太平洋のさざ波 14(2章日本) | ブログ連載小説・幸田回生

ブログ連載小説・幸田回生

読み切りの小説を連載にしてみました。

よろしかった、読んでみてください。

 14

 ゲンさんの家に戻ると、ゲンタの飛び跳ねる歓待を受けると同時に庭に駐まった白い軽自動車が目に入った。
 スーパーに勤める奥さんが帰宅していたのだ。



 勝浦の海に入る以上に緊張した。
 土曜日に務めに出ていた奥さんにとって、留守を狙ったように家に上がり込んでご主人のゲンさんと一緒に海でサーフィンで戯れた一見さんに良い気持ちはしないだろうと。

 


 ゲンタの啼き声を聞きつけて、黒いダウンのベストとスリムなジーンズ姿でサンダル履きの長い黒髪の小柄な奥さんが玄関から出て来られた。


「はじめまして、吉田と申します」

 

 挨拶を兼ねて、俺は名乗った。

 


「こちらこそ、はじめまして、ごんばんは。
 源間の妻で、タマミと申します。
 勝浦の海は如何でした。
 寒かったでしょう。 

 


 わたしも今帰ってきたばかりで、バタバタして夕飯の準備も出来ていなのですが、吉田さん、ウェットスーツを脱いでシャワーを浴びて下さい。
 その間にごはんの準備をしますから」



 奥さんに促されるように家に上がり、
 ゲンさんと交替でシャワーを浴びて、着替えを済ませた。
 ゲンさんは駅に迎えてくれた時のジャージ姿に俺もゲンさんのセカンド・ジャージ借り、懐かしい石油ストーブに当たりながら落ち着くと、

 


「吉田さん、明日は日曜日でお休みでしょう。
 これから夕飯を食べて、よろしかったら、
 今夜はこの家に泊まられませんか?
 同じ千葉県内といえ、ここから船橋は遠いでしょう」

 


「そうして下さい」

 


 ゲンさんに奥さんが続いた。

 


「ご覧の通り、古くて隙間風が入ってくる狭い家ですが、
 布団ならありますし、泊まって頂けると、主人も喜びます」


 夕飯をご馳走になり、ゲンさんに駅まで送ってもらって、
 帰宅する心積もりだったので、一瞬、たじろいてしまった。



「そうして下さい。
 妻もそう言っていることですから。
 こう見えて、妻も僕も、吉田さんに興味津々なんです。

 


 普段なら、もっと若い、年が離れたタクマのような世代が相手ですが、吉田さんとは年も近く、もっと共感するものがあるのかもしれませんから」

 


「ありがとうございます。
 今夜一晩、お宅はお世話になります。
 どうぞよろしくお願いします」



 こうして、ゲンさんご夫妻のお宅にお世話になることになった。

 


 ご夫妻と鍋を囲み、ごはんのお供に豚肉をしゃぶしゃぶ風にして、 ごま味噌ダレで頂いた。
 合わせの味噌を解いて、豆腐、関東風の太長ネギ、
 広島を想わせる牡蛎を入れ、最高の鍋をご馳走になり、締めにうどん玉が入った。



「もう食べきれませんね。
 今から電車で西船橋まで帰れって言われて無理かもしれません」

 


「そうでしょう。
 僕も妻も実はそれを見越していました。
 今日は勝浦まで来て頂いてありがとうございます。
 ハワイでは何のおもてなしも出来なかったのが、
 心残りになっていたので、これで胸のつかえが下ります。
 今から、プロレスでも観ませんか?」

 


「プロレスですか?」

 


「プロレスはお嫌いですか?」

 


 奥さんの声に俺は首を振った。

 


「主人はサーフィン以上にサッカー以上にプロレスが大好きなんです。
 主人につられて、わたしもテレビでネットでプロレスを観るようになって、にわかファンに軽い中毒になっています」


 奥さんの言葉が終わるか終わらないうちに、
 ゲンさんの準備が終わり、プロレスのネット中継が始まった。

 


 アントニオ猪木、坂口征二、藤波辰爾、長州力、タイガーマスク、懐かしの新日本プロレス最盛期のレスラーと供に、
 スタン・ハンセン、ハルク・ホーガン、
 ダイナマイト・キッド、タイガー・ジェット・シン、
 アブドーラ・ザー・ブッチャー等など、

