少年成穂堂の憧れだった「VAN Jacket」 | レトロショップ成穂堂 (なるほどう)ケンの苦悩と爆笑の日々

少年成穂堂の憧れだった「VAN Jacket」

堺に引越してくるまで、衣類やその周辺類の調達は梅田だった。

阪神間に住んでいた頃は、神戸にもよく出向いたが、食べてばかりいた記憶しかない。

買い物=梅田というのは、高校時代、梅田経由で通学していた事が、その始まりだった。

日々、大阪で最も人で賑わう場所を通過する訳だ。

少年なりに、流行りのファッションが目に留まるようになる。

そして、何かにつけかなり自由だった高校では、男女ともそんな「今どき」のものが流行った。

 

所謂、アイビーファッションと言われたものだ。

 

アイビー全盛期ではなく、後期だったと思うが、

 

それでも少年の目には、それを身に纏う事は、とても刺激的でもあり憧れでもあった。

冬場になると、みなこぞってスイングトップと言われた上着を羽織り、独特の柄のマフラーを首に巻いた。

三年になると、スイングトップ派とステンカラーコート派の二派に分かれた。

ワイシャツの上には、腕にラインの入ったセーターかトレーナーを着る。

ワイシャツは厚めの綿地でボタンダウンだった。アイロンは掛けず、洗いざらしを良しとした。

どれも、メーカーは「VAN Jacket」。

 

特にスイングトップは憧れだった。

その背中に大きく書かれたVANのロゴは、それまでモノクロだった僕の世界を、一瞬にして色鮮やかな世界に変えてしまう程、衝撃的で魅力に満ちていた。

アーチ型に書かれた、「for the young and the young-at-heart」というキャッチフレーズにも心奪われた。

分からないなりに、いつまでも若者の輝く心を持ち続けなくちゃと思った。

ついでながら、靴は「VAN」か「REGAL」のコインローファー。

 

鞄も学生カバンではなく、トートバッグだったような気がする。

こまっしゃくれた少年少女たちだ。

当時、僕はクラブをしてたので、先立つものがない。

親に買ってほしいと言うのはどこか罪悪感があり、超短期バイトをするなど工面して小遣いを貯めたものだ。

それでも、そんなものを買えるのは、随分幸せな事だったと思う。



それはそれとして、そのVANのロゴは今に至っても心躍るほど魅力的である。

何かの弾みでリユースショップなどでそれを見つけてしまうと、ついつい買ってしまう。

ただ、興味があるのは1970-1980年代前半のものに限られているので、中々お目にかかる事はない。

因みに、僕はリユースショップ通いが、一つの趣味だ。

アンティークものや僕の少年期から青年期に憧れていたものを探し出すのが、何とも楽しい。

そんなものネットで探せば?という事なのだろうけど、それは我がポリシーが許さない。



・・・ところが・・・先日、ネットで気になるトレーナーをみつけてしまった。

詳細をみると、それがまた見事な位条件に適っている。

40-50年前のものでここまで状態のよいものも珍しい(写真と説明に相違なければ)。

多分、人さまからすると、どこにでもある薄汚れたトレーナーにしか見えないと思う。

しかし、僕にとっては当時憧れた一着である。

まあそんな事で、それなりの葛藤はあったが、目の前の人参の誘惑には勝てなかった。

 

 




・・・届いた品物を見ると、予想以上に状態が良い。

「よくぞ、こんな状態で残っていたな」、と唸ってしまう。

(写真に撮ってみたが、やはり小汚いトレーナーにしかみえない)

こうして、いきなり当たりくじを引いてしまうと、もうダメだな。

ネット、恐るべし!  

今日も、暇を見つけてはネットを覗いている。

一度、悪の道に手を染めたら、もう後戻りは出来ないのだ。