初心者必見!面白いほど良く分かる中国人コミュニケーション術!

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中国語の勉強や中国人とのコミュニケーションで悩むあなた。
中国の大学を卒業し、中国人妻を持つ堀江が、
読むだけで、「なんだ!そういう事だったのか!」と納得のコツをお教えします。

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最近、論語の素読が流行っているそうです。
物も情報も溢れる昨今、今こそ心の修養に力を入れる時なのだと感じています。

とは言え、ここは中国語学習者が集まるブログ。
普通に「子曰く…」なんてやっていても面白くないので、原文で論語を見ていきたいと思います。
お気に入りの内容を1つでも2つでも覚えて頂ければ幸いです。

知らず知らずのうちに人間としての軸ができ、なお且つ中国語のリズムが身につきます。
それに中国人との会話でさらっと論語の引用なんか出したら、「お~!」って言われちゃいますよ♪

◆今日の論語◆

【原文】(簡体字)

为政篇2-4
子曰:“吾十有(1)五而志于学,三十而立(2),四十而不惑(3),五十而知天命,六十而耳顺(4),七十而从心所欲不逾矩(5)。”


【ピンイン】

Zi3 yue1;”Wu2 shi2 you4 wu3 er2 zhi4 yu2 xue2, san1 shi2 er2 li4, si4 shi2 er2 bu2 huo4, wu3 shi2 er2 zhi1 tian1 ming4, liu4 shi2 er2 er3 shun4, qi1 shi2 er2 cong2 xin1 suo3 yu4 bu4 yu2 ju3 ”


【解説】

(1)有:発音「you4」。意味も「又」と同じ。「十と五歳」という感じ。
    日本語の「十とんで五歳」みたいな感じかな。

(2)立:しっかり立つ。前節の「学」を受け、その基礎がしっかり出来あがったという意味。

(3)不惑:迷わない。知識を自分の物にし、自信を持ち、外界の事物に疑問を懐かなくなったという意味。

(4)耳顺:2つの解釈あり。1つは「聞いた事が直ぐに理解出来る」という意味。
     もう1つは「自分と対立したり、不利な意見を聞いても、落ち着いて適切な対処がで来る」の意味。
     後者を取る。

(5)从心所欲不逾矩:从:従う。逾:発音「yu2」、越える。矩:発音「ju3」、規律や基準、道理等。             合わせて「心の欲望に従って行動しても、道理を踏み外さない。」となる。


【現代中国語訳】

孔子说:“我十五岁立志于学习;三十岁能够自立;四十岁能不被外界事物所迷惑;五十岁懂得了天命;六十岁能正确对待各种言论,不觉得不顺;七十岁能随心所欲而不越出规矩。”


【原文】(日本漢字(繁体字含む))

子曰。吾十有五而志于學。三十而立。四十而不惑。五十而知天命。六十而耳順。七十而從心所欲。不踰矩。


【日本語書き下し文】

子曰く、吾十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順う。七十にして心の欲する所に従いて、矩を踰えず。

(しいわく、われじゅうゆうごにしてがくにこころざす。さんじゅうにしてたつ。しじゅうにしてまどわず。ごじゅうにしててんめいをしる。ろくじゅうにしてみみしたがう。しちじゅうにしてこころのほっするところにしたがいて、のりをこえず。)


【日本語訳】(by堀江)

孔子先生が仰った。「私は15歳の時に学問を修めようと志し、30歳の時にしっかりと基礎が出来て自立できるようになった。40歳の時に世の中の道理を理解したので何が起こっても疑問を抱かなくなり、50歳の時に自らの天命を知った。60歳の時に様々な意見に対して適切に対応出来るようになり、70歳の時には自分の思うがままに行動しても、道理や社会的規範を越える事は無くなった。」


【所感】

論語の有名な一節ですね。
ここから、日本語でも15歳を「志学」(しがく)、30歳を「而立」(じりつ)、40歳を「不惑」(ふわく)、50歳を「知命」(ちめい)、60歳を「耳順」(じじゅん)、70歳を「従心」(じゅうしん)と言うようになりました。

そこそこの年齢になってくると、年賀状などでも「不惑の40歳になりましたが、まだまだ迷う毎日です。」と書かれる方もいますよね。

さて、孔子が自分の修養、成長の過程を振り返っての言葉だと思いますが、こうしてみると「40歳までは迷い、勉強の過程」だという事です。
50、60歳になってようやく自分の天命を知り、そこに向けて力を向ける事が出来ると。

