太平洋のさざ波 11(2章日本) | ブログ連載小説・幸田回生

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読み切りの小説を連載にしてみました。

よろしかった、読んでみてください。

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 ゲンさんの話を聞いている間に家に着くと、
 赤毛の雑種犬が元気に飛び出してきた。
 左右のドアから二人で車を降りると、

 


「ゲンタ!」

 


 ゲンさんの大きな声に愛犬が応えるように吠え立てた。
「こちらはハワイで知り合った、吉田さん。

 


 ゲンタ、挨拶しな」



 リードに繋がれたゲンタが犬小屋を引っ張るようにして飛びかかってきた。

 


「ゲンタ!」

 


 ゲンさんの声にゲンタがもう一度ジャンプした。



「吉田さん、犬が苦手ですか。
 どこか及び腰でノースショアの波に立ち向かった雄姿が見えないですね」

 


 笑いを堪えるゲンさんに上目使いに近づいたゲンタが尻尾を振った。


「知り合いの家で生まれたばかりのこの子を見た瞬間、
 ゲンタという名前が閃きました。
 源間家の愛犬がゲンタ、冗談のようですが。
 これでも、我が子のように真剣に名付けたつもりです。



 それまで犬といえば血統種ばかりに目がいってしまって、
 どこの馬の骨といえば、聞こえは悪いですが、
 ゲンタって、見掛けによらず、可愛い奴でしょう。
 これがゲンタ流の挨拶だと、勘弁してやってください。

 


 まだ一歳半で子供気分が抜けきらず、遊んでもらおうと誰構わずと尻尾を振るのですが、それでも、善人悪人の区別は付くようで、僕がハワイに行っている間、ネット時代に絶滅したと想われがちな、田舎でも絶滅しかけた家を訪ねて来る押し売りや、
 光回線の勧誘に容赦なく吠え立ててくれて、
 一人で家を守ってくれていた妻を援護してくれたそうです。
 どこか抜けていそうで、ゲンタは賢い奴です」


 元気一杯なゲンタに手を振り、お宅にお邪魔した。
 近所のスーパーに勤める奥さんは仕事で留守だったので、
 昭和チックな古い戸建ての家で男二人、時を過ごした。



「車に続いて、古い家にびっくりされたでしょう。
 賃貸ですが、嫁の軽と2台分車が駐められて格安とくれば借りない手はない。

 


 僕が子供の頃、今から20年くらい前、大阪南部の泉州と呼ばれる、関空からもほど近い大阪の田舎町では珍しくなかった。
 何を隠そう、僕もずっとこんな感じの平屋の一軒家に住んでいました。

 


 実家に戻ったようなどこか、懐かしさもあって、
 それがこの家を借りるきっかけにもなったのですが、
 古さはともかく、住めば都です」



 狭いキッチンというか台所を抜け、洋間と化した部屋に通された。



「見ての通り、6畳の和室を近くのホームセンターで買ったタイルを自分で敷き詰めて、フローリングにしました」

 


 そう言って、ゲンさんはテーブルの上のリモコンを手にすると、外房の海をイメージさせるようなアップテンポのレゲエが聞こえてきた。



「狭い所ですが座って下さい。
 椅子を置くと、どうにも窮屈なので適当に座ってください。
 飲み物は何がいいですが?」

 


「そうですね、コーヒーをお願いします」

 


「畏まりました。
 ハワイから持ち帰ったとっておきのコーヒーをお入れしますのが、
 今しばらくお待ちください」



 ゲンさんがキッチンに下がり、ご自慢の改装部屋を眺めながら、レゲエに身を任せていると、どこからしらハワイの海の香りを漂わせるコーヒーとかっぽえびせんがプレートに乗って運ばれてきた。


「かっぱえびせんですか?」

 


「お好きですか?」

 


「好きも嫌いもありません。
 かっぱえびせんと言えば、僕の地元の広島を代表するスナック菓子です。
 子供の頃以来、かっぱえびせんを囓ると、広島の汐と小エビが口から鼻から体全体を刺激して、天国に行った気分です」

 


「どうぞ、開けてください」

 


 ゲンさんに言われるまま、かっぱえびせんの袋を両手でひっぱると、今言ったばかりの広島の汐と小エビが狭い部屋に漂った。



「頂いていいですか?」

 


「どうぞ召し上がって下さい」

 



 かっぱえびせんを二口三口頬張ると、瞬く間に、二人で一袋開けた。
 口の中に広島の汐と小エビの味が満載にする中、
 ようやく、コーヒーに口を付けた。



「ハワイの香りがしますか?」

 


「そう言いたいところですが、口の中がかっぱえびせんだらけで、何を飲んでいるのか、わからなくなっています」

 


「そうですか。
 吉田さんの地元広島愛が感じられて、かっぱえびせんをお出して正解でした。


 話は戻りますが、素人の日曜大工を今風にしたDIYの番組を目にしてから毎週欠かさず、録画してまで観るようになりました。

 


