2022年9月24日土曜日

PAPPY LIFEをご覧の皆様へ

初めまして、もしくはこんにちは。

パピー姉です。



まずは、いつもPAPPY LIFEをご覧頂きありがとうございます。

母が既に記事にしています様に
パピーが昨日、2022年9月23日に虹の橋を渡りました。



犬の、しかもフレンチ・ブルドッグの寿命として
13歳は決して短い訳ではないかもしれません。

ただ、彼が私たちの家族になってくれたその日から、
私含め、家族全員が
パピーは世界一長生きするフレンチ・ブルドッグになると
信じて疑わず、昨日まで過ごしてきました。

年齢と共に疲れやすくなり
散歩の際は足の震えが出るようになっても
最期は車椅子になっても毎日上手に散歩をして
お腹いっぱい食べ、夜はぐっすり眠り
そして、ある日静かに、眠る様にその時を迎えられるだろうと
確信を持ってここまできました。

それだけに、あまりにも早く、突然の別れに
まだ気持ちの整理がついていない部分もあります。



このブログは、2010年7月に、母が長年の仕事を退職した事を機に
当時1歳になったばかりのパピーの記録を
日記がわりにつけて貰おうと、私が開設しました。

PAPPY LIFEというブログタイトルは
当初HAPPY LIFEをもじったつもりでつけたタイトルですが

いつしか、彼が歳を重ねていく度に
これは彼の生涯の記録なのだと思うようになりました。

そう思うようになったのは
殆ど毎日、休む事なく十二年間もの月日を書き続けてくれた
母の努力の賜物であり
毎日世界中からアクセスし、応援てくれた閲覧者様のお陰です。

今回の事で、パピーの命の終わりがこの様な結果となり
驚かれている方、悲しんでくださる方
もしくは私達の決断に怒りを覚えられる方もいるかもしれません。

片目を失い、いつ脾臓が破裂するかもわからない状況でしたが
約ニヶ月もの間、体に不調を抱える高齢のフレンチ・ブルドッグが
一ヶ月の内に二度も全身麻酔をすることは
それだけで命取りになる可能性が十分にありました。

他の子とは比べられない程生命力が強く
気合いと根性が世界一だと思われるパピーですので
もしかしたら、眼球を取り、脾臓を摘出した後も
何もなかったかのように回復し
辛い抗がん剤治療にも耐え
多発性骨髄腫という珍しい病気の侵攻を遅らせ
もう少し私たちの元で何とか生きようと
努力してくれたのかもしれません。

ただ、そんなパピーだからこそ
気合いだけで想像を絶する負担を我慢したに違いないのです。




パピーが私達の家族になってくれた時
私はパピーとある約束をしました。

「いい? どこかいたかったり、
ぐあいがわるくなったら、かならずわたしにいうんだよ。」

その時、幼いパピーから確かに
「わかった。」
という反応があった事を覚えています。

それから13年間、本当に彼はいつもその約束を忠実に守ってくれました。
どんな時も、通院の判断を迫られる時や、
体の不調がある時は必ず私にサインを送ってくれました。




もう一つ、固く心に誓っていた事があります。

ペット業界の仄暗いニュースや飼育放棄
虐待のニュースを見るたび常に
もし、パピーがそのような所に生まれていたらと
いつも胸を締め付けられる思いでした。

せめて、その様な辛い現実を絶対にパピーには体験させない事
一生そんな残酷な世界を知る事なく
いつも優しく撫でられ、楽しいお出かけや美味しいご飯
清潔なシーツの上で眠ることだけが彼の世界の全てである様にと
家族皆、水面下では必死で考え、行動してきたつもりです。

今回の不調も、初動としては常に先手を打てていたと思います。
ただ、今までの病気一つなく健康そのものであった反動か、
ここに来てあまりにも同時に沢山の症状を抱えてしまいました。




パピーは私の一番大切な宝物です。

何かあれば自分の命に替えてでも必ず守り抜くと誓ってきました。

何もせずとも、いつかその時が必ず来る事。
まだまだずっとずっと一緒に居たかった事。
針を入れる直前まで決心が揺らぎ、涙で視界が歪み手が震えた事。
様々な思いが過ぎりました。

最期の瞬間まで、生きたいと必死で訴えるパピーの顔を
生涯忘れる事はないでしょう。

まさか、自分の一番大切なパピーを自分の手で眠りにつかせる事になるとは
直前まで考えもしなかったです。
ただ、命を掛けて守ると決めた以上は
これから自分の中で沸き起こる如何なる気持ちも
全て受け止める事がそれになると信じ
パピーを虹の端まで送る役割を受ける決心をしました。