世界の聖人と言われる孔子ですらこうなのですから、我々一般人はプラス20歳くらいは考えていても良いのではないでしょうか。
60歳くらいまで勉強、勉強....、つまり一般的に社会人である間は、常に謙虚で勉強させて頂くって態度で精進を積みなさいって事なのだと思えば宜しいかと。

でも、80,90歳になった時に、欲望のままに動いて犯罪者にならない自信は...まだありませんね。
逆にこの頃になると原因と結果が分かってしまうので、邪な欲すら起こらないのでしょうか。
まっ、その年まで元気で生きて入れば分かりますね。

孔子の言っていた事が正しいかどうかの判断は、60年後の宿題って事で。


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中国コミュニケーションコーチ堀江 昇
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こんにちは。
今年もあと残すところ数日しかありませんね。
全く年末の気がしない、中国コミュニケーションコーチの堀江です。

よく「年末だから」とか「新年からはこうしよう!」と新しい誓いを立てる人がいますが、自分にとって有益な目標なら「今すぐ」始めてしまえば良いと思うんですよね。

だって、事を始める動機を「元旦」にしてしまうと、
途中で頓挫した際に、次の元旦までやり直しがきかないじゃないですか。

私は2年以内にTOEIC900点以上を取りたいので、
超中途半端ですが、先日12/21から英語の勉強を本格的に生活リズムに組み込みました。
(それでもやろうやろうと思って、でもなかなか生活リズムに組み込む事が出来ず、ようやく重い腰をあげた感じなので、偉そうな事は言えないのですが。)

途中で挫折する事もあるかもしれませんが、
変な時に始めたという事は、途中で挫折しても、変な時にまた再開できるという事です。

思い立ったが吉日。
3日坊主も122回繰り返せばほぼ1年です!


さて、今回は「Yahoo!知恵袋」にて質問されていた内容についてです。

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【質問】

中国語を勉強してる日本人ですが
よく中国の掲示板などで水という言葉を見つけますが
何かのネットスラングなのでしょうか?
事情に詳しい方何卒説明おねがいします。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1198825841

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中国の掲示版では『本題とは関係ない、どうでも良い書き込みの事』を『水』って言うんですね。

場合によってはその行為そのものを『水』という場合もありますが(「我们水水吧」みたいに)、一般的には『灌水(guan4 shui3)』と言います。

また、書き込みをしないでただ読んでいるだけの人を「潜水(qian2 shui3)」とも言います。
顔を出さない(書き込みをしない)からでしょうね。

この『水』な書き込みが多いと、時々「今、一生懸命泳いでいます!」みたいな書き込みをする人も見かけますよ。中国ネットユーザーならではの、やり取りです。


また、掲示版によっては、「灌水区」を設けて、特にテーマを設けず、
どうでも良い話を書き込める専門のコーナーを設けているものもあります。
それが好きだというユーザーも多いようです。

この「灌水区」、様々なネットスラングや中国人なりの略語が横行していますので、
中国語を勉強する上では良い勉強になるかもしれませんね。

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中国コミュニケーションコーチ堀江 昇
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最近、論語の素読が流行っているそうです。
物も情報も溢れる昨今、今こそ心の修養に力を入れる時なのだと感じています。

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知らず知らずのうちに人間としての軸ができ、なお且つ中国語のリズムが身につきます。
それに中国人との会話でさらっと論語の引用なんか出したら、「お~!」って言われちゃいますよ♪

今回からは日本漢字(繁体字含む)と日本語書き下し文も追加しました。

と言うのも、最近日本語でも論語を見たり聞いたりして気付いたのですが、日本語で論語を聞いてもピンとこない。
日本人なのに変な話ですが、一旦中国語を経由しないと分からないのです。
これではいかんなと。

また、漢字も現代中国語(簡体字)よりも、繁体字を含む日本漢字の方が表現が豊富で、より原文に近い味わいが出せるのではないかと思い、併記する事にしました。

メルマガには書いたのですが、日本語でも中国語でも、とっつきやすい方から、中国古典に親しんで頂ければ幸いです。


◆今日の論語◆

【原文】(簡体字)

为政篇2-3子曰:“道(1)之(2)以政(3),齐(4)之以刑,民免而无耻,道之以德,齐之以礼,有耻且格(5)。”


【ピンイン】

Zi3 yue1;”Dao4 zhi1 yi3 zheng4, qi2 zhi1 yi3 xing2, min2 mian3 er2 wu2 chi4, dao4 zhi1 yi3 de2, qi2 zhi1 yi3 li3, you3 chi3 qie3 ge2.”


