現代人は、繊細さや鋭敏さに極端に欠ける。
それでいて、大胆さがなく小心である。
一言で言えば、酷く鈍重になってしまったのだ。
なぜ、そのようになったかというと、テレビの影響が非常に大きい。
私は、今は全くテレビを見ないが、一瞬付けたり、テレビが付いた部屋に入れば、しばらく見ることになるが、テレビ番組やCMの、がさつ(動作・態度などに落着きがなく、荒っぽくぞんざいなさま)さ、喧噪(人声や物音で騒がしいこと)さ、下品さ、幼稚さには呆れるしかない。
テレビCMと同じものが、YouTubeやAmazon Primeビデオでも流れるが、やはり酷いものである。
人気お笑いタレントが大映しで登場するCMの、あまりの下らなさには目を背けるしかない。

そういったものに慣らされてしまい、これらを平気で見ることが出来たり、あるいは、楽しく感じるなら、もう、感性や脳は破壊されているとしか言えないと私は思う。
そして、YouTubeやニコニコ動画等の動画も、そのような感じのものが増えていると感じる。
テレビほどの崩壊した感じではないかもしれないが、最近の動画の特徴を簡単に言えば「冗長(長たらしく無駄が多い)」であり、5分で十分な内容を、余計な話やどうでもいい無駄な情報を「満載」して20分にしたり、また、思想的に低過ぎる傾向があるように私は思う。

以前は良かった動画チャンネルが、冗長化し、どんどん低下しているものが多いと思う。
例えば、あくまで個人的な感想だが、以前はHarano Times(主に政治に関するほぼ音声専用のチャンネル)をよく見ていたが、今は、この動画は、とにかく冗長で、その長さは、主に、同じことを何度もしつこく繰り返すことによるが、その繰り返し内容の大半は個人的信条であり、本来、賢い人は、それを意識して省こうとするものだ。良い情報もあるが、以前ほどの濃さはなくなったと思う。まあ、あくまで私の主観であり、この主観が当たっているとしても、単に製作者が仕事が忙しいのが原因かもしれないが。

いずれにしろ、まず、毎日テレビを見ている人は、おそらく思考力が無くなり、感性が極端に鈍ると思って間違いない。
それで、多くの現代人は、繊細なことに気付かず、鋭さを持っていないのである。

以下に、繊細さを失ったことでの恐ろしい事実を述べるが、分かり難いかもしれない。
現代人の呼吸は荒い。
人間が、繊細な観察をしている時の呼吸は微かで、とても細く長いので、呼吸の音が全くしない。
例えば、スパイが敵のアジト(地下司令部、潜窟場所、秘密基地、隠れ家)に潜入した時は、敵の人間を繊細に観察して、自分の存在に気付かれないよう最大に注意するが、そんな時は、単に音を立てないという必要性以上に、呼吸が微かになる。
繊細な観察をすれば、自然にそうなるのだ。
我々は、現代社会においては、敵基地に潜入したスパイのような注意深さ、賢さがなくてはならない。
そして、もっと重要なことは、自然や自分を、繊細に鋭敏に観察しなくてはならないことだ。

最も重要な観察対象は、「自分の存在」である。
恐ろしく重要でありながら、誰もそれを知らない。
現代人の破壊され尽くした知性や感性は、「自分の存在」を感じることが出来ない。
これほど重要なものはないに関わらず。
旧約聖書には、神とは「『私は在る』と言う者」であると書かれているが、それが本当であるなら、神とはつまり、「自分の純粋な存在に気付いている者」なのである。
だが、現代人は、自分を、外見的特徴、身に付けているもの、肩書き、学歴、立場などを、自分の存在だと思い込んでおり、そのせいで、あらゆる力を失っているのである。
自分の存在の感覚が神であることを、知る術はない。
純粋な自己の存在の感覚とは、朝、目覚めて、思考がやってくるまでの間の感覚である。
神人は、それを保つことが出来るので、いかなる奇跡も起こせるのである。
例えば、イエス・キリストがそうだった。彼だって、世の中の喧噪の中では、存在の感覚から外れることもあったかもしれないが、祈ることですぐに修正することが出来た。
インドの聖者ラマナ・マハルシは、こんな質疑を行っている。
質問者「イエスは、超能力を持った完全な存在ではなかったのですか?」
マハルシ「彼は自分の超能力に気付いていなかったのだ」
イエスは、自分の純粋な存在に気付いていたから、決意したことは自動的に起こったのである。








  
このエントリーをはてなブックマークに追加   
人気ランキング参加中です 人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