いつか私がそちらに行った時
僕は生きたかったのに、余計な事をするなよと
パピーに怒られるかもしれません。

それでも、一度だけで良いから
いつもの様に頭を撫でる事を許して欲しいと
これから一生かけて願うばかりです。





最後になりますが
パピーは私の一番の宝物でした。
このブログを通じて彼が生きた証を長年辿ってくださった方
励ましのコメントをくださった方
札幌市内や遠方からもパピーに会いに来てくださった方
パピーの為にとプレゼントや贈り物をしてくださった方
全ての方に、心から感謝いたします。

そして、動物を家族に持たれている皆様へ

信じられない事かもしれませんが
もう二度と床に落ちる事がなくなる体毛や、涎の跡、家具についた傷が
想像を絶する程愛おしく、替え難い宝物になる瞬間が来る筈です。
どうか、その時が来るまで
大切なご家族の目に映るもの、鼻で感じる匂い、耳に響く音。
その全てがどの様なものであるか、いつも想像してくだされば幸いです。

皆様のご家族が、暖かく幸福な一生を送れる事を、切に切に願っております。


PAPPY LIFEはこれでおしまいになりますが
ブログサービスが続く限りは封鎖せずにしておきますので
ふと、パピーの顔を思い出した際には、是非彼の顔を見に来てください。

これまで、本当にありがとうございました。




パピー姉

5 件のコメント:

  1. とかチルト2022年9月25日 0:29

    このブログをご覧になって下さっている皆様、こんにちは。

    PAPPYの兄、とかチルトといいます。いつも当ブログをご覧いただきありがとうございます。

    私はPAPPYの暮す実家から離れて生活をしています。
    今から12年前、自分のもとに母親PAPPYMAMAより、「犬を飼おうと思っているけど、どう思う?」とメールが来まして、多分「そちらに任せる」といった内容の返信をしたのですが、その時はまさか本気で犬を飼うとは思っていませんでした。その数日後、実家から画像が送られてきて、「ホントに飼ったのか!」ってびっくりしました。
    ただ、この時自分はすごく不安になりました。実家で暮らしていない見ず知らずの男が突然やって来たら、威嚇しまくって大変なことになるのでは?これから帰省できなくなるのでは?って思いがよぎりました。
    そしてその後初の帰省…
    玄関チャイムを押すと家の中から犬の吠え声…「威勢のいい犬だな」不安の中、玄関を開けると猛ダッシュでこちらに駆け寄って来てくれました。そのままこちらと一緒に居間へ行くと今度は「ヴ〜」っと唸り声「ヤバい、怒ってる?」父「早く座って撫でてあげな」言われるがままその場に座ると、こちらに飛びついて来て、なんと顔をナメナメナメ…「くすぐったい!」
    しかし、噛み付く様子は全くなく、唸る行為も含めて「喜んでくれている=歓迎してくれている」って分かった時、自分もPAPPY一家として認めてもらえた瞬間に感じました。
    次の日、家族で揃ってドライブに出かけました。父は運転、母と妹は後部、自分は助手席という定番のパターンでしたが、PAPPYは母と妹のいる後部座席ではなく、助手席に行くといい、なんと自分の膝の上へ。PAPPYは特に違和感を見せることなく私の膝の上に座って前方の景色を眺めていました。「あたりまえ」の様に…。

    それ以降、私が帰省する度に盛大な歓迎、家族でどこへドライブするにも一緒、そして、いつしか「実家に犬がいる」ことが普通の光景になっていきました。私はPAPPYのことを自分の弟として「パァ」と呼んでいました。PAPPYは性格や行動、耳が大きい(?)自分に似ていることが多くあり、そのうち「本当の弟なのでは?」と思う様になりました。

    PAPPYと出会ってから、自分の中では、「犬」に対する見方が変わりました。私が幼い頃、犬に手を噛まれた(多分甘噛みだったと思う)のが元で、あまり犬が得意ではなかったのですが、ご近所のワンちゃん達が会いに来てくれたり、PAPPYと一緒に散歩へ行くと様々なワンちゃん達に出会い、その飼い主の方達ともコミュニケーションがとれる様になりました。また、PAPPYを見かけた方達から「カワイイ!」と声を掛けて下さって、兄の私としては鼻が高い思いでした。

    今年のお正月もいつもと変わらず、また楽しい一年を過ごせることと信じて疑いませんでしたが、夏頃から脾臓の腫瘍、多発性骨髄炎と病気が重なり、実家からは「具合が良くない」と聞いていましたが、それでも私が帰省すると元気に振る舞ってくれました。また7月に帰省した時に、父親の代わりに近所の散歩に出かけたのですが、いつも私と散歩に行くのと違って長い距離を歩き、「こんなに歩いて大丈夫?」って何度も聞きましたが、最後まで歩いて帰って来ました。
    9月に入り、北大での検査の後、一気に体力が落ち、実家から「もしかしたら危ないかもしれない」と連絡があり、急遽様子を見に行くと、用を足しに外へ出るといい、妹と外に出たところ、それまでずっと寝ていたのに5分以上歩き、まだ歩こうとするも足が震えているので、私が抱いて帰りましたが、これは彼が「いつまでも、私達を引っ張っていきたい」という強い気持ちの現れだったと思います。