 昔懐かしい外国人レスラーがTVモニターに映り、

 リング上を所狭しと駆け巡った。



「懐かしいですね」

 


「吉田さんもプロレスがお好きでよかった」

 


「プロレス好きというより
 プロレスがゴールデンから深夜枠に都落ちした時代に育ったので、父が録画したプロレスを一緒に観ていました」

 


「僕も吉田さんと同じように父の影響でテレビで録画でプロレスを観るようになったクチです」

 


「同じですね。
 懐かしのレスラーばかりです興奮しましたが、
 ゲンさんは今のプロレスは観ますか?」

 


「観なくはありませんが、物心ついてから父と一緒に観ていたプロレスが一番です。
 驚かないでください、
 僕は生でプロレスを観たことがないプロレスファンなんです」



「僕もそうです。
 小学生の頃、隣の市にプロレス巡業が来たのですが、
 父の好みではないマイナーな団体だったので連れて行ってもらえませんでした。

 


 同級生が家族で観に行ったとか、
 覆面レスラーを商店街で見掛けたとか、ちょっとした自慢大会になって、それに参加できなくて、ちょっぴり悔しかった」



「僕にも同じようなことがあったな。
 電信柱に張られたプロレスのポスターを見て、
 来週、近くにプロレスが来るんだけど、
 何気なく父を誘ってみたら、フンと鼻で笑われて、
 馬場も猪木も出ないプロレスの何が良いんだ。
 そんなプロレスを観に行く奴の気がしれないと。
 
 もし、僕の体がもっと大きかったら、サッカー選手を夢見るより、プロレスラーになりたかったでしょう。

 


 先ほども出て来た、タイガーマスク、ダイナマイトキッドなどのジュニアのレスラーも魅力的ですが、
 やっぱり、僕は大きなレスラーが好きです。
 今日はお見せできなかったですが、
 全日本の馬場、鶴田、天竜とハンセン、ブロディが絡んだりすると最高でした。

 とはいっても、マスクマンも好きです。
 父がミル・マスカラスの大ファンで、
 その昔、父が集めた、部屋に飾った宝物のマスクに囲まれ、
 マスカラスのテーマソングのスカイハイに耳を傾け、
 うっとりする父の姿が忘れられません。


 
 そんな父も一昨年の秋に亡くなりました。
 心筋梗塞による、心臓の突然死です。
 家で夕食中にバタンと倒れて、救急車で病院に運ばれましたが、その日のうちに息を引き取りました。

 


 翌朝、成田から関空に飛んで、妻と実家に駆け付けましたが、
 変わり果てた父は狭い我が家の和室の6畳間に置かれた棺の中で眠っていました。
 近くの斎場に棺を移して通夜、
 翌日には葬儀、荼毘と、目まぐるしい一日が過ぎました。



 人間の命なんてはかないものですね。
 それまで病気知らずだった父が還暦を前にあっという間に逝ってしまうのですから。

 


 若いからといって、僕もこの先どうなるかわからないなと、
 あの時、心底思いました。
 あんなに早く、父との別れが来ると想いもしなかったので、
 将来について、父と語り会ったこともありませんでした。



 今になってみれば、もっと父を話をしたかった、
 孫の顔を見せてあげたかった。

 


 今月、ハワイから関空に戻った際に一泊だけ実家に寄って、
 仏壇に線香を点し、近くの寺にある父の墓前に花を供えました。無事に帰国できました、これもお父さんが見守ってくれるお陰です。

 


 プロレスからついつい父を思い出して、しんみりとした話をして済みません」



「お父様が早くお亡くなりになったのは残念ですが、
 父と子の素敵なお話しが聞けて羨ましい限りです。

 


 プロレスで思い出しましたが、マウイ島のバスの中で半ケツのスタン・ハンセンのそっくりさんを見ました。

 


 帰国してから、
 船橋のパブでプロレス好きなイギリス人に声を掛けられ、
 今日はゲンさんとプロレス繋がりが続いています。
 僕にプロレスの神でも憑いているんですかね」

 


「どうでしょうね」

 


 ゲンさんの言葉に奥さんが頷いて、二人は笑顔になった。

 

">