太平洋のさざ波 12(2章日本) | ブログ連載小説・幸田回生

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読み切りの小説を連載にしてみました。

よろしかった、読んでみてください。

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「和歌山で思い出しました。
 ゲンさんとハワイのザ・バスの中ではぐれた翌朝、 
 パールパーバーを目指しホテルの近く通りでバスを待っていると、同年代の和歌山在住の男性数名と出会いました。

 


 一行は和歌山の高校時代の同級生で、僕らが乗り合わせた関空発のLCCとは別の便に乗ってハワイにやって来たそうで、
 ワイキキのホテルに一泊後、今からダウンタウンでブラブラして、 午後にはとんぼ返りすると言っていましたが、彼らは車で関空まで乗り入れたと」



「こう言っては失礼かもしれませんが、
 関西の田舎でしかなかった和歌山も関空に近い立地を活かし、  なんだかんだと開けてきたんですね。
 僕が子供の頃には想像すらできませんでした。

 


 大阪出身だから上から目線で和歌山を馬鹿にしていると感じられたのなら、少し違うと言わせて下さい。

 


 大阪であれ、千葉であれ、
 これまで出会った和歌山の人は在住者も出身者も含めて、
 僕が泉州出身だと知ると、羨ましいと口にすると同時にインフラが最低でICカード一つ使えない田舎だと、必要以上に和歌山を卑下します。


 実際、泉州と紀州は地続きのお隣さんで、
 歴史的文化的には兄弟のような間柄でありながら、
 江戸時代は徳川御三家として八代将軍吉宗を生み、
 栄華や誇りを持っていたのでしょうが、
 明治になって、京から江戸に都が移つり、日本の中心軸が東に傾きました。

 


 戦後、新幹線や高速道路の整備にから取り残された和歌山県の存在価値が急激に低下しました。
 今では地元選出の国会議員までが和歌山は田舎ですと、
 笑えない自虐ネタを披露するほどです。

 


 それが、泉州から紀州の勝浦に行く時間に少し足せば、
 関空からハワイまで行けてしまうのですから、時代は変わりました。
 勝浦の海に一緒に行った妹は和歌山出身の男性と知り合い、
 今では和歌山市内に住み、二児の母親になっています」



「そういえば、勝浦は鯨漁で有名ではなかったですか?」

 


 部屋に張ってあった鯨の尾びれのポスターの話題を投げ掛けた。

 


「あのポスターですね。
 嫁が知り合いからもらって来たのですが、
 吉田さん、鯨に興味がありますか?」



 俺は小さく頷いた。



「ノースショアで話したかもしれませんが、
 ホノルル空港からのバスの中でゲンさんとはぐれてから、
 僕はワイキキビーチ側のホテルに2泊した後、
 小型機でマウイ島に飛んでラハイナという小さな港町に宿を取りました。


 
 名前は知っていたラハイナですが、
 想った以上にこじんまりとした町で、その昔、ハワイを統一したカメハメハ大王の時代にはハワイの都で捕鯨で栄えていたようです。

 


 ラハイナには鯨を見張る物見櫓のような灯台があって、
 小説や映画で有名になった一本足の船長がケンタッキーフライドチキンのおじさんのように看板人形となって、ホテル兼レストランの前に立っています」

 


「エイブル船長でしょう」

 


「よくご存じですね」

 


「勝浦でアパートを探す時にお世話なった不動産屋さんがエイブル船長と同じ名前だったので覚えています」

 



「どこかで聞き覚えがありましたが、エイブルは不動産屋さんでしたか。

 


 アメリカの東部から、ワゴンいう名前の幌馬車隊の連中がアメリカ人が西へ西へと目指す征服の旅は西海岸を代表するロサンゼルス、サンフランシスコで終わることはなかったのでしょう。

 


 エイブル船長が我が物顔で鯨を漁っていたちょうどその頃、
 西部劇よろしく、東海岸に臨む大西洋から鯨油を求めて、
 大海原の太平洋に出て彷徨いながらも、ラハイナが鯨漁で有名になったようにハワイ諸島を起点に小笠原諸島をはじめ日本近海までやって来るようになりました」



「ご存じかもしれませんが、
 紀州の勝浦近くに太地という鯨漁で有名な漁港があって、
 外房の勝浦から少し下った和田浦が同じく鯨で有名です。

 


 鯨漁にとどまらず、和田浦はサーフィンのスポットとして有名で、地元勝浦に飽き足らずといえば、気分を変えるつもりで何度か足を運びました。

 


 先ほどの子供時分の話ですが、欧米ではタブーかもしれませんが、父の車で帰りに太地のお店に寄って、鯨の肉を食べました。
 美味かったです」


「牡蛎が有名な広島ではそれほど一般的ではありませんが、
 子供の頃、家族で隣の山口県の下関を訪れた時、
 家族4人で鯨の肉を食べたことがあります。
 20年近く前の話で、味はよく覚えていないのですが、
 大きな鯨の模型の記憶が強く印象に残っています。


  
 エイブル船長の続きになりますが、
 船長が居座るラハイナの中心地の広場前からマウイ島を巡回するバスに乗り、北に30分も走りると、ホエラーズビレッジと名付けられたちょっとしたショッピングモールでバスを降りると、
 屋外に大きな鯨の模型が展示があって、懐かしさもあって見上げたものです。

 その時、マウイと鯨の接点に気づきました」



「マウイの鯨の話は初めてお聞きしました。
 ショッピングモールの鯨の模型といい、エイブル船長といい、
 マウイと外房と紀州の勝浦が鯨で繋がっているのですね。

 


 話は変わりますが、季節外れにハワイまでサーフィンに行ったり、外房の勝浦で僕が何で生計を立てているのか、
 疑問に感じられているかと想いますが、
 ネットでサーフィンや海の写真や記事を投稿して生活の糧にしています。

 


 鯨のポスターも妻が僕のモチベーションが上がるようにこっそり仕入れて、気を使っているのでしょう。
 土曜日も日曜日のスーパーに働きに出て、妻が家計を支えてくれるからの道楽です。
 妻にはゲンタ共々、まったく頭が上がりません」



 ゲンさんから初めて生業の話を聞いた。



「ゲンさんもそうですが。
 僕も小さな会社に属していますが、主にネットに記事を上げています。

 


 主に生活に根ざした庶民派と言いたいのですが、
 時に政治や経済、スポーツやファッショに突っ込んだりもします」

 


「そうだったんですね。
 似た者同士といえば、似た者同志ですか」

 

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