    その後、調子が良くないと連絡がある毎に実家にとんぼ返りで様子を見に行きました。

    そしてこの一週間、仕事が一日休みになった時に予定になかったものの一泊で帰省、夜は苦しさのためか眠れなかったものの、朝は隣の公園に行き用を足し、その後通院するとのことで、私は一度自宅へ帰宅しましたが、通院から帰ってきて容態が悪化したとのことで再度様子を見に行き、声をかけるもずっと過呼吸状態でぐったりしており反応はありませんでした。その夜、一家全員でかかりつけの病院へ行き、睡眠薬を投与すると、彼は過呼吸状態から解放された様に寝息を立てていました。そんな彼を、私は車の助手席で抱いて帰宅、これが私が弟を抱いた最後になってしまいました。

    翌日、実家からは「安らかに天国へ」という知らせを受け、その瞬間に立ち会うことは私の環境から叶いませんでした。ただ、彼がうっすらとでも意識のある内に会い、話しかけることが出来ました。

    このブログは母親が運営していますが、実家から離れて生活している私にとって、実家と私をいつもつないでくれました。何気ない日常、何気ない彼の姿に、自分の家族のことながらいつも癒されていました。

    弟は私達家族の「牽引役」です。

    その命がつきる最後まで、弟は全力でそれを全うしました。

    大変長くなりましたが、私の「弟」に関わって下さった全ての皆様、当ブログをご覧くださった皆様、彼を見かけて声を掛けて下さった皆様に、改めてお礼を申し上げます。ありがとうございました。

    最後に
    私の大切な「弟」PAPPY
    「パァ」あなたのことは、私の命が尽きるまで絶対に忘れません。

    今まで、本当にありがとう!

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  2. まろちゃぶ母2022年10月2日 21:17

    ごめんなさい
    今知りました

    しばらくブログを覗けてなく
    元気かなぁ?と呑気に観てみたら
    パピちゃんがお空に旅立ってしまったとは、ショックです。
    本当に悲しいです。
    パピちゃん頑張ったね
    本当に偉かったね
    ご家族の心情を思うと何とお声をかけて良いのか分かりません
    今はお辛いでしょうが
    きっとパピちゃんの楽しい思い出話を出来る日がきっと来ます
    そう願うばかりです

    パピちゃん、ありがとう。
    合掌。

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  3. まろちゃぶ母さま> ありがとうございます
    あんくんが亡くなって1年10ヵ月…
    パピーの事をお知らせしようか迷いましたがお忙しいまろちゃぶさんにできませんでした…

    大事な命を預かりパピーファーストで毎日を過ごして来てきて病院での検査も定期的に行ってたし先先に調べていたのに何が悪くて悲惨な最期を迎えなきゃいけなかったのかと…
    最期のPAPPYLIFEを締めくくるのに書き残すことにしましたが今は読み返すことが出来ません
    あまりに辛く悲惨で脳みそがシャットダウンするんです
    悪い夢を見ているようでこのままボケるんじゃないかと思うぐらい(笑)
    パピーがどれだけ我が家を明るくしていてくれた事かと実感してます
    今はパピーと一緒のつもりでなるべく外に出るようにしてますが心の隙間がぽっかり空いたままです
    まろちゃぶ家のように前向きに行きますね

    30日にニックママが来てくれたんです
    ニックは一足先の5月3日にお空に旅立ち
    お互い突然のお別れで泣きながら思い出話をしました
    勿論、まろちゃぶ家の話題も出て3家で初めてお会いしたのは2013.11.13日でしたね
    ついこの間のようです
    やっぱりボケてますね(笑)
    パピーのためにコメントいただきありがとうございました

    パピーから貰ったご縁大事にします!
    ありがとうございました

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  4. ケンチャンママ2022年11月19日 13:01

    遅くなりごめんなさい。
    パピー君も旅立ったのですね。
    ケンちゃんの兄弟として会うことがかないませんでしたが、パピーとけんちゃんはあちらで対面して楽しく遊んでいると思います。ケンちゃんのいない生活は寂しいものでしたが、文太を迎えてまた楽しく過ごしてます。

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  5. ケンチャンママさま> ありがとうございます
    ケンちゃんと会えたかな…きっと痛いところも苦しいのも無くなっていますよね
    パピーは割り切りが早い仔なのでもう、違う姿になって
    また、幸せを運ぶため生まれ変わったかもしれません

    ケンチャンママ、パパさんのところに縁があって家族になった文太君は幸せ者ですね
    元気でケンちゃんの分まで健康で元気に長生きしてほしいです

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