【解説】

(1)道:2つの解釈が可能。1つは「導く」、1つは「治める」。ここでは前者が妥当。

(2)之:ここでは「人民」を指す。

(3)政:法律、法令、規制等。

(4)齐:統制する。束縛する。

(5)格:2つの解釈が可能。1つは「至る」、1つは「正す」。     
ここではどちらの解釈も可能だが、日本語では「ただし」と読むので、「正す」をメインにして、「正しい状態に至る」的な解釈で良いと思う。

※余談ですが、《大学》に出てくる「格物致知」の「格」も同じ解釈。 


【現代中国語訳】

孔子说:“用法制禁令去引导百姓,使用刑法来约束他们,老百姓只是求得免于犯罪受惩,却失去了廉耻之心;用道德教化引导百姓,使用礼制去统一百姓的言行,百姓不仅会有羞耻之心,而且也就守规矩了。”


【原文】(日本漢字(繁体字含む))

子曰。道之以政。齊之以刑。民免而無恥。道之以徳。齊之以禮。有恥且格。


【日本語書き下し文】

子曰く、之を道くに政を以てし、之を斉うるに刑を以てすれば、民免れて恥無し。之を道くに徳を以てし、之を斉うるに礼を以てすれば、恥有りて且つ格し。

(しいわく、これをみちびくにまつりごとをもってし、これをととのうるにけいをもってすれば、たみまぬがれてはじなし。これをみちびくにとくをもってし、これをととのうるにれいをもってすれば、はじありてかつただし。)


【日本語訳】(by堀江)

孔子先生が仰った。「大衆を正しい方向に導く為とは言え、法律や命令を用いて無理やり従わせたり、従わない者には刑罰を与えたりすれば、彼らは懲罰を受けないように上手く逃げ道を作って悪さをするし、しかもそれを当たり前の事と思い恥じる事は無いものだ。逆に、道徳を用いて大衆を導き、礼節を用いて彼らの行動を変えようとすれば、大衆は自分の不正な行為に恥じる様になるだけでなく、自然と規則を守るようにもなるものだよ。」


【所感】

本章も為政篇1にて紹介した「徳治政治」の具体例と言えます。

現在のように、何でもかんでも法律や規制、そして罰則で制御しようとしてもどうしても不正を働く者が出てきます。

それこそ、「ばれなきゃいいや」という考え。


先日、強盗致傷で少年院に送られた少年の話を読みました。

事の発端はその子が小学生の時。
父と一緒にタバコを買いに行って、父が5,000円を渡したのに、タバコ屋のおばあちゃんは9,000円と小銭をお釣りで返してきたそうです。

父にそれを指摘すると、頭を叩かれて「バカ!黙っていれば分からないんだ!」と怒られたそうです。

それから、その子の中には「ばれなければ良い」という価値観が根付きました。

窃盗は悪い事とは知りながらも、「ばれなければ良い」という価値観と、盗みをする時のスリルにはまり、盗みを続ける事に。

そしてとうとう盗みがばれてしまい、相手を傷つけ、窃盗致傷に至ったというのです。

法律や刑罰を全否定するつもりはありませんが、人間の行い全てを法律で線引きするのは不可能ですし、結局それも「事が起こった後の処理」でしか無く、事件を未然に防ぐ事には繋がらないのです。


ちなみに、その父親は、いわゆる高学歴で、大手企業に勤めているエリートとの事です。

子供が捕まった時も、「お前には欲しい物が買えるだけの十分なお小遣いをあげていたはずだ。」と言ったとか。

社会の価値観、教育そのものにも一石を投じる出来ごとだと思いました。


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◆今日の論語◆

【原文】

为政篇2-2子曰:“诗三百(1),一言以蔽(2)之,曰:思无邪(3)。”


【ピンイン】

Zi3 yue1;”Shi1 san1 bai3, yi4 yan2 yi3 bi4 zhi1, yue1:Si1 wu2 xie2. ”


