやらわからないし、あまり覚えてもいません。
とにかく圧巻とは、ああいうことを言うのだとその時思いました。
お不動様が鎮座している。
それもひとつつ2つではありませんでした。
昔の私の家は家族全員で新年は成田山新勝寺に行っていました。当時は脚のない兵隊が物乞いであちこちにいて、何とも不気味なとこだったという記憶があります。
お不動様の御本尊は成田山新勝寺といことで、そのお不動様には成田山と書かれていました。
これって、重要文化財レベルのすごいものなのでは?と思いました。実際そうなのですが、それよりお施主様の、おばあさんがよく聴くと御年90をこえていると。
いつも元気に電車で来られるし、発する言葉は明瞭で頭の回転が良く、それこそ星野リゾートの星野さんは先を見て先見の眼がある人だね。と、話題も面白いのです。
私は70代ぐらいかと思っていたのですが。
もしかすると、ずっと、小さい頃からこのお不動様のお世話はワタシの仕事だったと。それに携わったことが、アンチエイジングに何かしらの影響をもたらしていると、思わざるを得ません。
それだけ若いのです。
ある意味、信仰とは若さを保つというか、見返りではない何かを与えてくれるのかも。そう思ったのでした。
私はお不動様はもちろん、お世話のおばあさんがスゴいなという印象でこの庭をあとにしたのでした。
庭師として何より。これからもこういう仕事に携わりたいと切に思います😊それは大きい松でしたから。
ありがとうございます。