2024年1月に2週間強、タイに行った。
今回はチェンマイとバンコクを訪れ、家族と共に「ワーケーション」を過ごした。
やはり「旅は偉大な経験学習の場」であり、様々な学びと気づきを内省的に教訓として得たため、本稿をしたためた次第である。約6200字と長文になってしまったが、ご覧いただいた方の心の中にある何か、あるいは琴線に触れることができればと思う。
※ワーケーションとは:「ワーク」と「バケーション」を組み合わせた造語。英語圏の主要メディアは「workcation」と綴る。観光地やリゾート地でテレワークを活用し、働きながら休暇をとる過ごし方。在宅勤務やレンタルオフィスでのテレワークとは区別される。
目次:
01【旅や旅行に求めるものの変化について】
02【家族旅行、色んな経験をするということ】
03【SIMとGrabの利便性の高さ、ハンパないって~】
04【人が好き、人との出会い】
05【脳内でイメージできることしか実現しない】
06【「成熟期を過ぎた組織は必ず腐る」という事実】
07【マネジメントとは、未知の状況で道を切り拓くことである】
01【旅や旅行に求めるものの変化について】
わたしは組織人事コンサルティングに長年従事しているが、その前身は「住所不定無職バックパッカー旅人」であり、妻と2人で2年かけて世界を2周、その際に計66か国を訪問している。
今回改めて実感したのは
「どこにいって」
「何をして」
「何を食べるか」
といった外界要素には、わたし自身の好奇心はもう殆ど反応せず、
「誰と」
「どんなシチュエーションで」
「どんな話をするか」
という内面世界の変化に事象を与えうる要素が好奇心の大半を占めるということだった。
すでに外界から多くの刺激を得る人生の時期を過ぎ、
内面世界の豊かさと深淵さに興味の矛先が移ったことを考えると、それも当然のことと思う。
一方、「風の人」である家人は常に外界への好奇心を切らさず、子供はこれからより一層、広い世界に触れていく人生のフェーズである。それぞれの価値観を持つ家族が、それぞれにとって非常に満足度が高い旅行となったことは、ほぼ全ての段取りを進めてくれた家人に感謝である。
02【家族旅行、色んな経験をすること】
子供は今回が3か国目の海外。
旅行期間も2週間と長めだったので、色々な思い出や経験ができたことだろう。
・ベトナムでトランジットしてチェンマイへ
・ラウンジでガブガブビールを飲む父
・世界旅行の友人夫婦との再会とガイヤーン
・オールドカルチャーセンターでのタイ舞踊
・象さんの背中に乗ってトレッキング
・牛車に乗ってお散歩
・いかだで川を下る
・タイマッサージ
・行く先々で触れた人々の優しさ@チェンマイ
・子供が笑顔で「コプンカー」と言うと世界が笑顔になること
・夜行列車の旅でバンコクへ
・クッソ熱いバンコクのクッソ寒いBTS(高架モノレール)
・友人との再会とコムヤーン
・チャオプラヤーの川下り
・クッソ熱い中のワット巡り
・辛いタイ料理
・アユタヤの遺跡巡り
・アイコンサイアムにてビーサンでロレックスの店舗に堂々と入り噴水ショーを楽しみショッピングをした帰りに、幼子を連れた隻眼の女性が物乞いをしていた風景
・水上バスでバンコク市内を巡る
・キューバのハバナのような旧市街もあるバンコクの街並み
・バンコクのショッピングモール、というか世界中のショッピングモールはどこも同じような店舗が並んでいて個性を感じられないこと
・往来のど真ん中で片足がない物乞いが這いつくばって乞食をしていたこと
・スワンナプーム国際空港の出国は靴まで脱がされ全身チェック
・帰国のラウンジで待ちかねたかのようにビールとワインとウイスキーをブヒブヒ飲む父
きっとこれらすべての原体験が自身の中の何かに蓄積し、
静かに浸透し、これからの生き方に何かしらの影響を及ぼすであろう。
やはり旅は、誰にとっても「偉大な経験学習の場」である。
わたしは自身の子供に
beyond the sea, across the world. wish you to become a person what can decide own path.
