悠久の恋人たち 95 | ブログ連載小説・幸田回生

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読み切りの小説を連載にしてみました。

よろしかった、読んでみてください。

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 4人で焼き鳥を摘まみながら、場の雰囲気が和らぐと、
 山岡さんがハジメに食い付いた。



「海野先輩、一つ伺ってもいいですか?
 先程、観ていて思ったのですが、
 今回、展示されていた山の絵についてですが、
 高校を出たばかりのわたしに絵の構造など難しいことは解りませんが、あれはどこの山を描かれたのですか?

 


 わたしが知る限り、高校の近くには先輩が描かれた盆地に囲まれたあのような山はどこにもないのですが?」

 


「これは厳しい若手批評家の登場ですね」

 


 上島君が笑顔を浮かべながら、ハジメを見た。



「山岡さんが指摘するように高校の周りにあのような山はありません。
 地元の山といえば、誰もが知っている富士山ですから。

 あの絵のモデルは僕の母の故郷の長野の小さな町に横たわる山です。

 

 

 もう2年近くになりますか、夏休みに実家に帰省した翌朝、 
 母方の祖父が亡くなった知らせを受け、
 その日のうちに母の運転する軽自動車に僕と妹の家族3人で、
 小さな町の葬儀場で執われた通夜に駆け付けました。

 


 翌日は葬儀です。 
 それから数日、母が生まれ育った、祖父が一生を送った小さな町で過ごしました。



 小学生の頃からほぼ10年ぶりに訪れた母の故郷は僕の想い描いた
町とは少し違って見えました。
 それもそのはずです。
 母と違って、父の地元の海の側の小さな町で生まれ育った僕にとって、海が地元で山は他所の土地です。

 


 翌年のお盆の初盆にも家族3人で出席すると、
 他所の土地としか見えなかった山間の集落の表情が少し違って見えました。
 祖父が亡くなって丸1年経って、母が過ごした結婚するまでの年月と祖父の生涯が、それまで僕の中で留まっていた時間が再び動き出したのです。


 
 今回の展示会のため、僕は母の故郷を描くことにしました。
 本格的な山の風景は美大に入って初めてで、冒険でしたが、
 今、自分が持っているものは出せたと自負しています。

 


 余談ですが、僕の母の故郷の町は先日、展示会に来てくれたミサキさんとミユキさんの山神姉妹の地元でもあります。
 初盆には沢田先輩も駆け付けてくれて、ちょっとしたハプニングもありました」


「そんな経緯があったのですね。
 お話を伺って、ハジメさんの山の絵をもっと観たくなりました」

 


「ミサキさんって、学園祭のライブでシンセを弾きながら、
 歌っていた女性ですよね?」

 


「よく覚えているね」

 


「海野先輩の彼女は忘れません」


 
 山岡さんの発言に一同、静まりかえったあと、
 そんな空気をものともせず、彼女の口は減ることはなかった。



「それはそうと、上島先輩の少女像のモデルはどなたですか?
 モデルさんの容姿はどこか日本人離れしている気がしてならないのですが?」

 


「美大に入って初めて、先輩と言われたので照れてますが、
 あの少女像のモデルは母です。

 


 先ほども言いましたが、僕には8分の1、イタリア人の血が流れていますが、その元になっているのが母です。
 母はクオーターで、母方の曾祖父がイタリア人です。

 


 クオーターといっても、実際の母はハーフのようで一見すると、 

  肌色の濃いイタリア人というより、どこか北欧の人のようにも見えます。 

 


 少女の頃は今よりもっと外国人風だったそうで、
 子供の頃は学校で外人外人とからかわれていたので、
 外人という言葉は家では禁句になっています。
 実際、当時の写真を見せてもらうと、本当に外国人のようです。


 
 去年の夏、美大に入り上京して初めて実家のある三重県に帰省した折、久しぶり母の姿を見て、僕にも感じるものがありました。
 僕はこの母から生まれてきたんだと。
 最近は増えたとはいえ、三重で外国人を見るのはまだ稀です。 


 東京では美大の周辺でもそうですが、特に新宿や渋谷、
 靑山や六本木に出ようものなら、日本人以上に外国人の姿を見かける今日この頃。
 家で母の顔を見るにつけ、
 曾祖父がどのような気持ちで日本にやって来たのだろうと、 
 想わずにはいられなかった。
 曾祖父が日本に来なければ、母も僕もこの世にいないのですから。



 曾祖父が来日したのは戦後間もない港町の神戸でした。
 ヨーロッパの長靴のような地形の敗戦国のイタリアから極東の敗戦国である島国の日本に船でやって来た曾祖父の心持ちを、
 僕は知りようもありません。
 生前の曾祖父に会ったことがないからです。

 


 戦後日本での生活も謎といえば謎で何で生計を立てていたのかも知りません。
 来日前のイタリアでの暮らし向きも、ナチスドイツや日本と同盟を結んだムッソリーニの独裁体制下、兵役に就いていたかどうかも知り得ません。
 そもそも母は曾祖父の話も、イタリアの話もどこかしら避けているようでした。



 大阪で日本人の曾祖母と結婚して落ち着いたのも束の間の出来事だったのでしょう。
 曾祖父は家族を捨て、一人オーストラリアに旅立ったそうです。
 日本が高度経済成長を迎えた東京オリンピック前のことでした。
 以後、曾祖父の足取りは消えたままです。
 曾祖父の一人娘である母方の祖母にも子供の頃、一度会ったきりです。

 


 小学生の頃、家族で大阪に住む祖母に会いに行って、
 難波や天王寺動物園に連れて行ってもらった、翌年、祖母はこの世を去りました。
 知らせを受け、家族で大阪に行くと、僕ら家族の到着を待つかのように、教会で葬儀が始まりました。



 この話は先程の、ハジメさんのお爺さまが僕の祖母に代わったようですが、棺の中に眠る祖母の顔が母そっくりで、イタリア人というか、

  外国人そのまままのようだったと、幼心に刻まれています。
 10年経った今でもはっきりと覚えています。
 日本を離れたことがなかった祖母ですが、生まれてから死ぬまで、 外見と違わず、法律上はイタリア人のままでした。



 去年の夏休み、幼き日の自分の自画像を描いて東京に戻り、
 アパートの一室で今度は思い出すように母の姿をデッサンしました。
 それが今回、出展した少女像のあらましです」

 


「学園祭を終えて、上島君のアパートに寄らせてもらった時、
 イーゼルの上のデッサンが今回の少女像になったのですね」

 


「ハジメさん、覚えて頂いて、ありがとうございます。
 何だか、湿っぽくなりましたね。
 明日は美大の入学式です。
 二人のご両親は式に出席されるのですか?」



「まさか!」

 


 山岡さんがあっけにとられるように上島君を見て、
 ハジメと高橋君に同意を促した。

 


「僕の両親も来ません」

 


 高橋君がハジメの目を覗き込んだ。

 


「僕は母親一人だけど、来なかった」

 


「そうなんですか。
 夜中に高速を飛ばして、わざわざ三重から出て来て、 
 両親が揃って入学式に出席した、僕のケースが珍しいんですね。

 


 過保護といえば、過保護なのかもしれませんが、
 小学校入学以来、中学、高校、美大まで両親が揃って、
 僕の入学式に出席してくれました。
 それが当たり前というか、常識だとばかり想っていたので、
 ここで世間の常識を知れてよかったです。

 


 それはともかく、明日の入学式、二人の御両親に成り代わって、
 出席させて頂きます。
 ハジメさんはどうされますか?」

 

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