No.925 民族楽器「四胡」(その2) | ryokukanetworkのブログ

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砂漠緑化活動を行うNGOのスタッフブログ。農村出身の若者達の日常がメインです。中国の農村の日常を綴ったブログはレアかも?まったりゆるゆる系でボチボチ更新します~!

こんにちは。

さっちゅです。

 

 

さて、前回は四胡の楽器としての特徴をご紹介しましたので、今回は四胡の歴史を辿ってみたいと思います。

 

 

四胡や二胡、西洋楽器ではバイオリンやチェロなどは、弓で擦って音を出す「擦弦楽器」呼ばれています。弓は、馬の毛を使うことが多いので、それらのルーツは遊牧民ではないかと言われているそうです。四胡のルーツは、紀元前8世紀ごろにモンゴル高原で興った狩猟遊牧民族である東胡の時代にまで遡れるそうです。その頃、中国は確認されている2番目の統一王朝、周王朝(東周)の時代で、2500年以上前なんですね。そんな頃からこの楽器があったとは。。

 

 

 

 

その後、同じくモンゴル高原から中原を制した元王朝(西暦1271-1368年)の頃に、モンゴル族が帝国各地に広く伝えたそうです。現在では四胡は数種類あり、主に高音が出る小さめの高音四胡と低音が出る大きいの低音四胡の2種類が、モンゴル族が多い内蒙古に多く広まっています。また、雲南省や貴州省にある少数民族自治区にも彝族(イゾク)四胡、布依(プイ)四胡が伝わっています。それぞれ遊牧民族の文化があり、大昔にモンゴル族と交流があったのでしょうか?

 

 

 

(べいぷ補足)

元が明に滅ぼされると、支配民族だったモンゴル族の大半は、明の北伐を逃れて発祥の地であるモンゴル高原に北元という王朝を立てましたが、一部は領域最南端の雲南(現在約1.3万人)や貴州(現在約4.8万人)にも残存し、中原を制した明を包囲するような状態で圧迫を続けました。その後、明の拡大によって本拠地以外の領域を次第に失いますが、さっちゅが挙げた少数民族区の四胡は、その際に戦いから逃れて谷間や高地に土着したモンゴル族が、大切に伝えてきたものと考えられます。ちなみに、有名な万里の長城は、この北元やそこから分裂したオイラト、タタールなどが華北へ侵攻するのを防ぐ城壁です。

 

と、べいぷさんに補足してもらいましたが、これを聞いた時には驚きました。モンゴル族って、北方だけだと思っていたんですが、南にも居たとは!楽器のルーツを調べているうちに民族のことや歴史のことまでたくさん関係していることがわかりました。万里の長城と四胡にも多少の繋がりがあったとは驚きです。歴史って、おもしろいんですね。

(これを機に関心を持ってくださいね)

 

 

(つづく)

 

 

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