という想いを込めて名前を付けた。
これから歩む道の先に光が差し込むことを願うばかりである。
既に外界への好奇心が殆ど摩耗している当方では、これだけの幅広い経験を子供に提供することは間違いなくできなかった。
今回の旅行でほぼ全ての段取りを進めてくれた家人に大感謝である。
さすがは外界への好奇心を失わない「風の人」である。
03【SIMとGrabの利便性の高さ、ハンパないって~】
さて、抜かりない家人は今回のタイ旅行において利便性向上に欠かせないSIMとGrab(シンガポールに拠点をおく配車アプリ運営企業)を入念に調べており、チェンマイに入るなり早速SIMを実装し、チェンマイではGrabを使いこなした。
いや~~~、SIMもGrabも、利便性の高さハンパないって~!!!
マジで日本にいるのと変わらない。
いちいち迷うこともない。
チェンマイではGrabで配車を手配するとものの数分でドライバーが表れ、目的地まで連れて行ってくれる。クレカ払いを事前に設定すればいちいち乗り降りの際に交渉や支払いの必要もない。マジで超便利。
さすがにバンコクは渋滞天国のため、GrabよりBTSやMRTや水上バスや徒歩を活用したが。
いや~~~、旅も進化したものだ。
わたしが初めて海外一人旅に出た25年前とは隔世の感。
しかし、そこに一抹の寂しさを感じるのもまた事実。
20代の頃、タイから国境を越えて、カンボジアのシェムリアップにピックアップトラックで向かった。
道は全く舗装されておらず、しかも凸凹、バスが通れないのでピックアップトラックかジープでないと向かうことができなかった。マシンガンを持って武装している村人がいる村を通り抜けた。夜通し走り続け、全身赤土で土まみれ。
アンコールワットがあるシェムリアップに無事に到着した際には乗り合わせたカナダ人とハイタッチし、あまりの土まみれっぷりに2ショット記念写真を使い捨てカメラで撮ったほどである。
そもそもわたしが行こうとしていた数年前は、カンボジアはポル=ポト政権や内戦の影響を経て国内が大変な混乱からまさに立ち上がろうとしている時期であり、まだまだ超危険で絶対に行ってはいけない国とされていた。ようやくそれなりに安全に行けそう、ということだったので行ってみたのだ。
わたしが初めてカンボジアを訪れた5年後、同じルートを家人と行った。
当時わたしが味わった躍動感や冒険感を、家人と共有したかったのである。
しかし、人生で2回目の同じルートで向かったシェムリアップは完全に道路がアスファルトで舗装されており、ピックアップトラックではなく国境からはバスが通っていた。到着したシェムリアップの街並みは、わずか5年で見違えるほどに発展していた。もはやそこに5年前の面影はなかった。
それももう、今から20年前のことである。
きっと今、カンボジアのシェムリアップにいったとしても、わたしが行った時の記憶はもうどこにもないだろう。旅に同じ経験を求めても、過ぎ去ったときは記憶の中にしかない。
人生もきっとそうに違いない。
04【人が好き、人との出会い】
世界旅行をしていたときにつくっていた名刺に、
わたしは「人が好き、人との出会い」と書いていた。
あれから年を重ね、自身の趣味や嗜好も変わったように思う。
しかし、やはり人の内面に触れることや、魂の奥底で繰り広げるかのような奥深い対話は、今でも大変興味関心のある領域である。それがゆえに、今の組織人事コンサルティングの仕事をしているようなものである。
中でも、旧知の友人と異国で再会し、その後の変化や成長、あるいは変わらないものを交歓しあうことは何物にも代えがたい喜びの1つだ。
チェンマイでは、世界旅行の友人夫婦と再会した。
同じ価値観を持つ人との対話は何よりも豊かである。
チェンマイに移住し、自分たちの理想を叶えている友人夫婦との腹蔵のない会話。