 それに飽き足らず、雑誌しかり、YOUTUBE動画やネットで検索して、素人ながら、家具や棚なんかも作っています。
 先ほどのゲンタの犬小屋が最初の作品です。

 


 まずは成長したゲンタをイメージして、
 カレンターの裏に鉛筆でデッサンしました。
 白い紙がなくなるくらいデッサンを重ね、
 中学校の美術以来の創作活動に夢中になって、早寝早起きの習慣を忘れさせるくらいに時計の針は深夜12時を過ぎていました。


 翌日の午後、素材や寸法を考え、実際にホームセンターに出向き、お店で買う物とネットで購入するものに分けて、予算を割り振りました。

 


 自分で言うのも変ですが、ゲンタも自分の小屋を気に入ってくれているようで、想いも寄らず、上手く出来たので、少し欲が出てきました。

 


 古い車やサーフボードをいじるのと同じで、
 暇を見つけ、自分なりのコツを掴むと楽しくて、
 将来的にはサーフボードを手作りしたいのですが、
 今は夢を温めている段階です」



「サーフィンに限らず、自分で工夫すると、生活に張りが出ますね。
 メールでもお断りしましたが、ゲンさんと呼ばせてもらって構いませんか?」

 


「どうぞ、ゲンさんでお願いします」

 


「それでは、お許しを頂いたところで、
 これからゲンさんと呼ばせていただきます。

 


 僕は生まれながの不器用でゲンさんの真似はできないのですが、車どころか、パソコン一ついじれませんが、
 暇を見つけては部屋を掃除するのを心掛けています。

 


 1Kの狭い部屋なので掃除機は持たず、板間をモップで吹いて、風呂やトイレの掃除も使った時にざっと洗って紙で拭くと、
 月末にまとめてする掃除がぐっと楽になる。



 今ご馳走になった、かっぱえびせんの続きにもなるのですが、
 広島の瀬戸内沿いの実家も、この家と同じような古い戸建てです。

 


 学生の頃は長い休みの度にしていた帰省も、
 社会人になった今では年に一度なってしまいましたが、
 今も両親が暮らす家は海から少し離れた坂の中腹にあって、
 坂をのんびりと下ると、太平洋とは真逆な静かな海が見えてきます。

 


 ハワイから戻って、西船橋の隣の南船橋にあるIKEAと船橋競馬場の近くにも行ったのですが、その向こうは海のようですが、船橋に2年近く住んでいるのに行ったこともなければ、はっきりとは知らない有様です。



 海といっても、泳げる海でなし、隣の市川や習志野との境界線のあいまいで、どこからどこまでが船橋で市川か習志野なのかも定かでありません」



「僕も似たようなものです。
 妻と結婚してこの家に引っ越して2年、
 その前はこの近くのアパートに一人で住んでいたのですが、 
 隣町出身の妻はともかく、どこからどこまでが勝浦市でどこからが隣の市や町かなんて、他所者からしたら至難の技です。

  実家がある大阪でも無理でしょう。

 


 吉田さんて、風呂やトイレの掃除といい、生真面目というか、
 几帳面ですね。

 


 僕なんか、海を、波を求めて勝浦にやって来たと言えば格好いいですが、実際のところ、子供の頃にすでに決められていたとでも言いますか、妻と出会い、勝浦に居着くのが定めだったようで、ここに腰を降ろして暮らすことになりました」



「どういうことですか?」



「僕が生まれ育った泉州は車の和泉ナンバーが示すように、
 今の大阪府を代表する3つの国の一つですが、ざっくりと言って、大阪の北部から兵庫県にかけての摂津の国、淀川の南の河内の国、大和川の南の和泉の国に分けられます。

 


 和泉の国と今の奈良県の大和の国の南に位置するのが紀伊の国で、 廃藩置県で和歌山県と三重県の西南部の一部に分かれましたが、ここにも、今住んでいる外房の勝浦と同じ名前の港町があります。



 今から20年前の僕が小学生時分、
 お盆の季節に父の仕事もサッカーの練習も休みで、
 夏休みどこにも連れて行ってやれなかった罪滅ぼしにと、
 父が言い出しっぺになって車で出掛けることになりました。

 


 両親と僕と妹と家族4人連れ立ち、父の軽自動車に揺られ、
 ラジオ体操より朝早く家を出たというのに、勝浦に着いた時はすっかり昼は過ぎでした。

 


 途中、海沿いの通りの公園車を駐め、家族揃ってベンチに座り、ギラギラした太陽に目を細めながら早起きして母が作ってくれたおにぎりを食べ、水筒の麦茶を飲み干しました。

 


 当時は関空が出来たばかりの頃で和歌山への高速道も整備されてなく、昔の軽自動車でクーラーの利きも悪くて、
 真夏の暑い最中にとんだ田舎まで連れて来られ、
 何の因果か知らないが、急に勝浦に行こうと言い出した父を、
 家族3人で恨んだりもしました」

 

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