【解説】

(1)诗三百:「诗」は中国最古の詩集である《詩経》を指す。       
論語に限らず、中国古典で「詩」と出てきたら十中八九《詩経》の事。       
全部で305篇あるが、分かり易く300でまとめられ「诗三百」と言われる事も。

※ 四書五経のひとつなので、機会を見て読んでいきたいですね。

 (2)蔽:発音は「bi4」。「まとめる、概要する」の意味。

(3)思无邪:《詩経·魯頌》に出てくる言葉。原文は『思无邪,思马斯徂』。
本来、「思」はただの語気助詞で意味を持っていなかったが、孔子は「思」は「思う、考える」の意とした。
「无邪」は「よこしまな所が無い」つまり、「真っ直ぐ、純粋」の意味。

※実はこの部分は様々な解釈がされています。それだけで本一冊書けるくらいの内容なので、最も一般的な論でいきます。


【現代中国語訳】

孔子说:“《诗经》三百篇,可以用一句话来概括它,就是‘思想纯正’。”


【日本語訳】(by堀江)

孔子先生が仰った。「《詩経》に収められている三百余篇の詩を一言でまとめると、『正しい事を考えなさい』という事に尽きる。」


【所感】

《詩経》はまだきちんと読んだ事が無いのですが、この孔子の考えは仏教の「諸悪莫作、衆善奉行」(悪いことをするな、善い事をせよ)と通じるものがあると感じました。

本節には「何が善なのか、何が悪なのか」という話は出ていませんが、孔子的には「仁」に基づいた考え、行動が善になるのだろうと思います。

書道家で詩人のあいだみつをさんのこんな言葉も思い出されますね。

そんかとくか人間のものさし
うそかまことか
仏さまのものさし

ついつい損得を考えてしまいがちな弱い人間。
「思无邪」を心がけたいものですね。


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中国コミュニケーションコーチ堀江 昇
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こんにちは。
朝がめっきり寒くなりました。中国コミュニケーションコーチの堀江です。

朝、今までは平日でも週に2回はジョギングするようにしていたのですが、
寒い&暗いで、朝ヨガに切り替えました。

理由は、まず暗いので気分が乗らない事と、
僅か20分程度のジョギングでは身体が温まる前に終わってしまって、
気持ち良くないからです。

それならば、暗いロビーでじっくりゆっくり、
ヨガで身体を伸ばした方が、無理してジョギングするより
気持ち良く一日が始められるのです。
個人的な感想ですが。

ヨガもただ身体を伸ばすだけでなく、腹筋や背筋を使った動きが沢山あるので、
決して「楽をしている」って訳では無いと思うんですよね。

まぁ、「順其自然」で、冬には冬の身体のケアって事で。


さて、今回は「Yahoo!知恵袋」にて質問されていた内容についてです。

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【質問】

中国語の『已经』について質問です。
使用例として『已经~了』と『已经~过了』の2種類があるのですが、この二つは何か違いがあるのでしょうか?
『已经~了』で『すでに~した』、それに『过(~したことがある)』が付いても意味は『すでに~した』?
手持ちの教科書には違いが書いていなかったので、もし違いあれば教えてください。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1196919666

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これといった回答が無かったので、私なりの解説を加えますね。

まず例文をみてください。

1.---你怎么还在这里?李老师不是让你去办公室找他吗?
   ---我已经去过了。

2.---小王呢?李老师不是让他去办公室吗?
 ---他已经去了。

はっきりとした文法的な違いは分からないので、
「習慣的な利用方法の違い」だと思いますね。

まず、2番目の『已经~了』の場合は、あまり一人称である、「我」を主語にとらないように感じます。

「我已经去了。」
何かすっきりしません。

自分という一人称の場合は、「過去の事=経験」となるので、何か他人行儀に感じます。
それならば、
「我已经去过了。」とした方がすっきりします。
これも意味的には特に「経験」を強調する必要も無く、
「ああ、もう行ったよ。」程度の訳が自然だと思うのです。

あとは、両者の区別と言えば、
(1)ただ単に、行ったかどうかの事実を表現したいのか
(2)行った事があるという経験を表現したいのか
というどこに重点をおくかという違いだと思います。

ちょっとすっきりしない感もありますが、
中国の文法は習慣的な利用方法が残っている場合があるので、
こういうものなんだ、という事で。

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