印象的だったやり取りの一つが
「もうそのイメージはできているの?」
「だったら実現するね。」
「脳内で具体的にイメージできることしか実現しないから。」
バンコクでも、世界旅行の際に知り合った友人と再会した。
バンコク滞在歴が長く、かつバリバリのビジネスパーソンの友人は同国の内情にも通じており、組織人事コンサルタントとしては大変興味深い話を聴けた。
「タイは、あるいはバンコクはもう成熟期です。」
「そうした時やあるいは組織や企業にこそ、ジュンさんの熱量が必要です。」
「ジュンさんの熱量をそのまま伝えることができる現地の人とコラボすれば言葉の壁は乗り越えられますよ。」
そういえば昨年に訪れた香港でも、世界旅行で知り合った友人夫婦と偶然が引き合わせて再会している。その際に何度も言われた
「johnnyさん、もったいない。」
「日本国内でしか活動しないんですか?」
「johnnyさん、もったいない。」
「僕らももう、人生折り返しですから」
今も私の頭の中をリフレインし続ける台詞である。
05【脳内でイメージできることしか実現しない】
異国での再会はとてもよい。
旅情と相俟って、とても奥深く、豊かなときを過ごせる。
今回は家人のこだわりもあり、計4か所のホテルに滞在し、そのどれもがテラス・プール付きのホテルだった。
根が貧乏性で、かつ20代の時の貧乏バックパッカーの発想から脱却できないアタマカッチカチのわたしには到底成し得ない所業である。
しかしわたしはこの上なく水やプールや海が好きで、体を動かすのも好きなため(水泳はそれなりに得意)、常夏のタイで汗をかきながら観光し、美味しいタイ料理と薄めの東南アジアのビールを飲み、夕方前に子供とプールで遊び、夜にはテラスでビールを飲む、という日々はこの上なく至福だった。
わたしの現在のメンターの1人に、海外を飛び回る投資家の人がいる。その人は世界の複数箇所に拠点を持ち、いつも海外を飛び回っている。東南アジアのある国にも拠点を持ち、そこはプール付きのレジデンスである。わたしはいつも羨ましいな~と思いつつ、でも自分には到底そのような生活は無理であろう、と勝手に決めつけていた。
しかし今回家人のチョイスのおかげでテラス・プール付きのホテルに宿泊できたこと、
バンコク在住の友人曰く、日本の国力が落ちた今でも相対的にタイのほうがQOL(クオリティオブライフ)が高い生活が送れること、
まして都心のワンルーム以下の家賃でバンコクでプール付き・トレーニングルーム付きのレジデンスに住むことは十分可能ということを教えてもらった。
何だ、そんな簡単だったのか。
わたしが見もしないで聴きもしないで動きもしないで、勝手に「どうせ自分には無理だ」と決めつけていただけだったのか。
この世界には、無限の可能性と、無限の富があふれている。
一方、脳内で具体的にイメージできること、思い描いたことしか実現しない。
そのことを知るためにも、やはり遠い所への旅、そして誰かとの対話は自らの世界を、あるいは世界観を広げるという意味で欠かせない要素である。
06【「成熟期を過ぎた組織は必ず腐る」という事実】
わたしは人財育成や組織活性といった仕事に従事していることもあり、バンコク在住の友人が教えてくれた「タイは、あるいはバンコクはもう成熟期です。」という話は非常に興味深かった。友人曰く、タイには世界に展開し得る自国の産業がないという。なるほど、それも相俟って、か。
詳述は避けるが、どんな組織も必ず腐る。
それは組織の大小や、古今東西に関わらず、である。
だからこそ循環は大事だし、変革期には必ず痛みを伴うし、変わりゆくなかで決してなくしてはいけないもの、今捨てなければいけないもの、その見極めを誤ると滅びていく、というのが古今東西の組織である。
バンコクには「こんなにショッピングモールって必要?」というくらいショッピングモールがあり(あるいはわたしにはそのように見え)、モノがあふれかえっており、かなりの確率で店内はガラガラ、店員は暇を持て余しているように見える。
そこでは、店員はマジでみんな、暇な時間はスマホに首ったけであった。
日本ではありえない風景。日本では、お店に客が入っていなくても店員がスマホに首ったけになっている風景は観られないであろう。
ここで言いたいのは、「暇な時間にスマホをみるなどけしからん」ではまったくない。むしろその逆である。
これはわたし個人の主観だが、暇を持て余している従業員に対して「創意工夫せよ」と叱咤する経営者やマネジメントこそが愚の骨頂なのだと思う。その仕組みづくりは従業員ではなく経営やマネジメントの仕事である。
繁盛店ではそんなことはない。店が繁盛し、従業員は自動的にさぼらなくなるような仕組みの中で働き、そしてその中ではやる気もあってイキイキと効率的に働いているように見える。これは日本でも同じことが言えると思う。商売や景気が活況であれば、自ずと従業員がイキイキと効率的に働くような雰囲気が醸成されるのであろう。
バンコクで、非常に繁盛している日本食のお店に行った。
日本円で1食1,000円以上するため決して安くない金額だと思うが、何時に行っても日本人やタイ人のお客で常に賑わっていた。そこの店主なのかオーナーなのか分からないが、常に店頭に立っている方の振る舞いや醸し出す雰囲気がとても印象的だった。
味そのものももちろん良いのだが、ここまでの繫盛は決してそれだけが要因ではない。ここにわたしは、わたしの行きつけの地元のラーメンやさんとの共通点を見出した。そこも非常に繁盛している。
めちゃくちゃシンプルに結論を言うと、
店主(オーナー)がめっちゃご機嫌で必ずお客さんに一言二言声をかけている。
これはきっと、全ての仕事に共通する要素であろう。
リーダーが常にご機嫌でニコニコして必ずお客さんや仲間に一言二言声さえかけていれば仕事は全てうまくいく、とまでは言わないが、リーダーは常にご機嫌でニコニコして、周りの人に一言二言声をかけていればかなりの確率で色んなことがうまく回るに違いない。
【以下は組織人事コンサルタントとして得たマネジメントに関する教訓】
・無能な人はムダな作業を増やす
・勇気のない人はそれを止めず傍観する
・有能な人はムダな作業を減らし、新たな仕事を創る
・有能な人とは「知恵と工夫と勇気がある人」と言い換えてもいいかもしれない
07【マネジメントとは、未知の状況で道を切り拓くことである】
本稿も非常に長くなってしまったが、これにて終わりである。
組織人事コンサルタントの仕事に従事しているわたしは、今回の旅行で内面の旅も深まるであろうから、そうした旅のお供にということで、ボリュームは少ないが何度も読み返すことになるかもしれない文庫を2冊持参した。
1冊は富や知恵や成功や宇宙の法則に関して書かれたもの、
もう1冊はマルクス・アウレリウスの自省録である。
これまで積ん読状態になっていた山から2冊ピックアップしたのだが、我ながらナイスチョイスだと思った。両方とも飛行機や夜行列車の移動時間に欠かせないものとなった。
旅という「偉大な経験学習の場」という外部環境に身を置いたこと、これら内省や内観を深めるための書物を持参したことで、わたし自身のより一層の言語化が促進された。
そのうちの一つが、
「わたしにとってマネジメントの定義は、『未知の状況で道を切り拓くこと』です。」
そしてわたしは、あるいはわたしたちは
「各種人財アセスメントの手法を用いて、人と組織の持てるパフォーマンスを最大化する仕組みを構築します。」
幸せはいつも、自分の心が決める。
わたしはもう十分に幸せで、これ以上望むものは何もない。
では限られた残りの人生で、わたしの魂は何を求めているのか。
以 上